本日もORGからの新着ネタです。

 

『気遣い合いましょう』というタイトルでしたので、「あ~またどんな風に愛を示せるか?」とかそんな話なんやろうなぁ…ほんでどうせまた私たちの組織は愛や気遣いに満ち溢れています、みたいな自画自賛な内容なんやろなぁ…。ま、一度聞いておくか。』位に構えてたら、結構斜め上をいく話(適用)で驚きました。

 

 

ま、端的にいうと、(あからさまに表向きには口にはしていませんが)こんな年末年始の時期ですから、組織から離れたまたは排斥された家族とは絶対に近づくな!話すな!という指示なのかと思いました。

 

 

『気遣い合う』という点では、それなりの普通の解釈が話されていました。抜粋します。

 

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隣人への利他的な愛です。2つの具体的な方法を考えましょう。


エホバのような思いやりを示す方法です。まず、他の人が間違いをした時に厳しい反応をしないようにすることです。

 

話の初めの方で、親切と思いやりが一緒に出てくるエフェソス 4:32に注目しました。その1つ前のエフェソス 4:31を読んでみましょう。思いやりのある人は、他の人が間違いをしたときに厳しい反応をしないことが分かります。


31節「あらゆる悪意、怒り憤り、わめき、暴言など一切の有害な事柄を捨て去ってください。」
そして32節にはこうあります。「親切な人になり、温かい思いやりを示し合い⋯⋯ましょう。」


それで家庭でも、会衆でも、ベテルでも、建設現場でも、どこにいても愛・ 隣人への利他的な愛に動かされて思いやりを示し、他の人が間違いをした時に厳しい反応をしないようにしましょう。


愛に動かされて思いやりを示す2つ目の方法は権威を乱用しないようにすることです。


コロサイ 3:12で「身に着け」るよう勧められているのは「温かい思いやり・親切」 またこの2つです。そして「謙遜さ[「自分を低く見る考え方」]」です。


この聖句について「ものみの塔」にはこうあります。「へりくだった思いでいれば、自分の監督下にいる人の身になって考えることができます。同情心に富むということには、気難しくなく、謙遜で道理をわきまえていることも含まれます。能率を上げるために人を機械の一部のように扱うといったことはしないはずです」覚えておきたい点です。

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ま、ま、ツッコミたい部分もありますが今回はスルーします。しかしそれなりに予測できる話の内容ではあります。

 

 

ほう…人が間違いをした時に厳しい反応をしない、ですか…。

こいつら自分言っていることに矛盾を感じないの?!言ってること滅茶苦茶でっせ!と思いました。

 

 

実はこの部分の適用に入る前にこのような適用が話されてました。

 

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思いやりを示す具体的な方法について取り上げます。


最初の点は、思いやりを示してはいけない時です。例えば、故意に罪を犯し続ける人に同情し、その人が矯正を受けないで済むようにするのは間違ったことです。思いやりを示すべきときではありません。


古代イスラエルの例を考えましょう。
申命記 13章です。申命記 13:6をご覧ください。イスラエル人に対する指示が書かれています。兄弟や子供や、聖句にある通り、「愛する妻」や「親友」から「ほかの神々に仕えよう」と
誘われた場合、どうすべきでしたか?


8節にはこうあります。
「応じたり耳を傾けたりしてはなりません。その人を哀れに思ったり、同情したり、かばったりすべきでもありません。
その人を必ず殺すべきです。


なぜですか?なぜ同情すべきではありませんでしたか?


11節
「イスラエル全体は聞いて恐れ、皆さんのうちの誰もそのような悪事を二度と行わないでしょう。」


国民を守るためだったのです。エホバに仕えるのをやめさせようとする人に対して、同情を示すべきではありませんでした。神の考えに従わず、同情したいという気持ちに負けるなら悲惨な結果になります。思いやりを示してはならない時があるのです。

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『殺せ!』ですか……。

※これ以上このキーワードを書くと運営に削除されてしまいそうですが、一応聖書からの引用ということでご容赦願います。<(_ _)>

 

 

旧約の神が苦手なのはこういう部分です。そしてそうしたことを現代に(あたかも)文字通りに適用させようとする組織に対して憤りを覚えます。

 

 

JW社会で排斥になる理由(条件)は『故意に罪を犯し、悔い改めない』というものですから、この適用は現代において排斥されている人に当てはめて考えるよう促しているものと思われます。そんな人が実際に多く存在しているのを把握(承知)しながら、この申命記の聖句をもってくるとか、どんだけ憎いんでしょうね。『裏切者への制裁・見せしめ・内部統制』これらが排斥の目的であることはこれまで何百回と、色んな方が叫び続けておりますが、今回のこの話でもJW組織が裏切者に対してどのような感情を抱いているか、よくわかる話でした。

 

 

そりゃ申命記の時代は知りませんよ?そうした表現や行動が求められた時代だったのかもしれません。しかしこの現代においてこんな残酷な話をサラッとしてしまう話し手もその組織も、神経を疑いますね。話の冒頭で一つの出来事を取り上げて「この世の人の同情心や美徳は失われてしまった」などと言ってるくせに、こうした排斥者への対応はなんぼのものなんでしょ?

 

 

記事の冒頭でも述べましたが、こうおした内容をこんな年末年始の時期にわざとUPするというのも、なんともいやらしい感じがしてなりません。『裏切者は殺せ!』というのは、彼らの精神態度そのものなのでしょう。

 

 

それでいて、他の人の間違いに寛容になりましょうだの許しましょうだの…。話が滅茶苦茶ですわ。なにが『気遣い合いましょう』だ!笑わせるな!開いた口が塞がりません。唖然とします。