公式サイトの新着に『エホバの証人の結婚式はどのようなものですか』という記事がUPされていました。
 
 
その中の一部、『誰が出席できますか』という副見出し。

 

 

『エホバの証人もそうではない人も出席できる』

 

ふ~~~ん……

ま、そうなんだろうけどね。

 

排斥/断絶組は?

ふ~~~ん……

出席できるの?たしかにそうですね。

何のために?

 

集団イジメ?

見せしめ?

 

最近、実際に当事者の方から直接お聞きした話でも、家族として出席してくれと言われたから出向いたのに、挨拶されて‛人として’会釈しただけで親から怒られたとか、やはり集団無視はされたとか、そんな話を耳にしましたが。傷ついて帰り道に駅で泣かれてますよ?それが『クリスチャン愛』ってやつなんですか?

 

 

 

 

以前に、私自身が関わった事例もあります。バリバリにJWやっていた時の私でさえ、『そこまでするか?!』と思った出来事です。いまだにこのことは自身の心に大きな‛しこり’を残しています。ま、当時の私はそのまま仕事を引き受け、集団忌避をする点で率先してしまいました。今となればもう後悔しかありませんが。自戒も含め、これが現実だという意味で、このエピソードはこれからも定期的に取り上げるつもりです。昔からの読者の方にとりましては何回か見た記事かもしれませんが、再掲UPさせていただきます。

 

 

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(2015/8/21投稿 一部修正/再編集あり)

 

 

20年前位になるでしょうか…。JW結婚式の幹事をする機会がありました。全て手作りで行う形の結婚式でした。JWは真面目でマメでマニュアル好きですから、諸先輩たちから参考になるような資料も回ってきます。私もそれに基づいて、企画書を作り、人選したり企画したりしていました。

 

 

そこの家族は、いわゆるご主人さんが非信者の方です、そして当然非JWの親族の方達も多く出席されます。みなさん、エホバの証人の仕方で式と披露宴を行う、ということを了承してくれた上で、参加してくださいました。感謝すべきことです。

 

息子の、また娘の、新しい人生の門出を本当は普通にお祝いしてあげたいだろうに、安っぽい公民館でのつまらないJW結婚式に出席してくださるのですから。(普通の目で見たらイミフですから)そこのご主人さんは、昔、反対者としても名の知れた方でした、当然我々スタッフも相当気を遣いながら接待させていただきました。

 

 

さて、ひとつ気がかりな点がありました。

新郎新婦側の親族に排斥された人がいたからです。

 

 

幹事は私がさせていただいてましたが、「相談役」の名のもとに総合監督がいました。地元からベテルに出ていた兄弟です。いわゆるJWエリートです。彼はこの件に関しては全てのスタッフを集めて、ミーティングを行い、細かな指示を与えました。当然、ベテルにいたわけですから、そこでのマニュアルが履行されたわけです。

 

 

.彼は真剣な表情で、この排斥者に関することについて、

 

『クリスチャンの忠節がかかっており、会衆全体の霊性に影響を及ぼしかねない』

 

ということを強調しました。

 

 

何をそんなに気にしているのでしょうか?

 

 

※現在でも適用されているJW規則はこのようなものです。

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(塔81 11/15 29–30ページ 23–24節 もしも親族が排斥されたら)


23 排斥された親族が出席している集まりに出る家族の成員について,何らかの規則を探そうとするのは無益なことです。それは関係者が,パウロの諭しに基づいて決定すべきことでしょう。(コリント第一 5:11)それでも,排斥された人が,親族でない証人たちが招かれている集まりに出席する意向であれば,それが他の人の行動に影響を及ぼし得るということも十分に知っておかなければなりません。例えば,二人のクリスチャンが王国会館で結婚するとしましょう。排斥された親族が結婚式のため王国会館に入って来るとしても,その人は明らかに新郎新婦の付き添いをしたり,花嫁を“花婿に渡し”たりすることはできません。では,結婚の祝宴や披露宴がある場合はどうでしょうか。イエスが出席されたカナの場合と同じように,それは楽しい親ぼくの機会となり得ます。(ヨハネ 2:1,2)しかし,排斥された親族がそこに来ること,あるいはその親族を招待することは許されるでしょうか。その人が出席する意向であれば,親族であるかどうかにかかわりなく,多くのクリスチャンは,コリント第一 5章11節のパウロの指示に照らして,その場にいてその人と一緒に食事をし,交わることはできないと結論付けるかもしれません。
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24 そういうわけで,普通には家族の成員が出席する集まりに,排斥された,あるいは交わりを絶った親族に出席してもらうことはできないとクリスチャンが感ずることもあるでしょう。それでもクリスチャンは,「神のご意志を行なうのがだれであっても,その者がわたしの兄弟また姉妹また母なのです」というイエスの言葉を念頭に置き,会衆の忠節な成員との交わりを楽しむことができます。―マルコ 3:35。

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(塔84 8/1 23ページ 18節 喜びをもたらす,クリスチャンの結婚式)
18 聖書時代には,「花婿の友人」や花嫁の女友だちがいるのが常でした。(ヨハネ 3:29。詩編 45:14)王国会館で行なわれる結婚式についても,大体同様のことが言えます。しかし,それに加わる人の数を何人ぐらいにすべきかに関しては,その人たちの服装や行動に関すると同じように分別が求められます。付き添いの中に,排斥された人々や,聖書の原則とは大いに反する恥ずべき生活を送っている人々を含めるのはふさわしくないでしょう。(コリント第二 6:14‐16)

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直接的には書いてませんけど、要は排斥者は来るな!というのが基本的な考え方でしょうけどね。そして具体的事案として、

 

◆結婚式に参加することは認められるが、目立つ場所に出ることなどは絶対にダメ!

 

◆式の後の披露宴や集いについては‘親睦の時’‘交わりの場’なので参加自体ダメ!

 

ということがルールとなっています。

 

 

1番目は『排斥者が集会に来ることと同じ』とみなします。当然話しかけたりすることは許されません。おめでとう!なんて声を掛けた日には、こちら側があとで第二教室へ連行されます。忌避はいかなる時も絶対です。

 

2番目は『レクリエーションに参加することと同じ』とみなすので、そのような場に排斥者がいると、たとえ忌避はしてても同じ交友を楽しんでいることと同じである、それはクリスチャンとしてはふさわしくない行為であり、忠節と霊性にかかわる重大な事案になる、というわけです。披露宴に排斥者が参加してること自体、忌々しい状態である、という認識ですね。

だから、出て行け!ということになります。

仮に排斥者が残ろうものなら、出席しているJWは披露宴の席を次々と立ち上がり、その場を立ち去らなければならないのです。立ち去らないと、『交友を友にした』罪に問われるのです。

 

 

想像したら恐ろしい状態になりますね…。

 

 

ベテラー兄弟はこのことを真剣にミーティングで聖書を開けながら講話を行いました。そして指示を出します。

 

 

結婚式には、非信者のご主人様の意向もあり、排斥された方も参加するということ。

 

座席をどうするのか、親族と一緒に座ってもらうのか、でもそうすると挨拶にきた信者達と距離が縮まってしまい、‘挨拶をする’引き金になるのではないか?通常の集会のように会場の後方に座席を用意し、式が始まってから入場してもらい、会場案内係の監視の下に座って頂くのがいいのではないか?

 

新郎新婦を交えての討議が始まりました。

『本人(排斥者)には絶対に口を開けないように念を押しておきますので、親族と一緒に座らせてください…』と申し訳なさそうにお願いする新郎新婦側…。見てて胸が苦しくなってきますね。

結果、ベテルに確認したのかどうかは知りませんが、ベテラーが了承の判断を下しました。

 

 

そこでの指示は、排斥者が会場に来たら、親族控室で待機してもらうというもの。そして受付には必ず兄弟を一人立たせて、その誘導は姉妹ではなく経験ある長老及び僕が行う様に、と。

 

決して、式が始まる前に会場に入ってもらうことはふさわしくない、ということを強調しました。接触を極力避ける、ということですね。

 

 

伝染病患者扱いです、ハッキリ言って。

 

 

次、披露宴。

披露宴といってもJWの場合、スピーチして、何か出しものが1つ2つあって、新郎が挨拶して終わり、という形がスタンダードですが。

 

 

排斥者にはご退出いただくわけですね。

さぁ、会場案内係が忙しくなります。そこでベテラーが与えた指示は…

本人がその会場だけでなく、建物を出るのを確認するまで披露宴を始めるのはふさわしくない

 

という判断でした。要は会場案内の兄弟が、『今、〇〇さん、会場を出ました、今からエレベーターに乗ります』と会場外の兄弟に電話をします。建物の入り口で待機している会場外案内係は、排斥者が確かに建物から退場したのを見届けてから『今、〇〇さん、完全に帰られました』と報告を入れます。連絡を受けた会場案内の兄弟は、急いで、披露宴の司会者にそのことを伝え、披露宴が始まります。その間、会場は微妙な‘間’が生まれます。もちろん、排斥者が会場を立ち去るのを待っている、なんてことは言いません。そんなことを言ったら非信者の親族親戚は怒る狂うでしょうし。司会者の兄弟も必死に『今、披露宴の準備をしていますので、今しばらくそのままお持ちください』と場を繋ぎます。

 

 

こういう指示を与えたんですね、ベテラーは。

どう思います?

 

 

もちろん、このベテラーがどーのこーの、という問題ではないとは思います。この排斥者に対する忌避の仕方に全ての問題があるのです。学校の偏差値が80位あるような超エリートでさえ、WT教理に侵されると人としての心が失われ、ただただ組織の指示通りに行うことを歓びとし

自分は、自分たちは清い!とでも思ってるのでしょう。情けない事です。

 

 

結婚式という場面でここまでの対応が本当に必要なんでしょうか?伝染病にかかってる人に対する対応と何が違うのでしょう。そんな悪人ですか?彼氏彼女作って排斥されただけですよ。

 

JWとしてのルールは破ったのかもしれない、組織に留まることがふさわしくない、と判断されるかもしれない、それはわかります。

 

それはわかります。破門というのもありますし。一般社会でも懲戒解雇などもあるでしょう。JWというグループとしての恩恵は受けることはできない、というのもわかります。会社を辞めた人は、その後その会社の福利厚生は受けれません。それは当然です。

 

 

でも!その後の対応があまりにも鬼畜過ぎます。

 

 

声を掛けることのみならず会釈することさえ、厳しく断罪する。そんな鬼畜めいたことを平気で、しかも真剣な顔で行い、成し遂げた後は満足な顔をするのですから。

 

 

会場だけでなく、建物を出るまでは披露宴を始めるな!?

もうマイコンで特権に翻弄していた当時の私でさえ、ドン引きでした。

 

 

参加してくださってくれていた非信者のご家族や親戚はその光景をどのような思いで見つめていらっしゃったんでしょう。きっと悲しい、情けない、いや、怒りにも似た気持ちが沸きあがって

いた事でしょう。決して‘良い証言の機会’とはならなかったでしょう。『なんで結婚式でウチの息子娘が退場しないといけないんだ!』そのように思われたに違いありません。

 

 

非信者の方にどこまで説明をされていたのかはわかりません。説明をしないといけない新郎新婦も相当なストレスだったみたいです。でも説明があっても、なくても、どちらにしても異常な光景です。

 

 

ホント、バカみたいなことを真剣に討議してましたよ。

親族の方が遠方から来られる方が多いので、昼食を一緒に食べると。お弁当を用意するわけですが、その排斥者の人の為に食事を我々が用意することは、排斥者をもてなすことになるのではないか!?とかね。

 

 

パリサイ人もひっくり返ってビックリするんじゃないですか!?

 

 

でもこれは実際になされている事なのです!

 

 

アメブロの中でもそうした方達がたくさんおられました。私もそうした記事を読ませていただき、本当に胸が苦しくなりました、そして自分自身もかつてはそうした忌避する側に堂々と立っていたことを考えると自分が情けなくなってきます。

 

 

今回引用した1981年11月15日号の排斥に関する研究記事は今でも有効な指示書となっています。2000年以降、王国宣教で更に細かい指示が出ていますが、根本はこの記事となっています。いわば【排斥者に対する忌避の指示書】というにふさわしいものです。

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