日本人は改良が好きだ。だから優秀な人ほど事象の悪い点を見出すのが得意で、批判するつもりは無くても結果そうなる場合が多い。そして揚げ足を取るのがどんどん上手になる。

私は、悪い事例を批判していくよりもこういう良い事例を見つけては活動に参加して見る方がいいと思う。そして、生活で、裏の無い良い事例が無理せず集まるのがより好ましい。

ところで、都市化する日本で孤独や過労、嫉妬、虐め、と問題が浮き彫りになっている。実際目の前で起きる悪い事象は、今の日本社会で過ごす以上、起こり得る事だとも思うけれど、対処に関して言えば、全ては気の持ちようだとも思う。だからアドラーとか流行るのだ。今の情報社会の海で生き抜くには、自分の視点が歪んでいるなら自分でどうにか正位置に戻す動作をするしかないし、自分で視点を操作するしか無いと思う。

 

 子供たちはいままでの我々の経験や、状況を的確に捉えてそれを周到に経験として同じ大きさで記憶に入れていくけれど、そこから更に自分の経験から、大きくバイアスがかかったり、トラウマとなったりして人格が形成される事があると思う。少し前までは「社会のせい」で片付けられた事も、今時はそれさえも克服し、修正される強さを子供たちが手に入れなければならない。自分でペースを守る事や、走り続けるならその体力から心のエネルギーまでも自分で補給する、ハイブリッドキッズがもとめられる。

 

 その割には、どんなに素晴らしい学校にいったとしても、結局家庭教育が子供たちの人格やら生き方なんかを作る気がする。学校側は起きたトラブルや子供同士のやりとりになんだかんだ無関心だ。結局社会に任せていただけではこれだけはほっといて手に入れられる能力ではないのだ。

 

 セブンイレブンの成功例でいうと、美味しさを数値化する事で、これまで判断しにくかった美味しさという概念をお互いに認知し易くした。その結果、改良の方向性を正しく示す事が出来て、そこを社員が研鑽したので、セブンイレブンのお惣菜市場は拡大し、売り上げが安定したという。人格や性格も様々に認知すべく本などが出来ているけれども、学校側が勉強だけで無く人格の形成においても面倒を見ているというなら、研究機関が成長曲線など出して、数値化して判断してくれるものをとりいれ提示してくれる方がよっぽど良心的だと思う。今の時点で、正直、先生の尺度(好き嫌い)でしか、そんなもの図れていないのに、どうやって期待値以上の素晴らしい人格や性質を生み出そうというのか。

 

 そんなことさえも整備されていない学校に子供の人格形成を任せる事などとんでもない。

家庭教育で子供たちの人の心を育て、善悪の判断を教えて行かなければいけない。

良い小学校にいれてもそこからがスタートで、子供たちがどんどん吸収していく時期、1、2年生のうちから、言葉遣いや、心配り、相手への思いやり等を教えていかなければ、「うちの子幼いから分からなくて、、、」等と言って子供の突発的な行動から逃げていたら、子供が出来ることも出来なくなる。親だって、子供にいちいちアテンションし続ける事なんて辛い。しかし、その一言が、子供を作ると思って、手間暇かけることは過保護ではく、母としての仕事だと信じている。

 

 周りの教育者や、素晴らしい活躍をする人達はこちらが黙っていても他人が啓発される様な事を発言しているし、それが仕事かもしれないけれど、自信を持って親として個人の考えを示す人は少ない気がする。できることなら、母親として、こういうことを提唱する仲間が、もっと増えて欲しいと思う。あなたのやりたい事はなんですか?お金が沢山あったら何をしたいですか?あなたが情熱を持っている事、一生やり続けたいことって何ですか?っていう問いに何もないな、、、と思っていて、今日気付いたのだけど、私確実に”子育て”にハマってると思う。だから真剣に子育てしたいし、今時の社会にも切り込みたいと思う。同じような考え方をもっている人に出会いたい。