ご訪問ありがとうございます

通勤途中にある居酒屋さんが、
外壁に川柳の看板を掲げ始めました。

「プロポーズ あの日にかえって取り消したい」
「湯上りの妻見て歳暮ハムにした」

とか。

今日、種類が増えてて、
何やろ?と見てみると

「『神さまは見ているからね』『見てるだけ』」

昔々のCMの口ぶりが頭に去来し、
思わず吹き出しそうになりました。

見てるだけの神さま…。
お願い。
せめて、見守ってください。


おはようございます
「わたし道」の樗木まほろです。

さて、
何かが心にひっかかりやすくなっているとき
「気のせいやよー」
と声をかけられるときがありますよね。
あれを聞いたときに、
「普通の人は気にならない
こんなことが気になる私が悪いのだから
私の考え方、感じ方を変えねばならない」
と思うこと、ありませんか?

はーい、私、そのタイプでーす。

それもまた、その人の考え方でいいんだけど、
「自分が悪い」
「〜ねばならない」
だから、しんどそうですねー。

はい、しんどいです。

「気のせい」といわれるとき、
どんなことが起こっているのか。

考えられるパターンが
少なくとも2つあって、

1.自分の感度がよすぎて、
   些細な変化をキャッチしている
   →人は人、自分は自分
       気にして、何か対応してもオッケー

2.「『気』のせい」
     気の流れが悪くなってたり、
     悪い気が入ってたりして、
     その『気』の影響で、アンテナが誤作動してる
     →『気』を整えましょう

他にもあるかもしれません。
が、
「気のせい」で、さらっと流せない思いが
あるときは、きっと何かの理由があるから、
流せない自分でオッケーなのだと、思うよー。

でも、自分を無理やり説得したり
我慢したりすると、そのエネルギーが
自分の中に残っちゃうからしんどいかもね。

エネルギーには、しっかり流れてもらいましょう!
多分、断捨離と一緒で
溜め込んでるゴミエネルギーに出てってもらったら
新鮮でフレッシュなエネルギーが入ってきて
元気になるんだよ。

なんか最近、そんな気がしてる。

では、今日も笑顔と「好き」パワーで
よい1日を