先日久しぶりに宝塚歌劇を観てきました。

 

その時に感じたことなど。

 

 

複雑な思いを抱えての観劇でしたが、そこには今までと何も変わらない宝塚がありました。

 

同時に、これほどまでに豪華絢爛で完成された舞台を、低価格で観ることができることの意味を考えてしまいました。

 

客席にいて、ふと現実に引き戻されるのです。複雑な思いに囚われるのです。

 

多少長く宝塚歌劇を観ていれば、宝塚歌劇団の特殊性に気づくものですが、私はうっすら見えるものから、ぼんやりとでも確かに感じる違和感から目を逸らしてきました。見て見ぬふりをしていました。そういう意味で、観ていて苦しいのです。

 

 

 

日常の諸々を数時間忘れて夢の舞台を楽しみ、明日への活力を受取ってきた宝塚歌劇。

 

思春期の頃に宝塚歌劇を通して、歴史・文学・映画・古典芸能と、様々な芸術を学ぶ機会を与えてもらったという感謝は今も消えてはいません。

 

見守り祈ることしかできませんが、劇団がもうこれ以上悲劇を繰り返すことのないように、私なりに宝塚歌劇団のやり方を注視し続けようと思います。

 

110期生の笑顔が、守られますように。

宝塚歌劇団に関わる全ての人の人権が尊重されますように。


 

劇団を注視するのは、気づかぬふりをしつつ、タカラジェンヌと宝塚歌劇から50年近く癒しとパワーを受け取ってきた私の責務だと考えるからです。誰にもそんなこと頼まれてはいませんが、勝手にそう決めました。

 

 

友の会の会員でなくても、スカステを見なくても、観劇する気持ちになれなくても、記者会見を全て視聴し、公表された文書に目を通し、宝塚歌劇団の行く末を厳しく見ているファンはたくさんいると思います。

 

劇団にはこれまでの不誠実極まりない対応を真摯に反省して、改革を本気で進めてほしいです。