今回の記事は、JW関係なく聖書そのものや神さまが好きだという人にとって、とても不快な表現と思われる箇所が多数ありますので、そうした方は読まずにスルーしてください。<(_ _)>
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今週の週中の集会でのテーマにもなってるんですけどね。
ま、業界長いですから(;^_^A)、いくらでも聖書的な/肯定的な意味合いを話すこともできますし、特にJWだけが特殊な教理を持っているわけではないので問題提起をするような内容でもないのですが、今日は敢えて不信仰な人間目線で書きます。全くナンセンスな話です。((笑))
洞察の本の定義にはこのようにあります。
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目的:
エホバはイスラエル人を荒野で空腹にならせ,それからマナを与え,「人がパンだけによって生きるのではなく,エホバの口から出るすべての言葉によって人は生きるのであるということ」を彼らに教えられました。エホバは,『彼らを謙遜にならせ,また彼らを試みて彼らの後の日に良いことを行なうために』,そのようなことを行なわれました。(申 8:3,16)イスラエル人がマナに飽きて,それを「卑しむべきパン」と呼び始めた時,エホバは彼らの中に毒蛇を送り,多くの人を死なせて彼らの反逆を罰しました。―民 21:5,6。
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時々言ってるアレですよ。
『旧約の神が好きになれない』
ってやつね。ま、それを言っちゃ元も子もないということは百も承知してるが、そう感じてしまうのだもの。仕方がない。
人間を試す、ってやり方ね。
やはり好きになれない。
人間が弱い存在であることを知っているはずなのに、なぜそこまでさせるのか。
アブラハムに息子を殺せ!と命令してみたり、ヨブに極限を超える忍耐を強いてみたり。
マナだってさ、そりゃ荒野で食料がない時に奇跡的に与えられたものなのでしょうから、大変ありがたいものであったことは間違いない。でも結局、40年もそれを続けたんだよね。
そりゃ飽きるって!
(笑)
いや、それは言ってはいけないシリーズの言葉なのかもしれない。でもそもそも論で40年間も荒野を彷徨わせるというやり方自体が疑問だよね。1年でもツラいわ!
自分の民の窮状を見て、エジプトから脱出させてあげたんだよね。脱出後にきちんと捧げ物なり当時求められていた神への賛美をきちんと続けていたのなら、約束の地とやらへ入れてあげたらよかったのにね。
洞察の本の定義にある、わざと空腹にさせて、自分(神)なしでは生きていけないことや、謙遜にならせたという大義名分のもとの絶対服従の強要、そして逆らった奴には毒殺の刑。一方で時に行われる窮地の底から人々を救う奇跡。
でもさ、
この両極端なアメとムチの仕組みは、昨今問題になっているDVなり虐待の構図と変わらないよね。夫に殴られても逃げれない妻と同じじゃん?ついでに言うと、蚯蚓脹れになるまでムチして『あなたを愛しているのよ!』とかほざくアレと何が違うんですかね?
人間がとても弱い存在であることを知っているはずなのに、なぜそこまでさせるのか。
40年も荒野を彷徨わせて、同じものを食べさせて、それで『神はご自分の民を十分に養われています』とか言われてもねぇ。で、挙句の果てに、個別に良い人間だけ救ったりはせずに、モーセが不従順な態度を示したからと、民は皆全員連帯責任として約束の地は取り上げられた、と。
『エホバの民』ってのは救われない/報われない人たちの総称なんじゃないか?!とさえ思えてくる。
よっぽど疑い深いのかね?試すのが好きなドSな性格なのか?改めてそう思う。
それは息子を殺せと命令したことに顕著に表れているが。
神の1日は人の1000年でしたっけ?そりゃ神さまからすれば40年なんて1000分の40年(25分の1年)ですから、人間換算すると約半月の期間といったところでしょうか。
でも、人は人、40年は40年なんです。その時の経過の仕方は半月という感覚ではない。時の経過とともに離脱者が出てくるのだって目にみえてること。人間にそれが見えるんだから神さまなら余計にわかってること。だったら離脱者が出てくるのを待ってるんじゃないのか?とさえ思えてくる。単なる悪趣味じゃん。
それでもモーセとその民も1000年荒野を回って忠誠を証明しないといけなかったのかな?
結局、楽園の教理だって、よーく考えりゃ、大患難通過しました、サタンもいません、ばんざーい!とはさせてくれず、1000年後にまた試すんだよね?サタンまで再び解き放って。またそれによって自分の民が一時的に苦しむ姿をみることになるんだよ?死や病気がない状態なら余計に生き地獄になっちゃうんじゃない?神さまってのは1000年証明しないと信用してくれないんですかね?!海の砂粒ほどの人が反対に回るとか書いてあり結局全員滅ぼされるんだけど、それなら事実上救いなどないと言ってるのと同じじゃない?
人間が弱い存在であることを知っているはずなのに、なぜそこまでさせるのか。
私たち人間の生きる目的は『神の主権の論争の擁護者になること』『神への永遠の賛美』。そう教えられていますからね。その観点で言うと、そんな仕打ちも苦ではないのかもしれないが。
ま、マナの記述ってのは、本来は『神さまは必要な時に必要なものを必ず備えて下さる。だから安心しなさい!』『私たちも日々神の言葉というパンが与えられているのだから、それを得て満ち足りた心を得ましょうね』というとても前向きな意味合いなのでしょうけど……それはそれでわかるんだけどねぇ……これまで受けてきた教育が悪かっただけなのかわかりませんが、どうもしっくりこない/好きになれない『マナ』の記述についての感想でした。自分には素直に前向きな意味で捉えることのできる心は持ててないようだ。
あ、でもマナ、一度食べてみたい気持ちはある。
え?そんな不信仰な奴には降ってこないって?!
そりゃ失礼しました。<(_ _)>