この小冊子のありがた~い点としてそれぞれの国の習慣に合わせて、JWができる事、できない事を明文化してあるところだといえます。今回取り上げる誕生日やクリスマスは地球規模で同じかもしれませんが、正月、節分、ひな祭り、母の日、子供の日などなど…日本の習慣についても組織は積極的な介入を図り、多くの子供たちの心を弄び、苦しめてきました。⑤、⑥ではそうしたイベント事について引用してみたいと思います。

 

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( 学 18–21ページ 祝祭日と祝い )


祝祭日と祝い


エホバの証人は大抵の祝祭日の行事,その他の祝いに参加しませんが,そのために先生方を多少当惑させる場合があるかもしれません。私たちがこの問題をなぜそれほど真剣に考えるのかを皆様に理解していただく上で,下記の事柄がお役に立つよう願っております。


多くの祝祭日とそれに結び付いている習慣は,恐らく皆様が気づいておられるよりはるかに多くの点でキリスト教とは無関係な背景を持つものなのです。エホバの証人にとってそうした祝祭日やその習慣が好ましくないものとされているのはそのためです。私たちはクリスチャンの使徒パウロが次のように述べた原則に従おうと努めております。


「義と不法に何の交友があるでしょうか。また,光が闇と何を分け合うのでしょうか。さらに,キリストとベリアル[偽りの神]の間にどんな調和があるでしょうか。また,忠実な人が不信者とどんな分を共に持つのでしょうか。……『それゆえ,彼らの中から出て,離れよ』と,エホバは言われ(ます)」―コリント第二 6:14‐17。


ですから,ある祝祭日もしくは祝いが何らかの点で他の神々や迷信と結び付きを持っているなら,あるいはそれを祝うことが聖書の原則に関する私たちの理解に反するなら,私たちは参加しません。


誕生日:

祝宴あるいはパーティーを楽しんだり,愛する人たちに惜しみなく物を贈ったりすることは確かに間違ったことではありません。(ルカ 15:22‐25。使徒 20:35)エホバの証人は一年のうちいつでも贈り物をして喜びを味わったり,一緒に集まって楽しい時を過ごしたりします。しかし,聖書の中で2回だけ述べられている誕生日の祝いは,真の信者ではない人たちの関係したものでした。その人たちとはエジプトのファラオとローマ人の支配者ヘロデ・アンテパスで,その誕生日の祝いはいずれも死をもたらす結果に終わりました。(創世記 40:18‐22。マルコ 6:21‐28)ですから,誕生日の祝いに対する初期クリスチャンの態度に関して次のような歴史的事実が引き合いに出されているのも驚くには当たりません。


「誕生日の祝祭という概念はこの時期の一般のクリスチャンの観念からは縁遠いものであった」―「最初の3世紀の時期のキリスト教と教会の歴史」(ニューヨーク,1848年,英文),オーガスタス・ネアンダー著(ヘンリー・ジョン・ローズ訳),190ページ。


「聖書中のすべての聖なる人々の中には,自分の誕生日に祝宴を挙げたり,大宴会を催したりしたとして記録されている者は一人もいない。自分がこの下界に生まれ出た日を大いに喜ぶのはただ(ファラオやヘロデのような)罪人だけである」―カトリック百科事典(ニューヨーク,1911年,英文),第10巻,709ページ(3世紀のアダマンチウス・オリゲネスからの引用)。


その上,誕生日の祝いには一個人を過度に重要視する傾向がありますが,確かにこれは初期のクリスチャンがこのような祝いを避けた一つの理由となっています。(伝道の書 7:1)そのようなわけで,エホバの証人は誕生日のお祝いの行事(パーティー,歌を歌うこと,贈り物のやり取りをすることなど)には加わりませんが,このことをご理解いただけると思います。


クリスマス:

多分お気づきのことと思いますが,12月25日はイエス・キリストの誕生日ではありませんでした。それは問題ではない,その出来事が重要なのだ,と思う方もおられることでしょう。しかし,クリスマスが祝日とされるようになったいきさつを調べてみると,クリスマスの問題はそれだけではないことが分かります。下記の百科事典は次のように説明しています。


「クリスマスを祝うことは神による取り決めではなく,また新約[聖書]に由来することでもない。キリストの誕生日は新約[聖書]からも,あるいは実際,他のどんな資料からも確定することはできない。最初の3世紀の教父たちはキリスト降誕の特別の祝いについては何も述べていない」―「聖書,神学および教会文書の百科事典」(米ミシガン州グランドラピッズ,1981年再版,英文),ジョン・マクリントクおよびジェームズ・ストロング共編,第2巻,276ページ。


「今日ヨーロッパで広く行なわれている,あるいは昔から記録されていたクリスマスの習慣のほとんどは,純粋のキリスト教の習慣ではなく,教会によって取り入れられた,もしくは容認された異教の習慣である。……ローマのサトゥルヌスの祭りがクリスマスの時期の楽しい習慣のほとんどの原型を提供するものとなった」―「宗教および倫理の百科事典」(エディンバラ,1911年,英文),ジェームズ・ヘイスティング編,第3巻,608,609ページ。


クリスマスが元々キリストの誕生の祝祭でなかったことは一般に知られています。1981年12月号,「U・S・カトリック」誌はその32ページで,「クリスマスをその異教の起源から引き離すことは不可能である」と述べました。同誌は次のように説明しています。


「ローマ人に人気のあった祭りはサトゥルヌスの祭りで,この祭りは12月17日に始まり,『征服されることのない太陽の誕生日』(ナーターリス ソーリス インビークティ)である12月25日に終わった。4世紀のおよそ第二四半期ごろ,ローマの教会の,事情に精通していた当局者が,12月25日を『義の太陽』の誕生日を祝う格好の日とすることに決め,クリスマスが誕生したのである」。


クリスマスに関するこうした事実を知って,ある人々はどのような影響を受けたでしょうか。ワールドブック百科事典(1982年,英文)は,「クリスマス」の項で,「1600年代には……クリスマスは英国およびアメリカ大陸の英国植民地の一部で禁止された」と述べています。昔の人々がクリスマスをその異教の起源ゆえに祝おうとしなかったのですから,エホバの証人が今日それを祝わない理由も理解していただけるはずです。私たちはクリスマス・パーティー,劇,歌,贈り物の交換,あるいはこれに類する,クリスマスと結び付いた他のどんな活動にも加わりません。
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『誕生日の祝いには一個人を過度に重要視する傾向があります』ですか…

 

今年の大会の音声劇や、先日始まったtv.jw.org でしたっけ?

 

 

あのぅ…統治鯛の爺さんたち、滅茶苦茶目立ってますけど!?

冥途の土産か!?
勝手に早よ逝け!ボケッ!

 

カレブ君シリーズにもしょっちゅう登場するし、研究記事にもよく出てくるし…この2.3年酷くありませんか?子供たちの誕生日の方がよっぽど純粋で可愛いモノかと思いますが!( ̄へ  ̄ 凸

 

 

 

※お誕生日についての私なりの思いを以前に綴っています。 まだ読まれたことのない方いらっしゃいましたら見てください。

  ↓ ↓ ↓ ↓ ↓  (6/7付 ‘お誕生会について’ )

http://secret.ameba.jp/minus-driver/amemberentry-11873096741.html