長崎県 平和公園

 

 平和公園は、長崎市松山町に位置する公園。1945年8月9日に投下された原子爆弾落下中心地(爆心地)と、その北側の丘の上とを含めた地域に、 平和を祈って設けられた公園です。1949年から整備が始まりました。

公園内は大きく分けて、「願いのゾーン」「祈りのゾーン」「学びのゾーン」の3つで構成されています。

 「願いのゾーン」は丘の上にあります、ここにはかつて刑務所がありました。原子爆弾炸裂後、刑務所内にいた職員、官舎に住んでいた家族、受刑者ら134名は即死。刑務所も1本の煙突と外壁の基礎部分のみを残し焼失しました。現在はこの基礎部分が保存され、刑務所跡の標識が設置されています。

 原子爆弾は75000人もの命を奪いましたが、身元や氏名不詳の遺骨や、氏名がわかっていても一家全滅などで引き取り手がない遺体もたくさんありました。それらの遺体を安置しているお堂があります。

 

  和平公园是位于长崎市松山町的一所公园。1945年8月9日美军把原子弹投在了松山町。战争结束后,市政府为了祈祷永远的和平,在投放地和投放地北方的小山上建立的公园就是和平公园。市政府从1949年开始了建造。

  公园里由“愿望的领域”、“祈祷的领域”、“学习的领域”三个领域组成。

  愿望的领域在一座小山上,原子弹爆炸之前在这里有一所监狱。原子弹爆炸后,监狱里和宿舍里的所有人(监狱和宿舍的所有人),包括服刑者,职员以及职员的家人等共134人全都死了。监狱也除了一支烟囱和外墙的基础部分以外都烧光了。现在,公园仍然保持着外墙的基础部分,并且在旁边放置了说明板。

  原子弹剥夺了75000人的宝贵生命。由于身份姓名不明或者虽然明白身份但是他的家人也都死了等理由,不少尸体都没有进坟墓。愿望的领域有一座寺庙,这些尸体安放在寺庙里。


行ってきました、平和公園。

長崎市は戦後復興に力を入れたので、原爆の遺跡は少ないそうです。

 

長崎に着いた日は 雨でした。

 

でも いいのです。

 

長崎は今日も雨なのです♪

 

公園の中に資料館があるという構成なのですね、

初めて知りました。

 

この文章を書きながら あらためて平和公園の成り立ちをすることができました。

 

刑務所には外国人も収監されていたそうです。

どんな罪を犯してしまったのでしょうか。

 

異国の地の刑務所で被爆死するとは

どんな気持ちだったのでしょうか。

 

当たり前すぎてわからなかった平和の尊さ、

今を生きることのありがたさをしみじみと感じます。