ハートネットTV、とても良かったですね。

期待以上の仕上がりになっていました。「過度な期待はせずに…」とか失礼なこと言ってスイマセン。(;^_^A 

 

 

こんな機会なので、自分に言い聞かせる意味で、この2世信者問題について過去に書いた記事を再掲(一部編集)したいと思います。今の私のスタンスとなっています。

 

 

ただ、再掲記事にも書いてますが、この問題は正解がありません。落としどころは各個人で違います。自分以外の誰かに対して批判もアドバイスもできない位、繊細な問題です。

 

 

それで、2世の方で、子供時代に相当な被害を受けてきて、傷があまりにも深く、今もトラウマに襲われるという方、親との関係も最悪という方にとっては、少し腹立たしく、さらに傷を深めてしまう可能性があるので、ご覧になりませんよう事前にお伝えします。比較的まだ緩い環境で生きてきた2世の私が辿り着いた着地点というお話に過ぎません。自己責任でお願いします。

 

 

 

 

 

 

(2018-1-10掲載分)

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『そっかそっか、大変だったね』

 

 

1世2世問題。

いまだにすぐに炎上しがちな、、しかし切っても切れないこの問題。

※もちろんこの記事でこの問題を炎上させる気もないし、1世の親に対する憎しみを表明するつもりもないし、誰かに喧嘩を仕掛けるつもりもないことを最初に申し上げておきます。あくまで2世信者としての素直な感想として書き留めておく。

 

 

ある方のblogの中で書かれていたフレーズ

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「あなたにツライ思いさせてきて本当にゴメン」

って言葉を聞きたかっただけ

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この言葉だけで全て解決すると思うんだけどね。

 

 

自分が大人になり、"ある意味で"親と対等の立場で話せるようになり、そこで初めて、自分が子供だった時の気持ちを伝えているだけなのに、それを全否定されるとツラいよね。

 

いや、謝罪の言葉さえこちらは求めてはいないと思う。

 

 

『そっかそっか、大変だったね』

 

 

それだけでも十分だと思う。この前置きさえあれば、あとから少々当時の時代背景のことや、親として必死だったことを話されても、こちらとしても受け止めよう、という気持ちになる。

 

 

しかし組織に完全に毒された思考でもって、それを否定し、正当化し、さらにこちらに対し親に(懲らしめを命令している聖書や組織に)対する不敬だ!と罵られた日にゃ、やってられなくなりますね。

 

 

聖書や神様や宗教や組織を間に挟まずに、ただただ親と子で話し合いたい(ぶつかり合いたい)だけなんだよ。

 

 

あくまでも2世側の言い分だとは思いますが、多くの1世の親たちが、子供たちの声に耳を傾けて欲しいと願う。それだけで随分と親子関係も改善されると思います。

 

 

 

あわせて、これは宗教やjwに関係なく、今度は自分が子を持つ親として『自分の方から歩み寄ること』『自己満足の子育てをしていないか』の大切さも同時に学ぶことができました。

 

 

かつて親に対して"わかってくれよ!"と思ったのだから、自分の子供たちも程度の差こそあれ、思うことだろう。これからもっともっと子どもとぶつかってしまうことだろう。そうした時に、自分が2世信者として経験した(経験せざるを得なかった)こと、一連の1世2世問題と呼ばれるものを、良い意味で思い出そうと思う。宗教が絡んだこのややこしい問題を、(たとえ自分なりにでもいい)解決できたのであれば、それは他の分野にも生かせるに違いない、と思っている。負の連鎖を引き継いでしまわないように、さらに親としての自分を磨いていかねばならない、とも感じました。

 

 

 

最後に、、、

よく聞かれるので、この機会にお答えしますが、

1世2世問題についてどう思うか?という質問に対しては、私は実体験から行き着いた結論として、

 

『組織を憎んで親を憎まず』

 

というスタンスに落ち着きました。もちろん私自身も、かつてあの70~80年代に竹定規や革ベルト、ガスホースでの鞭をされた世代です。しかしそれでも周りに比べたら緩い環境で育ったので、そのように思えるのかもしれません。「組織を憎んで親も憎んでます」という方を否定するつもりは一切ないことをご理解ください。

 

 

どうしてこんな宗教にハマったの?なんで冷酷無比にムチなんてできたの?なんで学校でこんなにも辛い思いをしてること理解してくれないの?ホントに気づかなかったの?なんでこどもの将来さえ宗教に任せっきりにしたの?

 

もちろん、言いたいことはたくさんあるけど、もうそれはある程度聞けば、それ以上は聞く必要もないし、こちらも完全に理解できないだいだろう。

 

 

私の場合はこうした形でブログを書いたりすることで、色んな方がおられることを知った。自分より遥かに酷い仕打ちを受けている人たち(その逆の立場の人も含む)がいることを知った。そしてそれぞれの方の心情をそのブログやメッセージを通して知ることができた。そして何よりも貴重な経験として、我々の親世代の1世の方達の思いもブログを通して知ることができた。いろんな情報を吸収し、整理した結果、私なりの落としどころを見つけることができたと思う。これにはここで出会えた多くのブログ仲間に感謝しています。

 

 

もちろん厳しい仕打ちを受けてきた方にとっては恨みや憎しみしかないかもしれないし、その気持ちもよく理解できる。上記の私のスタンスが正しいと言うつもりもないし、押し付けるつもりも、相手のスタンスを否定する気もない。家庭、個人、それぞれだからね。『正解などない』、というのが正解なんだろう。

 

 

この問題に苦しめられている人たちに、どんな形であれ(←何が正解かがないのでこの表現です)、少しでも平安がもたらされますように。

 

 

『そっか、そっか、大変だったね』

 

 

でも…今も親は熱心な信者である、という環境にあっては到底引き出すことができないセリフなのかもしれませんね…。親の生き方を認めないといけないからこそ、こちら側も一定のラインを踏み越えないようにしてる部分もあるかもしれないですしね。

 

親と子。

本来、一番近しくある関係なのに、何でも言い合えるハズなのに。。。そこに宗教が入り込んだ結果、思うようなコミュニケーションが取れないなんて…。もちろん人と人なので親子であっても顔色を窺うことはあれど、いわば宗教の顔色を窺った上で、相手の顔色を見ないといけない、なんて有り得ない…。お互いの本音が宗教というフィルターで悪い意味で濾過されてしまうんです。ホント酷い団体だな、と改めて憤りを覚えます。

 


しかしそれでも親も子もどちらも、そう言い合える日が1日でも早く訪れるようになることを願ってやみません。

=============================(ここまで)

 


 

たまたま、我が家の場合は逆証言の結果、親がこちら側に来て理解を示してくれるようになったからこそ、得ることができたセリフなのであり、これは非常に稀なケースであることは重々承知しています。



『そっかそっか、大変だったね』



そう言ってもらうことが大切だというよりは、むしろ、そんな人としての当然の同情心や情愛などもなくさせ、親子間であってもただただ組織のフィルターに通してでなければ、話し合いも歩みよりもできない、信者同志でなければ思いを共有できない態勢にさせているJWに対して強い憤りを覚えます。