※コメント返事がなかなかできず申し訳ありません。いつもありがとうございます。<(_ _)>
先週の塔では、不活発な人を助けましょう、という内容が扱われたため、既に迷惑メールがあちことから届いてるみなさん、こんにちわ。
ん~~……
表向きなテーマといいますか目的といいますか、それは別に構わないのですが、なんか…ひたすら『上から目線』でしたね。途中から疲れてきました。13節以降の部分で書かれていた内容をピックアップしてみます。
(ものみの塔2020年11月号研究用より引用。一部要約もしています。)
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語句の説明:
不活発な伝道者とは,6カ月以上野外奉仕報告を提出していない人のことです。不活発であっても兄弟姉妹であることに変わりはなく,私たちはその人たちのことを大切に思っています。
「私たちは…助けたいと思っている。」
「イエスは見限ったりしなかった。」
「私たちは(不活発な人を)深く気遣っている。」
「(不活発な人は)今でも私たちの愛する兄弟姉妹たちだ。」
「もし集会に来たら(私たちは)嬉しく思うに違いない。」
「自分の方から近づいて歓迎しましょう。」
「会えて本当に嬉しいことを伝えましょう。」
「気まずい思いをさせないようにしましょう。」
「不活発な人も私たちの兄弟姉妹なのですから…」
「不活発な人も共に最後まで宣教活動を行いたい。」
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とても素晴らしい美辞麗句が書き並べられていました。
たしかに会衆によっては本当に居心地が良くて、温かい雰囲気のところもあるでしょうから、純粋にこうした言葉が適用されてプラスに働く会衆もあるにはあるでしょう。以前に話したかもしれませんが、私も過去に1度だけとっても居心地の良い書籍研究の群れに所属していたことがあります。老若男女問わず群れのみんなで本音トークができて、集会の最期の祈りだけ来た人にも「来れてよかったね~」とイヤミなしに言えるようなそんな群れでした。本音ゆえに時に監督から厳しい助言も言われたりしましたが、それをきっちりカバーしあえる感じでした。ま、群れの監督のキャラクターがそうさせていたのでしょうけど、仮にそんな雰囲気の会衆であるなら、今回の塔の記事も有効でしょうし、きっと「迷惑メール」といった形ではない仕方で、そうした不活発な人に対して気遣いを示すことができたのかもしれません。
しかしですよ。
大半の会衆はそんな感じじゃないよね。((笑))私も後にも先にもその時の1年位だけです。良い雰囲気だったのは。((笑))
開拓者至上主義、特権万歳、人情よりも組織的、相互監視、密告通報、裁き合い…そんなんばっかですよね。
そんな人たちに今回の記事はどう映ったんでしょうね。
ただね、この記事を執筆した側もそんなイヤ~な世界の住人が書いたのだろうな、と感じざるを得ません。つまり、『こうした形で不活発者に対する気遣いを示さなければ、そうした人たちに愛を示すことはできない。』ということを自ら証明しているようにしか見えないのです。
だってさぁ…本来ならわざわざそんなこと言われなくたって、愛や気遣いを示すんじゃないですか?不活発者について、排斥者と同じように ‛汚らわしい’ ‛霊的でない’ ‛関りを持つべきではない’人間として烙印を押しているから、敢えてこんな助言が必要なんだよね?!
『今でも(不活発な人は)私たちの大切な兄弟姉妹なのです!』
素敵な言葉に見えますか?しかし、裏を返せば、そのように意識しないと不活発な人は私たちの仲間ではないと考えてしまう一定数の人たちがいることを示しているといえます。自分の今の会衆とか見ていると、一定数どころか大半の人がそう思ってると思いますけどね。┐(´д`)┌ヤレヤレ
寄せられている経験を幾つかお伝えいたしましょう。(←だからその言い方!www)
数前位に必要で出て行った人がいます。Aさんとしましょう。AさんはBさんと仲良しでした。しかし、Bさんはその後、ある理由で不活発者になりました。Aさんが久しぶりに地元に帰ってきました。『Bさん元気にしてる?』そのように聞きます。周りの人は何と言ったでしょうか?『Bさんは、今集会にも奉仕にも来ないからあまり関わらない方がいい』と言ったそうです。
ビックリ仰天するような特異な話ですか?いいえ。程度の差こそあれ、どこにでも転がってる話です。もっと酷い話だと、勝手にストーリーを作り上げて、『不活発になったCさんは、もう会衆の誰とも話したくないみたいだから、こちらから話しかけない方がいい、長老以外は接さない方がいい。』というデマを会衆や巡回区に垂れ流して、Cさんが普通にこんにちわ!と声をかけたらビックリされた。事実上プチ忌避を受けている気分です、という被害報告も受けております。
結局ね、それが本音なんですよ。本音というか正体というか資質というのか…。┐(´д`)┌ヤレヤレ
でも現実として、排斥忌避の指示は当然のように発令中ですし、それに加えて「会衆の中でも模範的ではない/ふさわしくない/霊的でない人との交流は避けるように。」などという相互不信を煽るような指示が出されているわけですからね。そうなっても仕方のないことなのかもしれません。
だからわざわざ不活発な人のことを取り上げて、その人達のことも愛しましょう、なんて記事が出てくるわけですよ。そして、素顔がそんなんだから、わけのわからん奉仕時間稼ぎとも取れるような手紙攻撃やメール・電話攻撃をされて、一方的に『悔い改めなさい』とか『いい加減にこっちに戻ったら?』とか『そろそろ冬眠から目を覚ませば?』とか『もう「世」を十分に満喫したでしょ?』などなど、なーーーーーーんも心に響かない自己満オナニー手紙/メール攻撃を受けてしまうんですよね。
1つ実際の例を出してみましょうか。匿名様より情報頂き、転載許可頂いています。貴重な資料ありがとうございます。私も最初見た時は驚きましたし、同時に唖然としました。
※匿名様が既に別サイトで公開されている分を、ネット上の拾い画として掲載させていただきます。
こちらに寄り添うという意味では、愛や気遣いなど微塵にもないことがよーーーーーーくわかる例だと思います。あくまでも上から目線。これが現実ですよ。他にもTwitterなどを見てみると「(JWの)親/友達/地元長老からこんなん来た!怖い!」って内容で手紙やメールの写真をUPされている方が多いので、その辺りを見てみると、彼らの素性を見るという意味で、それはそれで興味深いかもしれません。
ま、ただ厄介なのはいつもいいますが、相手はこれを『100%善意』でやってますからね。それがややこしいというか、無下にもできないというか…、外から見てる分には冷静にこのように批評はできますけど、実際に自分の所にきたら困っちゃいますよね。顔の見える相手に対して『独善の押し売りはお断りです!』とも言えないし。いや~~~難しいわ。
そんな難しい事情ですから、ご本人に対しては適当にサラッとかわして、そのような人格形成を行った組織に対して、引き続き憤りと軽蔑の目を向けたいと思いますね。人が本来もつ愛や気遣いといった特質でさえ、組織の都合の良いように歪めて教育し培わせているんですから。『何を教えとるんじゃい!』って感じです。
あと、最後思ったのは、じゃあ不活発な人が戻るとしよう。私でもいい。((笑))
ハルマゲが来て、めでたく楽園に行きました。…と仮定しましょう。
会衆の人たち、どんな表情してるかな?
開拓者とかそんな特権がないと仮定してみよう。みーんな同じポジション。
会衆の人たち、どんな表情してるかな?
ま、表向きはともかく、本音は怒り心頭だろうね。『終わりの時のアタシが払った犠牲や忍耐はどうなるのよ!』『こいつと同じなの?!』
ルカ15章の記述を最後に読んでみることにしましょう。皆さんもよくご存じのイエスのたとえ話です。29節と30節にご注目ください。(←だからっその言い回し!www)
『わたしはこれまで何年というものあなたのために奴隷のように働いてきて,一度といえあなたのおきてを踏み越えたことはありません。それなのに,このわたしには,友人と一緒に楽しむための子やぎさえただの一度も下さったことがありません+。30 それが,娼婦たちと一緒になってあなたの資産を食いつぶした+,このあなたの息子+が到着するや,あなたは肥えさせた若い雄牛を彼のためにほふったのです+』
今のこの組織の体質じゃ、そうなるのがオチでしょうね。
そんな『元・開拓者』や特権持ちから素晴らしい視線を送られるパラダイス。
きょわーーーーい!!
絶対に楽園なんか行きたくなーーーーい!
え?!絶対お前は行けないって?!こりゃまた失礼しましたっ!
以上、先週の塔の感想でした。