ざんばら髪を振り乱しながらピッチを暴れまわる一方で、河童の皿のように禿げあがったトップ。それでいて誰よりも速く、テクニックも突出し、ゴールも量産する。Jリーグが産声をあげた1993年。鹿島アントラーズのブラジル人FWアルシンド・サルトーリが与えたインパクトは強烈だった。

 通算125試合に出場して79ゴール。記録もさることながら、独特の風貌とユニークなキャラクターが社会現象を呼び起こすほどの人気者となり、『友達ならアタリマエ』のフレーズが流行語にもなったアデランス社のテレビCMにも出演。地元鹿島の蕎麦屋では『あるしん丼』という料理も発売された。

 一大ブームから20年。Jリーグ20周年記念試合と銘打たれ、埼玉スタジアムで開催された11日の浦和レッズ対鹿島アントラーズ前のセレモニーに特別ゲストとして登場。元レッズのポンテさんとともにスタンドから喝さいを浴びたアルシンドさんの目には、ハタチを迎えたJリーグがどのように映ったのか――。

――久しぶりに日本のスタジアムのピッチに足を踏み入れた感想は。

 「感激のひと言だよ。試合もよかったし、スタジアムの雰囲気もすごくよかった。懐かしい鹿島アントラーズのインファイトの人たちの声も聞けたしね。ただ、自分に対してはブーイングの嵐かと思っていたんだ。そうしたらレッズのサポーターまでが自分の名前を呼んでくれて、『アルシンドコール』まで起こって。実はちょっとビクビクしながらスタジアムに来たので驚かされたし、本当に嬉しかった」

――最近はテレビのCMで女優の武井咲さんと共演もしているからじゃないですか(笑)。

 「それもあると思うんだけど、あの時はけっこう点を取らせてもらったので、その余韻が残っているんじゃないかと思ってね(笑)。僕自身は逆にレッズのサポーターが好きだったんだよ。母国ブラジルのサポーターも熱狂的で、僕がプレーしたフラメンゴなんて12万人くらいがスタジアムにやってくる。レッズの応援はブラジルのそれに近いものがあるから、すごくいいなと思っていたんだ。とにかく、あの時期に自分たちがベースを築けたということが嬉しい。そこから日本のサッカーがだんだん伸びていったからね」

――1993年のJリーグ創設時に比べて伸びた部分はどこだと思いますか。

 「全体的な組織だね。チームとしての組織的なプレー。ただ、今日の試合を見た限りではもう少しクリエイティブな部分、創造力というのかな。やっぱりそういう部分がまだ足りないかなと思う」

――組織の中に個性が埋没している、と。

 「一緒に試合を見ていたポンテさん(元レッズ)とも話したんだけど、組織的なプレーは本当にすごいと思う。でも、特に中盤の選手、外国人じゃなくて日本人に限って言えば、発想力というのがもう少し欲しい。技術的にはものすごく伸びているし、20年前と比較にならないほどみんな上手くなっているんだけどね」

――20年前はアルシンドさんを筆頭に選手の個性が輝きを放っていました。

 「あの時期にはカズとかゴンのように、堅くて組織的なディフェンスを個人で破ってゴールを奪う選手がいた。中田英寿もそう。日本人に帰化していたラモスも、とてつもない個の力を持っていた。そういう選手が、今日見た感じでは見当たらなかったのがちょっとね。それも創造力のひとつとして考えると、やっぱり物足りない部分なのかな」

――創造力あふれる選手になるためには、どのような努力が必要なのでしょうか。日本サッカー界の後輩たちへ向けてメッセージを。

 「才能ある選手というのは、いっぱいいると思う。でも、その中で小さい頃から、それこそユースやジュニアユースの時から、いろいろな創造力を発揮できるような工夫をしていかないと。ある程度の年齢になっていきなり出そうとしても難しい。ブラジルでも同じようなことが言えて、ペレやジーコのような天才的な閃きを持った選手が少なくなっている。世界的に見てもそう。かつてはものすごい創造力を持った選手が大勢いたのに、今はメッシただ一人しかいない。クリスティアーノ・ロナウドもいるけど、どちらかというと彼は点取り屋だからね」

――ブラジルのCFZというクラブを最後に、現役を引退したのが2000年。今はどのようなお仕事を。

 「南部のパラナ州に自分の農園を持っていて、トウモロコシや大豆を育てて売っているんだ。会社も設立していて、自分の嫁が社長を務めている。2人で分業のような形でやってきたけど、今は少し落ち着いたのでサッカーを含めたスポーツの方に戻りたいと思っているんだ。自分のライフワークとしてね。自分のサイトやフェイスブックを立ち上げたところだよ」

――具体的なプランを聞かせてください。

 「それはまだないんだけど、自分は日本で本当によくしてもらって、お金も稼がせてもらった(笑)。だから、何かの形でお返しをしたいんだ。今までは鹿島に帰ってこそのアルシンドだと思っていたら、今日もそうだけど、どこにいってもみんなに声をかけてもらえる。当時はいろいろとチヤホヤされても、もう20年も経っているわけだから、自分のことなんて忘れられてもおかしくない。『友達ならアタリマエ』というCMが日本で流行ったというのもあるんだろうけど(笑)。これほど嬉しいことはないよね。何とかこれからも日本とのいい関係を続けていきたい」

――来年6月にはブラジルでワールドカップが開催されます。

 「その前に日本が今年6月のコンフェデレーションズカップに出場するよね。そこでもいいプレーを見せてくれるはずだし、ワールドカップでもそのプレーを継続できれば、最終的にけっこういいところまで行けると僕は信じているよ」

 今年10月で46歳。髪の毛はすっかり短くなったが、トップの“輝き”は当時をほうふつとさせる。そして、お茶目で憎めない性格も。3対1でレッズが逆転勝利を収めた試合後の取材エリア。取り囲んでいた記者の一人に突然カメラを手渡して、取材を受けている光景を撮影してくれと頼み込んだ。

「おいおい、いったい何に使うのか?」

「あとでフェイスブックね」

 感慨に浸りながらも、ビジネスアピールも忘れない。直後に浮かべたまるで悪戯小僧のような笑顔が、アルシンドさんの周囲を20年前にタイムスリップさせていた。(THE PAGE)

                       (文責・藤江直人/論スポ)
東京都生まれ。サンケイスポーツ記者としてJリーグ創成期のサッカー、五輪、MLBなどを担当。2000年からは角川書店でスポーツ雑誌「スポーツ・ヤァ!」の取材・編集に携わり、2002年日韓共催、2006年ドイツの両サッカーW杯を現地で取材。現在は不定期のスポーツ雑誌&WEBの「論スポ」の副編集長を務め、日本代表やJリーグを中心にサッカーも鋭意取材中。著書に「立石諒 追い抜く力」(イースト・プレス)。

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