ボブ・ディランの来日公演が終わってしまいました。僕は今回はチケットを取るのを断念したのですけど、菅野ヘッケルさんのコンサートレポートを連日ネットで読んで楽しんでました。現在での最新アルバム『ラフ・アンド・ローディ・ウェイズ』からのナンバー中心のセットリストだったみたいですね。

他、いくつかネットでコンサートを観た方の感想を読みましたが、概ね高評価。特にディランの歌声が過去最高に素晴らしかったとのこと。うーん観たかった。家族の病院の付き添いもあって、ここのところ仕事の休みを取りすぎてたので、今回は無理だったと納得してますけど残念。

マァ、チケット代金の高さに怯んで諦めた、ってところもあります。先日、チープ・トリック公演(中止になった)のチケットを払い戻してきたのですけど、ディランのチケット代ってチープ・トリックのほぼ倍額じゃん、て改めて思いました。しかも一番安い席で。100分のコンサートに2万円以上出すのはやはり勇気入りますよ。

で、今回の東京公演でなんと、ディランが「トラッキン(グレイトフル・デッドのカバー)」を披露した、と話題になってました。この歌を取り上げるのはなんと世界初だそうで。気になってひさしぶりにCDを引っ張り出してみました。
デッドの超有名作『アメリカン・ビューティ』を、夜勤明けの昼間、寝る時に毎日ずっとかけてました。

ピーター・バラカンや片寄明人さんがデッドのアルバムを熱く褒めている文章を書いていて、そんなに良いのかどれどれと、以前に何枚かアルバムを買ってみたのですが、正直、最初に聴いた時は全くピンと来なくて、デッド退屈だとすら思ってた(デッドファンの皆さんスミマセン)。

ですけど、今週この一枚を寝る前に毎日しつこく聴いているうちに、冒頭の3曲くらいから、あ、結構良いかも?、と思えるようになってきました。「FRIEND OF THE DEVIL」なんてちょっとディランっぽいじゃん、とか。曲によってはザ・バンドっぽい歌もあったりして。遅まきながらようやくデッド開眼した?


ディランは80年代にデッドと一緒にツアーを回って、ライブアルバムも出してます(このアルバムの評判は散々ですが、僕は嫌いじゃない)。

 

自ら自分をメンバーにしてくれとデッドに申し込んだ、という逸話もあるくらい、ディランはデッドの音楽が好きだったのでしょうね。


最近出たばかりのディランの本『ソングの哲学』でも、グレイトフル・デッドの「トラッキン」をまさに取り上げてます。

 ゆっくり読み進めてます。たいへん面白い本です。


 

グレイトフル・デッドの音楽の楽しみ方がイマイチわからない、という印象を、僕は長いこと持っていました。実は今もまだそうなのですが、歌声を聴いてもあまり個性の強くない声で、歌ってる人の顔が見えてこないというか。歌が頭に入ってこなくて、覚えられないから口ずさめないのです。

逆を言えば、覚えられないってことは、飽きにくい、ってこととも言えます。何度かかけているうちに、ちょっとずつ印象に残るフレーズが出てきて、ジワジワと染みるようになった。世界中で広く愛されてる音楽にはやはりそれだけの理由があるのだな、とようやく思えてきました。

デッドの代表作と呼ばれる『アメリカン・ビューティ』『ワーキングマンズ・デッド』を僕が受け付けなかったのは、CSN&Yとかイーグルスにも共通する、カラッとしたアメリカン音楽でござい楓のコーラスが苦手だったのかも知れません。一番最初に買った『マーズ・ホテル』はスッと好きだと思えたから。

洋楽を聴き始めたころ、僕はどちらかと言えばブリティッシュ音楽にハマってたので、CSN&Yやイーグルスは音のカラッとした明るさに戸惑って、聴いてもあんまり切なくならなかった(曲にも寄りますが)。デッドがピンと来なかったのも典型的にそれだった気がします。今でこそカラッとした音楽もそれなりに好きなのですけどね。

(あと、山下達郎がデッド嫌いと言ったのも大きいかも。《一番嫌いなバンドがグレイトフル・デッド。5分で終わる曲を10分に引き伸ばすようなバンド嫌いなの。だから僕、同様にニール・ヤングも嫌い》)

今回『アメリカン・ビューティ』の楽しみ方がわかってきて、このまま聴いていれば無人島アルバムくらい好きになったりするかも(繰り返し聴くのに向いてそう)。全曲好きになれたら次は『ワーキングマンズ・デッド』を攻略して、その次は通称《薔薇と骸骨》のライブアルバムをやっつける。受け付けなくてダメ元で。

自分のCD棚にずーっと眠っていた金鉱を見つけた気分。しばらくはデッドで楽しめそうで嬉しいです。


今日は牧之原でラフレシアが歌ってきます。連れ合いは先ほど家を出ましたが、ピアノを運ぶキャリーに縛る紐を忘れていきました。無事を祈る。

音ってのは、どんなに耳を塞ごうが聴こえてしまうものです。本やテレビなら目を逸らせば済むけど、音はすぐ近くで鳴らされたら逃れるのはほぼ不可能。選挙カーの演説とかうるさいと思っても、抗いようがない。音楽を聴きたいわけじゃない人に不意に聴こえてくる音楽も、ひょっとしたら騒音と同じようなものかも知れないなって、ふと思いました。

街角で不意に聴こえてくる音楽は、未知の音楽との出会いの一つではあります。それは素敵な不意打ちかも知れない。最近は、え?こんな場所で?と驚くほどいろいろな場所で音楽イベントが開催されていて、そのことは音楽好きにとっては楽しいことですが、《本来音楽が鳴るはずじゃなかった場所で音楽を鳴らす》ってことに、ほんのちょっとだけ、謙虚な気持ちを持つべきかも、と最近とみに思ったりします。耳を塞ぎたい人はいるかも知れない、ってことを忘れずに。

実際に僕、屋外のイベントで、いざ第一声を発した途端、目の前にいた子供にすごい顔して耳を塞がれた経験がありまして。さぞうるさいって思ったんでしょうね。本当に、大きい声を出して驚かしてゴメンねって心の中で謝りました。

ツキクズとほしは間違いなく《音楽を鳴らすべき場所》で、そこに集うのは《音楽を聴きたくて集まった人》達です(もちろん袋井市のライブ喫茶マムゼルも)。誰にも遠慮はいらない。心置きなく楽しく歌わせてもらいます。


マシス