これおもしろい。

私は、理事長になられました関本さんには長い間ご指導いただいておりまして、今般このような研究所が設立されるということを大変喜んでおります。特にワシントン勤務であった頃に、ワシントンにお見えになった関本さんと色々な意見を交わさせてこと等をよく覚えております。私の議論の視点は、ここにお集まりいただいている皆様と同じように経済の現場でモノを考えているということ、そして、日本を外から見る機会が多いということであると思っております。本日はそういった視点でお話しさせていただきます。


今年の夏も、色々と海外を巡ってまいりました。OECDのフューチャーフォーラムや、陪席にすぎませんが13年間に渡って日米財界人会議を見てきておりますし、今年は沖縄でサミットもありました。また、ここのところ、アジアのIT関連で、シンガポールや中国に行く機会も多くなっておりますが、今、外から日本を見て痛感することがございます。まずは、その話から始めていきたいと思います。日本という島国の中にじっと座っていると、失われた10年の閉塞感、窒息感が溢れておりまして、千代田生命だ、そごうだという話題を聞くと気が重くなってしまいます。しかし、日本を除く世界では、人類の歴史始まって以来の「好況の同時化」が起こっています。どういういうことかと申しますと、例えばアメリカでは、今年の初めくらいには「いくらIT革命だ、インフレなき継続的成長だと言っても、今年は失速してくるだろう」と予想されていました。実質3%ぐらいに収斂すればいい方だというソフトランディング論が言われていた訳です。しかし、10ヶ月過ぎてみれば、今年アメリカは間違いなく実質5%成長になり、「火を噴くような成長」、「116ヶ月連続成長」などと言われています。
欧州も驚くほどいい経済状態であります。昨年の今ごろは、「周辺が中心を支える」というのがEUに対するイメージでした。中核のイギリス、フランス、ドイツ等は比較的低迷し、アイルランド、オランダ、北欧といったセントラル・ヨーロッパが好調というようにとらえておりました。しかし、ここに来て、中核の国々も好調となっています。ユーロは安いのですが、実体経済はとてもいい状況です。昨年、EUは2%成長で、今年は3%になるだろうと予想していましたが、間違いなく4%成長です。アメリカでの経常収支における赤字の3分の2を欧州からの資金流入が埋めていると言われており、欧州で景気がよくなると、アメリカに資金が回らなくなるということが不安材料として指摘されるほど欧州はいい状態であります。
中国は、1992年に14.1%の実質成長をしましたが、スパイラルダウンで昨年は7.1%まで落ちました。今年、もし5%台にくれば、間違いなく人民元を切り下げてくるなと、我々は見ていましたが、今年の中国はとてもよく、8%以上の成長といわれています。IT関連機器材の輸出が好調の原因になっています。韓国、台湾は7.5~8%、アセアンも97年のアジア危機から脱出し、今年は5%成長になっています。
中南米は、ブラジルを含めて4%の成長率になっています。中近東も、昨年の1バーレル当たり11~12ドルであった石油価格が、現在30ドルを超えており、産油国を中心に石油収入が増加し、4%成長になるといわれています。
ロシアは、水面上にようやく出てきたのが去年、おととしという感じでしたが、今年は4%近い成長をするだろうと言われています。
ざっと話してきましたが、頭の中に浮かんでくるのは、「除く日本」ということです。今、世界は火を噴くような成長の同時化が起きているのです。


この話を聞きますと、2つの問題意識がでてくると思います。ひとつは、地球は4%成長に耐えられるのかということです。世界平均で実質4%成長ですが、来年、もし失速したとしても3.5~4%と言われています。20世紀はアメリカの世紀と言われてきましたが、それでも99年間のアメリカの平均成長率は2.1%です。覇権国といわれたアメリカが2.1%という数字であるのに、世界全体が4%成長することは、狂気の沙汰ともいえる成長です。エネルギー、環境問題等を考えると、地球が4%成長に耐えられるかという視点は必ずでてきます。
もうひとつの問題意識は、なぜ日本だけが取り残されているのかということです。もし、この国が主体的、戦略的に世界のエネルギー問題、環境問題を配慮し低成長路線を選んでいるのであれば立派ですが、真実は、ずり落ちている訳です。冷戦後のシステム再設計に立ち遅れてしまったのが原因であろうと私は考えています。失われた10年を引きずり、このままでは失われた20年にもなりかねないような様相で走っているのが日本であります。
実は、経済だけでなく、政治あるいはガバナンスにも問題があります。世界から見た日本が、どのように写っているかということです。今、東アジアから世界に向けて発信されているメッセージは、大変熱いものがあります。例えば、中国は、昨年マカオを取り戻しました。アヘン戦争から160年かかりましたが、西欧の植民地を一掃しました。中国の人と議論していると「強勢外交」という言葉を使いますが、「日本は弱勢外交ですね」とニヤッと笑われてしまいます。
台湾は、今年、総統選挙がありました。今、世界は台湾をどう見ているかというと、1942年に共産中国ができて以来、国民党支配が続いてきました。台湾の人たちは、21世紀の台湾を模索して、民主的手続きにより改革を行いました。この総統選挙により、考え抜き、戦っているというイメージが世界に向けて発信されています。
朝鮮半島でも、南北朝鮮会談がございました。今から10年後に歴史年表に載るようなことといいましたら、この出来事だと思います。この南北朝鮮会談には、アメリカの姿はみえませんでした。慌ててオルブライト長官が朝鮮に行きましたが、アメリカが仕切った訳ではないということです。今まで、世界は「朝鮮半島はアメリカが仕切っている」、「北朝鮮は、アメリカだけを外交の相手としている」、「韓国は、アメリカに守られている」といったイメージで見ていました。南北朝鮮会談は、中国が背後で動いたとは言われていますが、朝鮮半島に住んでいる人が朝鮮半島の未来を決めていこうという気迫が世界に対して発信されている訳です。共同宣言の第一条には「自主的統合」という言葉が出ています。これは、統合に20年かかるか、30年かかるかわかりませんが、「自主的」というところに強調点をつけて読まなくてはいけないと思います。朝鮮半島のことは、自分達で決めていくのだという姿勢がでています。
これらのアジアの国々とのコントラストで、日本は見られることになります。「一体に日本はどうしているのか」ということが、OECDの会議でも率直な疑問としてぶつけられます。日本も7月に総選挙がありました。日本に駐在している欧米メディアが発信している「小渕さんの娘が当選した」、「二世議員が多い」といった情報により日本のイメージを作られ、揺すぶられているともいえますが、知日派といわれる日本、アジアの専門家が日本を分析する視点が非常にきつくなってきています。それは、「日本人は、真面目に21世紀を構想し、議論し、模索しているとは思えない」というのが、多くのイメージなのです。あの総選挙を通じて、日本はこの国の外交、国際関係というものを一切の争点にさえしなかったからです。世界の多くは、日本に対して「?」マークを持っています。
小渕さんの後を引き継いだ森総理は、5月にサミットの準備で世界を駆け巡りました。5月1日にはクリントン大統領にも会っていますが、その時にアメリカの新聞に大変おもしろい表現がでています。「クリントンは、まもなく8年の任期を終えようとしているが、これで7人目の日本の首相と面談した。」という記事で、確かに、クリントンは宮沢首相以来7人の首相に会っています。失われた10年といわれた期間に、日本は9人の首相を誕生させ、90年代を戦ってきました。究極の政治セクターの混迷という状況を続けてきた訳です。冷戦期の55体制を引きずり、「保守」対「革新」という枠組みだけで政治のスキームを作ってきたため、冷戦後の構造変化に対応しきれなくなっています。かつての「革新」と言われた勢力が、どれほど液状化し流動化しているかは、ご覧になっているとおりです。先日のOECDの会議で、ブラックジョークのような究極のコメントを聞いて、飛び上がりました。「ひょっとしたら日本はものすごい国かもしれない。大変な潜在力を持った国かもしれない。なぜなら、冷戦後の世界の激変期に一切の指導力なく立ち向かっているのだから、相当なポテンシャルをもった国に違いない。」といったコメントが出てきてギョッとしました。


そういった問題意識を背景にしながら、本日はIT問題について要点にふれていきたいと思っています。今、我々がどういった時代に生きているかということに対しては、エコノミストをはじめ、色々な方がコメントしております。
昨年、日経新聞が「新資本主義が来た」という特集企画を組み、本にもなっています。どうも我々は、これから「新資本主義」という時代を生きていくらしいということを象徴しているタイトルです。これを「サイバー資本主義」という言い方をする人たちもいます。では、「新資本主義」とは一体何なにかというと、難しい話ではありません。中身を因数分解しますと、「IT革命×グローバル化=新資本主義」という構図で時代を議論している人が大半です。しかし、物事の本質を考え抜く人であれば、とっくに気が付いていると思いますが、IT革命の震源地はどこかと聞かれれば、それはアメリカであります。特に90年代におけるIT革命の震源地はアメリカです。IT革命は、人類の歴史と共にずっと続いているものですが、90年代におけるIT革命は、インターネットに象徴されるものです。となれば、インターネットとは何かということになります。このようなセミナーにご出席されている皆様には常識にすぎませんが、インターネットの基盤技術は、1962年からペンタゴン(国防省)の高等研究計画局(ARPA)が軍事技術として開発したものです。中央制御の大型コンピュータで防衛システムを管理していた場合、そこにソビエトからの核攻撃を受けたならば、すべての防衛システムがブラックアウトしてしまいます。そこで、開放系分散系のネットワーク技術を構築していこうという目的でインターネットは開発されました。簡単にいえば、軍事技術だったわけです。それが90年代に入って、民生用に開放されました。商業ネットワークとリンクし、瞬く間に情報技術の基盤技術として我々の周りを取り巻く水や空気のように定着してきています。IT革命は、冷戦後のアメリカにおける軍事技術の民生転換へのパラダイムシフトであったということが総括される時代がくると思います。従いまして、IT革命の90年代の震源地はアメリカなのです。グローバル化についても考えてみますと、冷戦後に論壇で言われていた「大競争の時代」、「市場主義、競争主義の時代」、「規制緩和」といった言葉の背景には、冷戦後の東西の壁が崩れ、国境の制約を越えて「ヒト」、「モノ」、「カネ」「技術」、「情報」が自由に駆け巡るような時代を作っていくことが人類の進歩であるという価値観がにじみ出ています。そういう価値観を発信しているのも、言うまでもなくアメリカなのです。


ここに来て、欧州のNGOが、グローバリゼーション批判を強めているのは、欧州の20世紀とアメリカの20世紀の違いを際だたせています。欧州では、イギリスでさえも6回も労働党政権が作られ、社会主義というコンセプトにのめり込み、さんざんネガティブ部分も味わって世紀末を迎えています。よく欧州の人は、アメリカを揶揄して「資本原理主義の総本山だから」という言い方をします。イスラム原理主義になぞらえて、キャピタリズムのファンダメンタリストと言っているわけです。骨の隋まで資本主義の国であり、一度たりとも社会主義政党を育てたことも、社会主義政権を作ったことがありません。民主党、共和党と言っていますが、レッテルが違う中身の同じビンという表現をする人もいます。ところが、欧州は社会主義にのめり込み、苦い思いもしましたが、社会主義の背後にある理念は引きずっています。EU加盟国15カ国のうち11カ国で、かつて社会主義政党といわれた政党が政権についてます。去年までは、ベルギーとルクセンブルグもありましたので13カ国もありました。日本人の感覚からいえば、考えられないことです。社会主義といえば、シーラカンスのような19世紀の産物ではないかという感覚で捉らえがちであります。社会主義の復活といっているのではなく、市場経済下での社会政策でのバランスであり、アメリカ流の市場主義と一線画していこうということを欧州はやっているのです。
競争主義、市場主義の震源地がアメリカであることは言うまでもありません。今、我々が生きている時代のゲームは何かといえば、「再びアメリカか」というの潮流の中に立っていると単純化しても、当たらずとも遠からずという感じがあります。
今年の夏、あるセミナーで作家の五木寛之氏とお会いしました。五木氏が大変おもしろいことを言っておりまして、このことに触れることで私の問題意識をお伝えしたいと思います。彼は、社会科学者でもなく、経済の現場で生きている訳でもありませんが、モノ書きの直感で「我々の明治の先輩達は、押し寄せる西洋化の潮流に立ち向かいながら、『和魂洋才』という言葉を胸に歯を食いしばった。」と言っていました。私も直近でだした本に「1900年への旅」という本があり、1900年という年に大変こだわっています。本の冒頭に「1900年パリ」という部分があり、1900年5月に日露戦争の天才参謀と言われた秋山真之がパリのエッフェル塔に登り、その時に彼の残したメモから始まっています。夏目漱石がロンドンに行ったのも、南方熊楠が大英博物館で働いていたのも1900年と、それを追いかけたのがその本の内容です。そういう作業をしていましたので、余計に五木さんの言葉が沁みるのです。新渡戸稲造が「武士道」を英訳で出版したのが1900年、内村鑑三の「代表的日本人」、岡倉天心の茶の本も同じ時期に英文で出版されています。明治維新から30年経たところで、当時、国際化の最先端を走っていた人たちが英文で「日本とは」「日本人とは」ということを考え抜いて出版した作品が、1900年前後に集中している訳です。今日、私は世界中を駆け回る仕事をしていますが、ロンドン、NYといった書店で日本について書いてある本のコーナーを見ますと、非常に残念ですが100年前の先輩が出版した本を超えている内容のものはありません。もちろん、阿部公房や三島由紀夫といった作品は翻訳されていますが、日本というものを正面から書いたものはなく、この100年間は一体何だったのだろうかと考えさせられます。
五木さんは、次に「マッカサーが来て、日本人は『無魂洋才』になり、今、日本人は『洋魂洋才』になれと迫られている。さて、日本人はどうするのか。」と言っています。彼の言う「洋魂洋才」という言葉と、「『今、再びアメリカか』という潮流にさらされている」という私の認識が非常に共鳴しあうと感じています。この「再び、アメリカか」という潮流に触れるためには、どうしてもIT革命に触れなければなりません。
1980年代の終わり、私達のアメリカ観は「衰亡するアメリカ」でした。20世紀において、T型フォードを生み出し、大量生産大量消費の時代をリードしてきたのはアメリカであり、アメリカの世紀と言われてきました。しかし、日本は、1975年に粗鋼生産で追い抜き、80年代には自動車生産でアメリカを追い抜き始めました。モノを作る力、工業生産力を基準にすれば、アメリカの衰亡が際立っていたわけです。ところが、現在、アメリカは再活性化してきています。わずか10年の間にパラダイム転換が起こっています。それは、IT革命のインパクトが非常に大きかったといわざる得ないのです。前述したように、世界経済における好況の同時化が起こっており、世界貿易は1996年から1999年まで年平均5.7%で伸びており、その増加寄与率のうち52%がIT関連機器材で支えられているというレポートがでています。IT革命が世界経済の活況を誘発しており、アメリカ経済の再活性化の背景にあるのもIT革命なのです。


IT推進論を旗振っている多くの人が引用する書籍に「デジタル・エコノミー」というアメリカ商務省が出版しているものがあります。アメリカの流通業が、ITを導入することでいかに効率化し、生産性が高まったか、製造業がITを導入することで、いかに効率化し、生産性が高まり、コストが下がったか。そして、コストが下がることでインフレが抑制され、インフレなき継続的成長が可能になったということが書かれており、ニューエコノミー論者と称する人たちのバイブルのようになっております。しかし、ここでは、ITの光と影における影に部分をお話することで、社会にITが与えるインパクトの中で問題意識を持っておかなければいけないと思っております。

(1)実体経済と金融経済の乖離
第一点といたしましては、先ほど関本さんもおっしゃられていた「インターネットバブル」という表現に近いことについての、私の問題意識です。「デジタル・エコノミー」といったレポートでは全く触れられていないアメリカのIT革命の現実です。私が大変気にしているのは、アメリカ経済を議論するのに一番重要なポイントは株価であるということです。現在は、株価が上がる、下がるということで一喜一憂する経済になっています。世界経済が同時好況化しているという私の話から、真面目に考える人であれば心の中に押し寄せる不安が出てくると思います。それは、実体経済と金融経済の乖離なのです。世界貿易は年平均5.7%で伸びており、1日で取引される世界貿易の額は180億ドルです。しかし、90年代には、モノの取引の100倍を超えるカネの取引が、為替の取引となって展開されています。つまり、私が言いたいのは、ITとFT(Financial Technology)の結婚ということです。アメリカの全産業セクターのうち、最も戦略的に、したたかにITを取り込み、付加価値を増幅させているように見せているのは金融業界、それも直接金融です。直接金融とは、ノンバンクであり、非貯蓄系金融機関です。401Kの年金を株式信託で運用しているような会社や、デリバティブを運用しているヘッジファンドのようなところが、IT革命の技術基盤を活かして付加価値を膨らませているところに90年代アメリカ産業の大きな特徴があります。
80年代アメリカ産業の中核は、軍事産業でした。産軍複合体という言葉が盛んに使われ、アメリカの理工科系大学卒業生の8割が広義の軍事産業に雇用吸収されていました。冷戦時代には、累積200兆ドルという軍事予算を積み上げて、その裾野に巨大な軍事産業を作ってきており、宇宙航空産業は、その典型です。今日、日本の産技術基盤が高まったと言われていますが、部品レベルで、1台すべて日本で作った飛行機はありません。世界どこにいっても、ボーイング、エアバスといったジェット機であります。ロッキード、グラマンから、ボーイング、マクドナルド・ダグラス、ジェネラル・ダイナミックス、マーチン・マリエッタといった社名を思い出してもらえば、アメリカのハイテク産業のすべては軍事という基盤に花開いていったといっても間違いではありません。ところが、90年代に入り冷戦が終わったということは、いかに意味があったかということです。クリントン政権になって、財政は黒字化しましたが、最大の要因は軍事予算のカットです。冷戦時代の3分の1にカットすることで、軍事産業のリストラが進みました。マクドナルド・ダグラスは、ボーイングに吸収され、ロッキード、グラマンとマーチン・マリエッタは合併し、グラマンにおいてノスロップに吸収されて消えてしまいました。急速な勢いで、合従連合再編が起こったわけです。同時に、軍事産業のセクターが新規雇用を創出しないばかりか、現在雇用している人材も吐き出しはじめました。物理、数学、コンピュータといった計数に明るい理工科系人材はどこに吸収されていったかを分析すれば、アメリカの90年代に何が変わったのかがよくわかります。それが、金融なのです。金融が儲かっていたので雇用できたという面もありますし、そういった人材が流入したことで、金融業界が様変わりしたわけです。それを、私は「ITとFTとの結婚」と言っているのです。その谷間に生まれ出たのが金融工学という世界です。このような話は、今では珍しい話ではありません。東大でさえ工学部に金融工学という講座が始まり、東工大にいたっては金融工学部という学部を作ろうという話まであります。その金融工学が急速に育てた世界がデリバティブです。オンラインのネットワーク技術の革命が起こって初めて成り立つ金融派生型商品なのです。オンラインでつながったコンピュータの画面を見つめながら、高度の数学モデルを駆使して利ざやをすくっていくような世界が、アメリカの直接金融に急速に広がったのです。インターネットバブルという状況は、IT革命をテコとした金融セクターの肥大化を頭に描きながらお聞きいただきたいのですが、過剰期待と過剰流動性のドッキングが起こり始めたわけです。IT関連だから、インターネット関連だからということで、メディアが騒ぎました。例えば、B to Bのシンボルマークのようにいわれるamazon.comという会社がありますが、ただの一度も期間損益で黒字をだしたことがないのに「未来志向だから」「インターネット関連だから」ということで天文学的な株価が形成されました。ファンドマネジメントの林立状況ですから、過剰流動性があります。昨年、ナスダックで600の会社がIPOをかけて資金調達しています。IT革命を議論している人の中で、2つのタイプの人がでています。ひとつは、ITの成果を産業の現場に落とし込んで、新しいビジネスモデルを通じて、産業の生産性、効率化に立ち向かっていこうとする、重心の低いIT革命を目指している人たちがいます。これは、これからの日本にとって大切なことです。もう一方で、ITということで目くらましをかけて、マネーゲームとしてIT革命を目指している人たちがいます。ベンチャーと称する人たちの中には、IPOだけが目的で、高い株価を形成して売りぬく資本主義を狙っています。育てる資本主義と売りぬく資本主義の二極分化が起きてしまっているのです。IT革命を見抜く第一点として、金融肥大型のIT革命に対する厳しい批評眼、バランス感覚を持っていないと、奇妙なゲームに巻き込まれて終わってしまうということです。

(2)アメリカのインターネットにおける優位性
第二には、ITが軍事技術のパラダイムシフトということを考えればすぐわかることですが、シームレス、ボーダレスというキャッチコピーのついたアメリカの国益の展開という部分があります。ITは、シームレス、ボーダレスなので国家の国益とは離れたところで議論されなければならないという人たちがいます。しかし、シームレス、ボーダレスというキャッチコピーのついた国益とは何かを考えてみないといけません。インターネットについては、今、欧州とアメリカの間で大変な論争が起こっています。エシェロン問題です。エシェロンとは、アメリカのペンタゴンの下部機関、NSAがインターネットを流れている情報をモニタリング、はっきりして言えば盗聴していることへの欧州の激怒です。日本では、インターネットは開放系・分散系のネットワーク技術なので政府が中央で国民を監視するような、かつての高度情報管理社会とは別のもので、民主的でフェアなメディアというイメージがあります。しかし、ISPが大手町に過度に集中してるといった事実なども背景にありますが、インターネットがペンタゴンの軍事技術を基盤にしていることを考えれば、このシステムを最も意識的に制御できるポジションを確保しているのはアメリカであります。このようなネットワークが、水や空気のように定着しているのです。つまり、情報の管理高地論です。管理高地を高く取るのは、この世界に生きている人間の常識です。E-mailを送信したときに、それがどのような経路を辿って相手に届いているかについては、技術的な専門家の方と議論してもわかったような、わからないようなという感じを受けます。パケット交換方式のネットワーク技術は、ひとつの回路が遮断されても多様な回路からたどり着けるような潜在技術可能性を持っているという形で説明され、そう言われればそうかなと感激しますが、ボトムラインには、エシェロン問題が横たわっている訳です。アメリカの管理高地の高さは、際立っています。我々がどういう立場なのかということを象徴しているのが、カーナビゲーションです。日本では、アメリカの10倍は普及していますし、欧州に比べても日本程普及している国はありません。日本人は、こういうものが大好きですね。自分が今、どこを走っているかが気になってしまい、よく言えば生真面目、悪く言えば気が小さいので、このようなサービスが開始されるといの一番に買いたいという人が多いのです。カーナビは、アメリカの軍事衛星GPSをタダで利用しています。まともな感覚であれば、タダというのはおかしいと感じるはずですが、タダなら尚結構というのが日本人の感覚です。これも、専門家の方と議論しているとため息がでます。アメリカでは、一昨年、最終的にはしばらく様子をみるという結論になりましたが、日本での普及率が高まったのでそろそろ利用料を取ろうという話がでました。「利用料を取るなら払えばいい。」といって話が終わるなら、こんな議論はバカ話です。カーナビのボトムラインは、逆探知できるかということです。誰か、どこを走っているのかを掌握できるかということは、簡単にできるのです。被害妄想で話している訳ではありません。徘徊老人に持たせて、どこを徘徊しているの探知するサービスが始まりますが、このシステムもGPSを利用するわけですから、全く同じ原理の中で走っており、難しい話ではありません。私の話は、「アメリカが、一日本人がどこにいるかをモニターしています。」という被害妄想のような話をしているのではありません。潜在技術可能性をいっているのです。必要が生じたらならば、最も有利な情報の管理高地が取れるということが、水や空気のようにインフラとして定着されているシステムとして、我々周りの取り巻いているということがいいたいのです。アメリカの90年代の凄みは、ITを使って生産現場が活性化されたなどという話ではなく、目に見えない財の創出力なのであり、このことに対する問題意識が重要になってくると思います。
日本でも、IT戦略会議が行われていますが、厳密に言うと、IT戦略会議はIT戦略会議でもありません。あれは、インターネット普及国民会議になってしまっています。IT戦略は、防衛、安全保障、外交、宇宙開発まで含めた次世代の技術を眺めながら、この国の国益と情報戦略をどのように組み立てるかを総合設計しなければ、IT戦略にもならないのです。

(3)インターネットの企業経営へのインパクト
3番目のポイントして、IT革命が企業経営の現場や雇用の現場に入ってくるとどのうようなことが起きるかということです。私は、決してネガティブな意味でお話しようとしているのではなく、問題の本質をわきまえるために申し上げております。
アメリカでは先行モデルが動いていますので、非常に示唆的な状況はわかります。細かい部分まで話すには時間がありませんので単純化してお話しておりますが、IT革命が経営の現場にどんどんと入ってくれば、中間管理職はいらなくなります。IT革命がアメリカで先行した理由としては、軍事という分野での基盤があったことと、その必要性があったからです。
ひとつの例をあげますと、「Fool proof」という言葉があります。「バカよけ」と訳しますが、労働を平準化する必要があったからです。具体的には、スーパーマーケットのレジを思い浮かべてください。日本のスーパーのレジで、中学を卒業し、読み書きそろばんができないという人はほとんどいません。しかし、アメリカでは、そんなことでは驚いていられません。英語が話せない、桁を打ち間違える、計算がおぼつかないという人はいくらでもいることを想定しなくてはいけません。日本では、そのような人は雇用しませんが、そのような人がいても平気であるという仕組みをアメリカでは志向しています。そこで出てきたのがバーコードです。バーコードを光学読み取機でなぞることで、誰でもでき、間違えようにない労働にすることが「Fool proof」です。
このようなシステムが定着すれば、中間管理職は順次いらなくなります。中間管理職は、情報の結節点であったからです。自分は、この会社に長年いるということで、若い人をおだてて、現場を走らせ、上がってきた情報を束ねて、表紙だけ付け加え、現場はこう動いており、問題点はここであると凝縮して経営幹部に届けることで、飯が食えました。これは誇張した話でしはありますが、これが中間管理職というものです。情報の結節点をできるだけなくそうというのが、IT革命です。意思決定と現場をダイレクトに結び、できるだけ効率的につなごうというのがIT革命なのです。今日、SCMという言葉が流行っておりますが、現場がどう動いているかを掌握したければ、システム設計者を呼び、自分の問題意識を聞かせ、それに沿った分析情報が一番に初めにでてくるシステムにしてくれと依頼すればよく、難しい話ではありません。変なおじさんが、中間に入って変なコメントをつけてくるより、自分の問題意識で現場を正しく、ダイレクトに掌握していけるのです。昨今、日本の経営者においても「スピード経営」という言葉を使うようになってきています。スピード経営とは何かといえば、ITを活用することで、会社の経営に、年功、熟練をなるべく価値としない方向を目指そうということです。例えば、金型の設計20年の熟練といういぶし銀のような中間管理職が現場を支えてくれていたわけです。しかし、入社3ヵ月目のコンピュータ工学を学んだ社員が、CAD、CAMを使って、瞬く間にキャッチアップしてくるのです。「私の20年は何だったのか」ということになるのが、IT革命なのです。
アメリカの雇用統計をみれば、私の言っている話が本当だということがよくわかります。失業率は下がっているが、レイオフは減らないのです。7.5%もあった失業率が4.0%まで下がり、1,000万人も失業者が減ったにも関わらず、その間にFortune500社で400万人の首を切っています。116ヶ月も連続成長している好況下でなぜリストラするのかといえば、構造的に中間管理職がいらなくなってきているからです。年収2~3万ドルのマクドナルドでの販売員のような仕事は増えていますが、中間管理職が満足するような7万ドルプレイヤー、8万ドルプレイヤーという仕事は増えていないというのが、雇用統計の2つめのポイントです。情報システムの設計者以外で、増えている仕事はありません。そんな状況であれば、アメリカのサラリーマンは、気が滅入って消費どころではないのではと思われますが、現実には高い消費を行っています。なぜなら、6万ドルプレイヤーが、8万ドルプレイヤーの夢を見ていられるからです。共働きにより、家計モデルは6万ドルなります。過去10年間の実質ベースでは、所得は驚くほど増えていません。しかし、プラス2~3万ドルの収入を、株によって得られるわけです。家に帰り、パソコンで株取引をしていることは誇張ではありません。AOLの2,300万人のユーザーは、e-mailやwebを見るために会費を払っているのではなく、株取引のパッケージに期待して加入しているのです。過去5年の株価の動きを思い出すと、ダウ4,000ドルが11,000ドルに跳ね上がり、現在は10,000ドル前後に落ち着いています。このような状況であれば、株取引をしている人のほとんどは儲かっていたわけです。家計も、オンラインでウォールストリートに繋がり、プラスアルファの収入をエンジョイしていられる状況が続いてきたわけです。右肩上がりの共同幻想です。危うい構造でもありますが、ITが雇用に与えるインパクトは、政府、シンクタンクのレポートを見るとIT関連産業で生み出される雇用360万人、ITによって削ぎ落とされる雇用340万人というように、根拠はわかりませんが、なんとなくプラスということになっています。しかし、雇用の量ではなく、質の問題なのです。これがどういうインパクトを与えるかについては、ほとんど視界に入っていません。


アメリカという国で、このような状況が着々と進行している中で、我々が学ばなければならないことが色々とあります。今の雇用の関連で一言触れておきたいのは、これだけ無味乾燥な競争主義と、ITによる労働の平準化が起きている中で、社会不安や社会的荒廃にいたらないで持ちこたえているかということです。これを社会工学という視点から学びとらなくてはいけないことを、最後にお話させていただきます。ひとつの例ですが、アメリカでは120万団体、1,000万人がNPOで働いているといわれています。社会的目的性の高い仕事で、平均3~4万ドルの収入しか得られませんが、1,000万人の人がメシを食っているわけです。ボランティアはタダで社会的貢献をしますので、ボランティアとNPOは違います。日本人は、ボランティアの方が崇高と思いがちですが、必ずしもそうではありません。お金をもらうことで責任が伴いますし、継続性と体系性のある社会貢献の仕事をする仕組みとしては、NPOは意味があります。NPOは、第一に失業率を下げています。第二に、社会政策のコストを下げます。環境、福祉となんでも税金で賄おうとすれば、幾何級数的な税金を用意しても賄いきれないものを、社会目的性の高い仕事に紐をつけて、ボランティアの人たちと一緒に引っ張るという仕組みは大変意味があるのです。第三に、仕事の質、価値の問題です。人間は、時間を切り売りしてお金さえ貰えればいいというものではありません。やはり、社会的に貢献している、地域社会から尊敬される、家族から敬愛される、何よりも自分自身が世の中の役に立つ仕事をしているという実感がなければ生きていけません。そういう意味でプラットフォームとしてのNPOが、そういった人々の受け皿になっているかということです
私達は、これから考えなくてはいけないのは、社会的雇用の創造です。生きがいのある雇用を、知恵を出して作り出していかなくてはいけないのです。これはソーシャル・エンジニアリングなのです。IT革命はよくない、影の部分だけだという非生産的な話ではなく、知恵をだして立ち向かっていかなくてはいけないと考えています。知恵を出すひとつの方向として、アメリカには色々な素材になるテーマが横たわっているということだけを申し上げて、時間がまいりましたので私の話を終わりにさせていただきます。
本日は、どうもありがとうございました。


バイト先で宅建法定研修に参加し、そこで公演で寺島 実朗先生のお話を聞きました。

幅広い見識に圧倒されかじわじわと問題意識が聞いてるうちに自分の中に芽生えてくるのが実感でき、非常におもしろい、興味深いお話でした。これからの日本を生き抜くならこういう大きな視点で日本を考えている人のお話を意識して日々の新聞等見ていくと面白いのかなと思いました。

タダでこんな話が聞けるんだから法定研修もおいしいなと思いました。