1850年7月に建築が始まり、11月に1基目が完成、1851年に稼働を始めました。しかし、大砲を生産するほどの溶鋼にはなかなかならず、1851年10月に、五回目にしてようやく大砲が完成します。しかし、試射後に大砲は破裂。その後も射手が爆死するなどの失敗が続き、1852年6月14回目の鋳造でようやく操業が安定しました。また、同時に反射炉の増設しており、計4基の反射炉が操業をしていました。反射炉の実用的な操業は日本初であり、大きな偉業でした。

幕府は佐賀藩の大砲完成を聞きつけ、大砲を買いつけました。佐賀藩は鉄の大砲と青銅砲を合わせると、300門近くを鋳造し、その25%を幕府が買い上げました。佐賀藩は日本の海防に大きく貢献しました。
 日本に新しい産業・技術をもたらせた反射炉ですが、操業を終えた後には跡形もなく取り壊され、現在は正確な設置場所がわかっていません。工場の跡地には小学校が建築されています。小学校脇の公園には記念碑と反射炉・大砲の復元品が設置されています。
 1975年より、毎年12月2日には佐賀県の工業連合会は反射炉の功績をたたえ、復元した大砲で祝砲を放っています。12月2日は第一回の鋳造が行われた記念日です。鍋島直正と佐賀藩の功績は永遠にあせることはありません。


  1850年7月开始建造反射炉,11月第一基竣工了,1851年开始运转。但是,产量远远达到制造大炮,品质也很差。1851年10月第五次运转的时候,终于完成了一门大炮。但是,实际放炮之后,大炮就破裂了。之后,几次放炮但是都失败,有时候,失败之后,射手也因为被大炮爆炸产生力量击中而牺牲了。1852年第14次运时,终于成功了,之后操作也渐渐稳定了。佐贺藩同时建立了3基反射炉,在佐贺藩运转的反射炉一共有4基。佐贺藩的反射炉是日本第一次实际运转,说是历史上的丰功伟绩也不为过。
 江户幕府获得佐贺藩成功制造大炮的消息,就购买了大炮。佐贺藩制造的大炮,铁制大炮和青铜制大炮一共有300门以上。江户幕府购买了25%得产量。佐贺藩对日本海防作出了很大的贡献。
  反射炉给日本社会带来了新的产业和技术,但是,结束运转后,消失的无影无踪了。现在连正确的建立地也无法知道。现在,在原来有工厂的地方,建立了一所小学。小学的附近有一所公园,公园里建立了纪念碑和反射炉和大炮的复制品。从1975年,每年12月2日,佐贺县工业联合会为了称赞反射炉的功绩,用大炮的复制品鸣了礼炮。12月2日,就是第一次举行运转的纪念日。锅岛直正和佐贺藩的功绩永垂不朽。

 

 観光客どころか地元の人もいなかった。

 

 写真撮り放題でした。

 

 途中、反射炉遺跡(遺跡というには時代が近いような気がして違和感が・・・)なども通りがかりましたが、

 目的地に着くことに必死でじっくり見られませんでした。

 いつか 反射炉メインの旅をしたいです。

 

 佐賀市内を自転車で巡りましたが、城址跡のお堀が素晴らしかったです。

 

 軍艦島は佐賀藩(だったと思う)の領土で、軍艦島から算出される石炭は陶磁器製造の際に

 燃料として使われたそうです。

 

 私は日本史はなんとなくしか知識がなく(おい)、藩の特色などは全く知識がないのですが、

佐賀の方はきっと 佐賀藩すごいでしょ、どうよ!!!というお気持ちを持っていると思います。

 

 すごい 佐賀藩。

 

 もっと日本史・江戸時代に詳しくなって マニアな仲間を見つけて

 「何藩が好き?」とか話してみたいです。

 

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