ストレスをためこまない上手なキレ方

「おれはずっと我慢してきたのに、あいつは生意気だ」と、若手の足を引っ張るような見苦しい上司になるだろう。


 ただ、発言するときに考えなければならないのは、「賛同者はいるか」ということだ。判断の分かれる事柄について、一方の意見を堂々と表明したとする。一同を見渡すと、みんなが批判的な顔をしている。「これは敵ばかりか……」と覚悟していると、面白いことに、あとになって「よくいってくれた」と共感してくれる人が出てくるものだ。


 価値観を同じくする、いわば「真の友」の出現だ。ここでもし共感する人が誰もいなければ、自分のほうが間違っていた可能性もあるのだから、そのときは反省し、仮に事実誤認や認識不足があれば謝るだけだ。
 大事なことは、100人の知り合いを持つより、1人の友達を持つほうが、長い人生では遥かに価値があるということだ。もし君の周囲が敵だらけであっても、心強い賛同者が1人いればいい。恐れることなんかまったくないと思うべきだ。


 逆に若いころから「お利口さん」で通して、いいたいこともいわずにいたらどうなるか。


 私はもちろん日本が大好きだが、この国では、いつまで経っても不合理な慣行がなくならないことだけは困ったものだ。


 たとえば、会議の席で誰かの批判めいたことをいうとする。あなたが年長者ならいいのだが、年が若いとか新参者であれば「生意気だ」と決めつけられ、陰口を叩かれ、足を引っ張られる。つまり大方の参加者にとっては、「何をいったか」ではなく「誰がいったか」が重要なのだ。

 本来、発言で大事なのは「理はどちらにあるか」。

反発するなら、発言の内容に対してするべきだ。僕は若いころから、思ったことは腹蔵なくぶちまけるたちだ。だから、若いころはさんざん陰口をいわれたし、いろいろ損をしたこともある。


 しかし、その場で発散してしまうから余計なストレスは感じなかった。いまとなっては、つくづく得な性分だと思っている。


 こんな性格になったのは、技術者だった父の教育によるところが大きい。父は航空機技術者で、零戦の開発責任者まで務めたが、愚痴や陰口が何より嫌いな人だった。

 父から学んだのは「子ども相手でも、合理的で納得できる教え方、叱り方をせよ」ということだ。技術の世界では、相手が先輩であろうと、間違っていたらそれを指摘し、検証しつづけなければプロジェクトの成功はおぼつかない。つまり、きわめて合理的だ。「愚痴をいうな、その場で堂々と話せ」という父の教えも、精神論ではなく、そうしたほうが問題の解決が早いからだ。


 僕は父の教えに納得し、大学の世界へ入ってからも、異論を述べるときは「先手、先手」でやることにした。だから「生意気な奴だ」と相手を怒らせることもあったが、そのうちに「生意気だが面白い」という評価を得て、次々と学内外の新しいプロジェクトに携わることができた。
 いまでも就職を控えた学生には必ず、「入社したら、最初から『変わった奴』と思われたほうがいい」とアドバイスをしている。


■100人の知人より1人の友


 会社でなにか不合理や不条理を感じることがあったとしよう。ところが3回目までは黙っていて、4回目になって突然、強い調子で意見を述べたらどうなるか。たぶん反発を食らうだけだ。だから、おかしいと感じたら、すぐに発言したほうがいい。


 最初はびっくりされるかもしれないが、君の評価は、その時点で「変わった奴」となる。するとそれ以後は、「変わった奴」として扱ってもらえるのだ。

 こうして精神の自由を確保すれば、ストレスはたまらないし、愚痴や陰口など出てくるはずもない。(プレジデント)


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事業構想大学院大学学長 野田一夫:昭和2年生まれ。東京大学社会学科卒業。立教大学教授を経て、多摩大学初代学長、県立宮城大学初代学長などを歴任。近著に『悔しかったら、歳を取れ!』。


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