便利な言葉ですよね。
相手を言いくるめる時にも使えるし。無理やり納得させる手段としても使える言葉。
こんな時にも使うよね。
ケンカした時にどちらかが一方的に攻め立て、もう一方は必ずこのように言います。
『エホバに委ねますから!』
『エホバが解決してくれるから!』
『エホバに祈ってるから!』
私もそれなりにオバハン淑女たちのトラブルはよく目の当たりにしてきました。しょーもない内容から、『それ言ったらアカンやろ』なレベルのものまで。真っ昼間の奉仕中なんてそんなんばっかりですよね。おかげで司会しているこちらは、『え~と、この人とこの人は今喧嘩してるし…あの人とは前にゴチャゴチャしてたし…』余計な気遣いをする必要があり、それはそれは大変でした。(;^_^A
それはさておき、この
『エホバに委ねますから!』
『エホバが解決してくれるから!』
『エホバに祈ってるから!』
ま、その場でそれ以上事を荒立てない、という意味では大人なセリフなのかもしれませんが……その腹の内ってどうなんだろうね。何を祈って、何を願ってるのかな?…と世にも恐ろしいことを考えてみる。
絶対、『復讐』だろうね。((笑))
きょわ~~い!(゚Д゚;∬アワワ・・・
『エホバ、どうぞあなたが介入してこの問題を解決してください!』
↓
『エホバ、どうぞあなたが介入してあいつに正義の鉄拳喰らわせてやってください!』
こんな変換なのかな。神さまも大変だよな。あちらこちらから復讐依頼されて。全員皆殺しになって誰もいなくなるんじゃねーか??((笑))
本音を表に出すことは‛ふさわしくない’と判断されてしまうJW世界。でも心根で復讐を願っているのもあまり健全ではないよね。ま、どんな形であれ、時にはどちらかが引かないといけないことは別にJW世界だけではなくリアル社会でもありますけどね。ただ愛だ平和だ一致だと、お花畑を装っている割にはドス黒いですわな。あの淑女たちの笑顔の裏を考えると「きょわ~~い!」って話です。((笑))
あ、別にそれが悪いっていいたいわけじゃないです。個人的にはみんな人間らしくていいじゃんか、と思いますよ。『ざまぁ見ろ!』って言いたくなるのは、悲しいかな自然な感情ですし。でもそれを『エホバの方法でトラブルを解決することができました~♪』と胸張って言える話ではないよな、と単純に思います。そんな風に思っているのなら、『ちょーっと待ってよ、ちょーっと待ってよ、おねーさん!』(←古い!)と突っ込みたくなるだけです。((笑))
さらに『ざまぁ見ろ!』視点でいうと、春髷が来て、悪い奴らが滅びて、自分たちが生き残って楽園で永遠に生きたい!って願いも、それもある意味、『ざまぁ見ろ!』と同じだと思うんですけどね。今の嫌な住みにくい世の中を耐えて耐えて、馬鹿にされ、貧乏一文無し、でも頑張るんだ!最後に勝つのは私だ!アタシャこれまで犠牲を払ってきたんだ!って頑張っているんだしね。組織も『マラソンの勝者』って表現を使っている位だしね。ま、人間には『夢』や『希望』って必要だと思いますし、それを聖書から説く、というのもいいことだとは思います。そしてそれを生き甲斐にしている人がおられることは認めますが、将来将来と言い過ぎて、今、このリアルな瞬間をあまりに『悲惨なもの』にさせ過ぎると、反動がきてしまうのではないかと思います。せっかくの『夢や希望』が『復讐とメシウマ』な感情に支配されてしまっては、神さまも残念に思うんじゃないかな。