ご訪問ありがとうございますkeroppi

 

先だっての台風は恐ろしかったですね。

みなさま、大きな被害なくお過ごしでしょうか。

もし、被害などありましたら、早く復旧いたしますように。

 

その台風で、たくさんの木々が倒れたり、

枝が折れたりしていました。

わが家の向かいの公園に植わっている

オリーブの木もしかり。

 

毎日、ああ、かわいそうに、と思いながら

通り過ぎていたのですが、

昨日、

「あ、折れてしまったものを家で活けさせてもらったら

また、生き続けることができるんじゃ」

と思いついて、

2本ほど頂いてまいりました。




 

おはようございます。

家にグリーンができて、ちょっといい気分。

「わたし道」の樗木まほろです。

 

 

さて、そう。

「他人に優しく、自分に厳しく」

て、ひょっとしたら嘘、

というか、

本人の現時点での立ち位置によって

変わってくるものかもなぁ

と、今思っています。


自分も他人も、全体の中の一要素で

全体には、

厳しさと優しさが半分ずつ


だから、そのバランスを自他でちょうどいい

塩梅にしようよ、


というのが、本質。


冒頭のことばは、

人とはまず自分のことから考えるように

なってるから、

その前提のもとで中庸にもっていくのに

どうしたらいいのかと

考えられたことばだと

私は思うのね。


だから、

このことばにひたすら従って

やりすぎちゃったら、どうなるか。


自分に厳しすぎ、他人に優しすぎ


そしたら、

自分という器の中で

厳しさ>優しさ

になっちゃう。


そしたら、外から来る優しさを

求めてバランスを取ろうとするのが自然。

そして、無意識な「甘え」になる。


そう!

そこの!

自分は「無意識に甘えた」なので、

もっと自分に厳しくしなきゃと思ってる

そこのあなた!!


あなたは、もしかして、

自分に厳しくしすぎてませんか?


自分に厳しくすればするほど、

もっと他人に甘えようとする行動が

「無意識に」出ちゃう。


そんな現状なら

あえて、

自分で自分を緩めて、オッケーなのかも。


試行錯誤だから、

最初はうまくいかないこともあるだろうけど、

バランスをとる方向をあれこれ

試しているうちに

ちょうど半分のところに

自然に落ち着くだろう。


そう、


それが自然だから。