プロフェッショナル
オエッス!
OSはWindows7でやり遂げたい男、Civaです!
8月の思い出
どうも!
ないよ!そんなもの!
ないない!
Civaです!
腕時計の話
腕時計、一つ欲しいものがある。
Civaです。
良い数字、悪い数字
ぶるわっす!
Civaです!
首と腰が重症です!
クソガキが寿司屋で何かしらペロペロして動画の再生数が上がった!俺(クソガキ)、人気者じゃん!→これは悪い数字。
悪い数字に対してファンになる様な危篤な人も少しは居るかもしれないが、基本的にはかいた恥に対して侮蔑や怒りの目を向けているに過ぎない。
だが、「数字さえ取れれば悪い数字でも金になる」というYouTubeの特性上、数字の良し悪しを考えず、社会への影響を省みずに金を稼ごうとする大人が増えたと思う。
その大人が文化を誘導して目に映るものが決まって行く事で、子供達も「それが正しいもの」として認識してしまう。
最たる例として、俺はTikTokが近いと考える。
歌を出しました→有名人が踊りました→あたしも踊りたい→あ、この曲最近みんな踊ってる曲だ!あたしも踊れば有名になれるかも!→再生数1億越え!
これを良い数字だと俺はいまいち思う事が出来ないのだ。
もちろん、聞いて感動する様な「本当に良い曲」であれば良いが、
一般人の自己顕示欲、承認欲求に使われるだけの踊りやすい、耳障りの良いインスタントミュージック、これを「良い曲」として認識して良いものかね。
なんかもう「使い捨て!」って感じで新しい音楽を聞きたくなくなって来るんだよなー。
またこのコード進行か。
またこの歌い方か。
最近はこんなのばかり。
そして、もっと言うと、金を持った事務所が新人を売り出す時に、「素人感」を前面に出しつつフルプロデュースし、「インフルエンサー」に大金を払って踊らせる…と。
そういう戦略も無きにしもあらずだよね。
もちろん、努力を全くしないで売れる人なんて居ないわけで、数字を持ってる人もそうじゃない人も須らく努力はしている。
だから全否定はもちろんしないんだけど、楽しむ側の感覚が「良い=数字」じゃなくて、「数字=良い」になってしまうのが嫌だぜ。
これは食べログも同じで、
「点数が高い=飯が美味い」と考える人が多い。しかし、この食べログ等の数字、上げる為の広告の仕事をしている人も居る。以前その仕事をしている若い女性と直接話した事があるが、かなり稼いで居るようだった。
「外に並んでる、行列が出来てる=美味い店」というのもある。
行列が出来てる店があれば、「おっ!」と思って並ぶ人も少なくないだろう。
だが、飲食店のマネジメントを行う際に「席数を減らして、外に並ばせる様にする」というマニュアルもある。
美味い店と思わせる為に意図的に並ばせるわけだ。
並んでるお客さんは広告として使われている事に気付いていない。
もちろん、上記の内容について継続的に評価を得て稼いでいく為には、「良い歌」や「美味い飯」「良いサービス」が必須なわけであって、それが足りなければ二年で消えて行くだろう。
広告というものはきっかけに過ぎず、人から知られれば最終的にはやはり本質の勝負になる。
つまり、悪い数字で話題を集めても本質がダメなら消えてしまうのだ。
数年前に流行ったとされるアーティスト。
あんなにラジオで流れてたのに、今どこで何してるんだろう?って人たくさん居るんじゃない?
そういう人達が今もなお上に這い上がろうと努力を継続している姿に人は感動するのではないだろうか。いや、そうあって欲しい。
というわけで、広告代理店がものすごい荒稼ぎしているこんな時代だけれど、カスタマー側の「モノを見る目」が試される時代なのだと思いますね。