公式サイトで『家庭で分別を働かせる』という話がUPされています。

https://www.jw.org/ja/ライブラリー/ビデオ/#ja/mediaitems/LatestVideos/pub-jwb_202006_5_VIDEO

 

 

その中でレビ記を朗読し、イスラエル人への指示について触れます。

 

*****************************************

以上の事柄の1つについて有罪であるなら,どんな罪を犯したかを告白しなければならない+。 そして犯した罪のために,エホバへの有罪の捧げ物を持っていく+。雌の子羊か雌の子ヤギを罪の捧げ物とするのである。祭司はその人の罪のために贖罪を行う。

しかし羊を差し出す余裕がなければ,その罪のために,ヤマバト2羽か若いイエバト2羽+を有罪の捧げ物としてエホバのもとに持っていかなければならない。

(中略)

11 もしヤマバト2羽か若いイエバト2羽を差し出す余裕がなければ,罪のために,上等の麦粉2.2リットル+を罪の捧げ物として持っていかなければならない。

*****************************************

 

 

神さまが人々の状況に配慮して、様々なケースを想定し、罪のための捧げものが滞りなく行われるようにした、という記述です。

 

 

もちろんこの部分は捧げものに関する部分です。難しいですね。レビ記。穀物の捧げもの、和解の捧げもの、罪科の捧げもの……細かい違いや意義についてはパッと浮かびません。すいません。<(_ _)>(汗)

 

 

バックリ話で続けますが、その内容は厳粛な取り決めでしたし、ある場合は仮に捧げものをしないなら自分の命を持って罪科を償わねければならない、ということを意味していました。そしてこの子羊だのヤマバトだの麦粉だの、という部分も何人も神さまへの贖罪に関して免れることのできる者は誰1人としていない、ということも教えていました。現代の感覚と照らし合わせるのはナンセンスですが、厳しいと言えば厳しい取決めでした。

 

 

しかしそれと同時に、この部分はイエスが話されたやもめの寄付の話と同様、私たちに安心感を思い起こさせる記述であると思います。当時の人々にとっても、罪の赦しに関し、捧げものを多くしている人だけが何か優位な立場になるわけではなく、どんな(立場の)人でも神に赦しを請うときに、神さまはそれを受け入れて下さる、というものなのですから。本来この部分がスポットライトが当たるべきものです。

 

 

ま、この部分だけ考えてもJWとはかなり精神が違いますよね。((笑))だってそうでしょ?実際問題、『開拓者様がエライ!』という風潮、差別はもう組織内会衆内至る所に根付いています。長老やシモベ、巡回がエライ!そうだよね。統治体が「あなたたちのために祈っています」と言うと、信者は喜ぶわけじゃん。上の人が祈ればパワーアップするってことでしょ?全然このレビ記の精神とかけ離れてるやん!と思うわけです。((笑))

 

 

この話でもそうでした。やもめの話がうさん臭く感じるのと同じようなイメージを受けました。少し書き起こししてみます。朗読の後の部分からです。

 

*******************************************

・エホバは人々の経済状況に配慮することによって、分別を示しました。この聖句にある2.2リットルは文字通りには10分の1エファです。2.2リットルだとイメージしやすいですね。

 

・このイスラエル人の女性をご覧ください。貧しいこの女性は、麦粉2.2リットルを罪の捧げものとして、恐らく祭司に差し出しています。それほど大量ではありません。

 

・エホバはレビ記でこう言ってるかのようです。

「子羊や子ヤギを捧げられなくても大丈夫。二羽の鳥を差し出せなくても心配する必要はない。2.2リットルの麦粉を持ってくればよい。」

 

・この女性のような貧しいイスラエル人は本当にホッとしたでしょう。自分のささやかな犠牲に裕福な人の高価な犠牲と同じほど価値があると見てもらえたからです。

 

・でも11節にある、麦粉についての大切な表現に気づきましたか?貧しい人はどんな麦粉を捧げなければならなかったでしょうか?

 

・聖句には『上等の麦粉』とあります。

 

・大切なゲストをもてなすときに使うような麦粉です。多くのものを持っていなくても、『最上のもの』を捧げなければならなかったのです。

 

・エホバはこう言っていたかのようです。

『あなたはたくさんのものを捧げることはできない。でも最上のものを捧げてくれると信じている』

 

・何を学べますか?エホバは私たちの限界や状況に配慮してくださいます。子羊や子ヤギに相当する奉仕を捧げられる兄弟姉妹もいます。ヤマバト2羽かイエバト2羽に相当するものを捧げられる人もいます。昔はたくさん奉仕できたものの、今では状況や限界のゆえにあまり奉仕できない人もいます。エホバはどうご覧になりますか?私たちがベストを尽くすなら、喜んで受け入れてくださいます。たとえ2.2リットルの奉仕だったとしてもです。私たちは本当に親切な神を崇拝しています。

*******************************************

 

 

うわぁ~!

きょわ~~い!!

 

 

私、最初はサーっと聞き流していたんですが、思わずもう一度聞きなおしましたよ。『え!?今、なんて言った?!』って。

 

 

・エホバはこう言っていたかのようです。

『あなたはたくさんのものを捧げることはできない。でも最上のものを捧げてくれると信じている』

 

 

えぇぇーーー!!

そんないやらしい神さま嫌だーーー!!!

それはこの組織が作り上げ奉っている『青い神さま』の要求事項なんじゃないの???

 

 

・でも11節にある、麦粉についての大切な表現に気づきましたか?貧しい人はどんな麦粉を捧げなければならなかったでしょうか?

・聖句には『上等の麦粉』とあります。

 

 

えぇぇーーー!!

そんなとこに注目するのーー???

どこが親切で安心感を与える神さまなんだろ。こんな神さまなら『お前は本当に「貧しいもの」なのか証明しろ!』とか言い出しそうですね。現代だったら、寄付金が少なかったら『貯金通帳を見せてみろ!本当にないのなら有り金全部で許してやる!』って言いだしそうですね。

もうそうなってくると、学校帰りにヤンキーに絡まれて『金出せ!』言われて、『ありません!』ゆーたら『ほんならジャンプしてみろや!』言われて、『チャリン』鳴ってしまって、『持ってるやないか!ボケ!それよこせ!』ゆーて、殴られて有り金奪われて……そんなカツアゲに遭うのと何ら変わりませんね。((笑))

 

 

何かそもそもの話の主題の『家庭で分別を働かせる』云々なんてどっかに吹っ飛んでしまってますよね。話本論のポイントは忘れた。((笑))

 

わざわざそんなことを言うためだけにレビ記を持ち出してきたんやろか…どうせならもっと安心感を持たせるような話にするとか、話の論点からはズレるかもやけど、捧げものにおける今日のキリストの役割みたいな話をする方がよっぽど為になる話だと思うのですが……こんなぶっ飛んだ解釈の為にレビ記開いて朗読する意味あったんやろか……。しかも『神さまは分別のある方だ』とかいう視点自体、そういうお前は何者じゃい!って気もしますけどね。┐(´д`)┌

 

 

ということで、今回はこの意訳を飛び越えたこの解釈にひっくり返ってしまいました、というお話でした。それではまたごきげんよう。