戦後、人々は空襲の恐怖からは逃れられましたが、生活は安定せず、食料や物資の不足は大変深刻でした。

 上野にも人が次第に戻り、簡素な家を建て、店を構えました。

 東北は日本の穀倉地域です。上野駅からは東北へ列車が運行されており、東北から列車に乗りたくさんの農民が上野へやってきて、米を売り、衣類などを買って帰りました。そのため、次第に多種多様な商品が売られるようになりました。

 当時は砂糖が大変貴重であり、飴が特に人気で飴屋が多かったことから「飴や横丁」と呼ばれるようになりました。それが「アメ横」の名の由来と言われています。現在でもアメ横のあちこちに菓子屋が並んでいます。

 また、戦後はアメリカ軍が日本に駐在し、米軍の不用品が日本人の間に流通しました。それらの品は上野の商店でも売買がされ、アメ横のアメはアメリカのアメだという説もあります。

 

  战争结束之后,虽然已经没有了空袭的威胁,但是市民的生活还不稳定,粮食和物资仍然很短缺。人们渐渐回到上野,建立简陋的房屋和商店,开始生活和做生意,上野一天比一天热闹了。

  东北地区是代表日本的鱼米之乡。从上野车站有向东北往返的列车,很多农民坐列车来东京卖大米,然后买生活用品等回到东北去。因此,在上野买卖的东西的种类越来越丰富了。当时,砂糖是很宝贵的东西,卖糖的商店很受欢迎,不少商店开始卖糖,所以不知什么时候开始大家就把这里叫成了 饴屋横丁 ,略称是ameyoko,这就是ameyoko的由来。现在,ameyoko里仍然有很多卖蛋糕,点心的商店。

  战后美军占领了日本,美军把不需要的东西处理给日本民众。这些东西在上野的商店也很受欢迎。所以有人说ameyoko的ame不是 饴 而是 美国。因为,在日语里饴和美的发音都是ame。

 

 私が高校生のころ(昭和60年前後)

 

 アメカジ というファッションが流行しました。

 

 わたしは アメ横の火事?と言ってしまいましたが

 正解は アメリカンカジュアルです。

 

 今回は 割とうまく書けて 先生も

 んん~基本的には大きな間違えはないわね♪とおっしゃいました。

 

 ほっとしました。自分では鱼米之乡を使ったところがいいと思っています。

 

 ※でもね 小さい間違いがゴロゴロしているのよ。

 

 わたしは 自分が変化のない生活を送っているので

 数奇な運命を送った人々に興味があります。

 

 力道山とか・・・

 

 いつか「血と骨」を読みたいです。