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知る人ぞ知る5/10
会社を休んで凱旋 or ハーデス打ちに
行ってきましたよ。
でもお目当てのパチヤの抽選に見事に漏れました。(1号店、2号店共に 泣)
仕方がない。
Total収支では、ヤられてる駅前の店へ。
凱旋10台
ハーデス10台
あるも、ハーデスは誰も座っておらず。
今日は凱旋のみ高設定か?
仕方がない、ハーデスカド台に座ります。
カドはいつも出ているので。多分
凱旋は200Gも行かないのに
ホボ全台初アタリ。
ういー
こちらは、ようやく350Gであたり犬70
飲ませて200Gでまた犬50
また飲ませたら、打てども打てども当たらず
いつの間にか天井へ。(1600G到達)
でも、その間
中段黄7
リプ矢外し
雷後奇数非テンパイ
が複数。
ハーデスは最悪100Gあたりもあるので、
天井で、すかしたら腹を決めて帰ろーと
思いながら打ってると...
400G 消化後
今考えても無駄だったのは、
英語の勉強を現地でやったことです。
日本でいくらでもできたはずだし、時間がもったいなかったです。
あと、自分に合う勉強法を確立するまで
かなり時間がかかりました。
人それぞれ、得手不得手がありますから
自分に何が合うか見極めてやらないと
時間だけ浪費されてしまいます。
今は、無料英語アプリが多数ありますから
色々試してみるのも手です。
通勤時間中にリスニングマテリアルを
毎日10分~20分聞き流すだけで
全然違ってきます。
さて、日本人と交わらず何をしていたか?
●可愛い子を求めて現地のバレーボールチームを転々としました。
→言葉はできなくても、バレーは中高とやっていたので。
●公園にいる老人を捕まえ徹底的に会話をしました。
→老人たちは時間を持て余してますから、何回同じことを聞いても気になりませんでした。
●興味のある分野の雑誌を読み込みました。
→今でも、英文長文読解は嫌いですが、興味のある、サッカー、ポルノ雑誌を
読みました。わからないとことは、チームメイトに聞きました。
●Exchange Lessonを利用しました。
(英語⇔日本語交換レッスン)
当時はネットがないので、
紙媒体で広告を載せました。
これは、役に立ちました。
ある女性の家に行ったときは注射針が部屋に 散乱していました。(危)
いろいろな人と、いろいろな話をする。これ 重要だと思います。
視野が広がるし、自分の英語が間違っていた ら直してもらえる。
→豪州はイングランドの英語と似ているので聞き取りやすいですが、今でもカナダと米国西海岸の英語は苦手です。
海外生活されていない方で、UK英語と米英語の違いがわかる方は語学のセンスがあると思います。
●サッカー、ドラマ、映画をたくさん観ました。
→サッカーははまりました。
ドラマなどは、今何が流行っているか、初対面でも、ここから会話が広がります。
●週末パーティーをたくさんしました。
→昔は、PTY BOYでした。爆
つまみは、焼き鳥です。鳥を丸ごと買ってき てバラシ、たれも自分で作りましたよ。
酒は、各自持ってきてもらい 氷を入れたバ スタブが冷蔵庫替わり。
これも、いろんな人と話が出来て楽しかった です。
PTYの定番は〇〇ファナですが、体に合わな いのでやらなかた。爆
外国人の友達を作るために 下記のことを極めて入れ歯 友達を作りやすいようです。
→共通の話題から仲良くなれます。
映画、サッカー、ワイン
こんな感じで、つらつら書いてみましたが
堅苦しいことは抜きにして通じればOKです。
以上、読んでくださりあざます。
あっという間に
赴任日の1995.2.18が来ます。
最初の1週間は会社でホテルを用意してくれました。
当時Arsenalのスタジアムの裏にフラット(アパート)が、ほどなく見つかりました。(前首相のトニーブレアの家も近くでした。)
0900-1800会社
1900-2100英語学校(日本人だらけ)
の生活が1年は続いたでしょうか?
当時の英語力は英検2級もありませんから、全く使えません。
→高校時代英語の試験はわからないだから5分でスリープタイムでした。
とにかく会社以外で、日本人と交わることは避けました。
当時遠距離で、JALの彼女がいて、
渡英半年後、会いに来てくれました。
彼女は、仕事でも外国人と英語でやり取りを
していました。
半年前は全く話せませんでしたが
彼女は、アコの英語力が飛躍的に上達しているのを目の当たりにしてびっくりしていました。
よく、英語圏で生活していると
ある日、突然話せるようになるんですか?
と聞かれましたがそんなことは、ありません。
やっぱり、徐々に、少しずつうまくなっていくんだと思います。
続きます。
1994.10月にビザ取得後
12月の現地視察
2月に現地入り、就職のために、
1月から猛勉強を始めました。(遅)
英語電話問答集 みたいなものをひたすらやりました。
→パターンに、はまれば使えますが、ほぼ、パターンには、はまらないので....
12月に現地下見に行った際は、
当然みんな、英語を話していますが、何を話しているか全くわかりませんでした。
勿論自分からも何も話せません。
ヤバイナ俺!!!!
続きます。
1994.10月某日
同年8月から旅行会社の知り合いを
通じて申請していた英国労働許可証(3年)が取れました。
当時は、旅行会社入社4年目で、先輩は次々に辞めていました。
英語も話せないのに、海外志向だけは強かったです。爆
採用してくれた現地旅行会社は
●若い
●英語が出来る
人材を探していましたが
英語は出来ると 虚偽申告をして 労働許可証をとってもらいました。
→今では、考えられないですね。
(Toeicのスコアを提出しなくては、ならないし、事前Skype面接などもあるし。)
どこの馬の骨かわからない英語も話せない人間に、3年のビザが与えられる。
かなりラッキーだったと思います。
続きます。
興味のない方は飛ばしてください。
と色々書いてきましたが