リー君への気持ちは、完全に冷めました。
彼はいい人ですが、彼のパーソナリティーは、私にはだいぶ若すぎるということが分かったので。
先日、アレン(スイス人クラスメート)のお別れ会の席で、彼が私にどういう感情をもっているのか、ふとした彼の仕草から私は感じ取りました。
私にとって、相手の年齢は関係ないけれど、精神的な成熟度は必須です。
彼への気持ちが冷めたら、なんだか急に、気持ちが現実へと向き始めました。ファンタジーとしての恋愛は自分には不要だと、急に思ったんです。
学校にいる、若いコリアン男子たち。
彼らを恋愛対象として見ること自体、無理があるのではないか、と、最初から分かってはいたけれど。
兵役期間があるせいで、コリアン男子は24~25歳になっても、まだ大学生。
年齢に比べて幼いな、と思うことがたびたびあります。もちろん、大学生にしてすでに、いかに家族を守っていくかを考えているしっかり者もいて、個人差はありますけれど。
とにかく、私を受け入れる皿は、彼らは持っていないと思います。
彼らの皿が受け入れるのは、きっと私とは違うタイプの女の子。
感情をはっきりと顔に出し、シリアスな話題も好きで、英語で話すとなぜか口数の多くなる私。
慎みのない感じがしてときどき自分で自分が恥ずかしいのですが、学校では、オープンマインドでフレンドリーなキャラクターに見えるみたいです。日本語を話している本来の私は、ファニーでもオープンマインドでもないんですけれど・・・。
カナダ人のトーマスは、こんな私をおもしろがってくれているようですが、たぶん、トーマスの感覚と、学校のコリアン男子たちの感覚は、だいぶ違うのではないかと思います。
やっぱり、私の前の彼は、特別な人だったんだな~と思います。
彼は若いのに、とても成熟した人でした。
常に冷静で、思慮深く、小さなことは気にかけず、大胆で、どんなことも受け入れてくれました。
でも、コリアン男子らしい子供っぽさも持ち合わせていて、難しいことをたくさん知っているのに、私の前ではいつもだたのファニーな人でした。
その彼も、年齢は学校のコリアン男子たちと同じだけれど、韓国に友人がほとんどおらず、いつもヨーロッパの文化とつきあっている人だったので、平均的なコリアン男子と比べると、特殊なタイプだったんじゃなかと思います。
こんな私のことを好きになってくれた、前の彼のような感覚は、きっと学校のコリアン男子たちは持ちあわせていない。コリアン男子はたしかに魅力的だけれど、やっぱり彼とはちがうんだ。彼の持っていたものを、彼らには求められない。
そのことに、はっきりと気がついてしまいました。
人生を歩んでいくうえで大切なものは「自信」だと、ここカナダで改めて気づかされました。これは、子供からお年寄りまで、誰にとっても言えることだと思うのです。
そのためにはまず、私は誰に対しても、思いやりをもって接することのできる自分でいようと思います。
そして、帰国して現実の世界に戻ったら、心身ともに、常にいいコンディションの自分でいるためのメンテナンスを怠るまいと、心に誓いました☆