『メッセージングアプリを使う際,クリスチャンが注意を払うべきなのはなぜですか。』
という読者からの質問が掲載されていました。こんな記事にもきちんと『排斥忌避』の命令や情報規制を主とする内部統制がとられている、そんな内容でしたね。では早速該当部分を紹介します。
(ものみの塔研究用2021年3月号からの引用です。)
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(2節)
エホバは私たちを守りたいと思っています。私たちもそのことを知っています。ですから,分裂を引き起こす人,排斥された人,間違った教えを広める人とは交友を持ちません。(ロマ 16:17。コリ一 5:11。ヨハ二 10,11)会衆の中にも,聖書の教えに従っていない人がいるかもしれません。(テモ二 2:20,21)友を選ぶ際,こうした点を心に留める必要があります。メッセージングアプリにはこの点で難しさがあります。
(5節)
十分に成長したクリスチャンは,兄弟姉妹について批判的なことを言ったり,内密の情報を明かしたりしません。そうした話に耳を傾けることもしません。(詩 15:3。格 20:19)誇張した話や不確かな話を広めることもありません。(エフェ 4:25)私たちはjw.orgやJW Broadcastingのマンスリープログラムから信仰を強める食物をたくさん得ることができます。そうした情報は信頼できます。
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ま、相変わらずといえばそうなんですけどね。(;^_^A
でもこのような仕方でいつもいつも『忌避』という人権侵害行為を堂々と指示していることを晒していくのは、紛れもない証拠集めという意味で有用だと思いますので、これからも同様の指示が出されている時は『また出ました』という情報をシェアできればいいな、と思っています。<(_ _)>
それにしても5節笑わせますね。ORGとブロキャス(だけ)は信頼できます、他は信用できません、みたいな文言ね。
あのさ…そもそも論としてさ…
信頼できるかどうかはそちらではなく、こっちが決めることですから~~!!
((笑))
ん~…でもこの巧妙な‛ものみの塔トリック’にみなさん気づかないんでしょうね。┐(´д`)┌ヤレヤレ
『我々を信頼してください!』
はい、たしかにそのような主張や訴え、アピールは必要でしょう。政治家も選挙になればそう言います。モノを売る企業だってそうします。でもそれはアピールであることを忘れてはいけません。つまり最終的に信頼できるかどうか判断する権利や手綱はこちらの手にあるということです。「我々の情報は信用できる=事実」というのは、全くそのそもそも論を無視した考え方なんですよね。
『こう書いてるのだからお前らは何も考えなくてよい、ただそれを受けとめればよいのだ、鵜呑みにせよ。』というのは、あまりに乱暴ですし、それこそカルト団体が使う顕著な手法であるといえるでしょう。聖書にも「理性による神聖な奉仕」という言葉もあるんですから。やはり1つ1つ、「それは本当だろうか?」と確認することは必要です。JW以外のことについては「それは本当だろうか?」確認しろ!って雑誌でも散々いうクセに、自分たちについては調べちゃダメよ!(特にネガティブ情報についてはそれは全くウソ、デタラメだ!)というのは、その時点で怪しむべきことであることは明白です。
ま、JW組織は感謝の強要を平気でしています、信頼の強要も同じような感覚で指示しているのでしょうね。
ところで、いつも思いますが、この『読者からの質問』コーナー。
索引などを見てみると、確かに60-80年代には、一般の人からの質問に答えていたり、信者が疑問に感じるであろう内容について取り上げられていた印象があります。
しかし、近年、このコーナーは【それ、絶対に読者からの質問じゃないだろ!】みたいな
内容が増えてきましたね。ま、根拠はないですし、統治体や支部委員だって質問すればそれは『読者からの質問』といえるわけで、嘘つきだ!というつもりはありませんが、少なくとも『一般/末端信者の気持ちに寄り添った内容ではなくなっている』というのは事実だと思います。単なる教理の補足記事でしかないです。何かしらの‛逃げの口実’を作るためだけに「読者からの質問」という形を取っているだけでしょうね。