JW2世で青春時代に部活動に明け暮れた…あの日の思い出が蘇るぜ…

そんな経験をした人はごくわずかだと思います。

JWの家庭では何が起こってますか?では実演を準備してますので、注目してください。

 

 

 

『部活動に入りたい!』

 

『集会どうするの!?』

 

『ちゃんと行くよ…』

 

『試合とかは日曜日でしょ!』

 

『うん…』

 

『じゃあ無理じゃない!火曜と木曜の集会は何時からと思ってるの?』

 

『7時…』

 

『普段の練習何時までなの!?』

 

『6時過ぎかな…』

 

『そんなんで集会行けると思うの!?予習する時間は!?家族研究は!?個人研究は!?寝たら承知しないわよ!』

 

『ちゃんと集会も行くけど、部活もしたいんだ!帰宅部なんて誰もいないよ』

 

『何をいってるの!あなたはエホバの証人でしょ!あなたの務めは何なの!?それとも何?あなたはサタンに加担したいの?サタン的な影響受けてるんじゃない!?あなたの部屋を少し見せなさい!何!これ!?こんなのがあるから霊的に弱って部活動に入りたいなんて言葉が出るのよ!今すぐ捨ててしまいなさい!』

 

 

 

そんな会話が思い浮かびます。ギャグではなくて、リアルです。

 

*******************************************************

(学 23–25ページ 課外活動)


課外活動
エホバの証人は,人生には単なる勉強や仕事以上のものがあると考えています。授業時間内のある程度の運動は体を鍛え,気持ちをさわやかにするものとなります。しかしお気づきかもしれませんが,大抵の証人たちの若者は学校で行なわれる課外活動に参加いたしません。このことに関する私どもの見方をご理解いただけるよう,次に簡単にご説明いたします。


証人たちの家族は既に,自分たちの行なう崇拝を中心とした活動計画を進めております。そして,親はこの家族中心の計画に娯楽をも含めるよう勧められています。親は子供たちの娯楽や催し物を取り決めたり,監督したりし,しばしば直接子供たちと共に参加したりするので,必要な監督が施されています。


時には,証人たちの二,三家族が一緒になって,さまざまな娯楽を楽しむことがあります。証人たちはまた,巡回大会や地域大会と呼ばれる大きな集まりに出席するため,毎年数回旅行をします。時には,そのような旅行の際,博物館や史跡その他,文化的興味のある場所を訪ねる機会もあります。それらの集まりで,若い証人たちは,自分たちの神エホバに仕える点で共に同じ目標を抱いている,他の地方の多くの若者たちと会い,互いに親しい交わりを楽しみます。


私たちは,とりわけ今日の人間社会の道徳的規準が低下しているのを見るにつけ,私どもの若者たちがこのような健全な交わりを楽しむのは大変重要なことだと考えております。エホバの証人は,「悪い交わりは有益な習慣を損なう」という聖書の警告を真剣に考えています。また,前にも注目いたしましたとおり,私たちはキリストがご自分の追随者に向かって,『あなた方は世のものではありません』と言われた言葉に従うよう努めています。(コリント第一 15:33。ヨハネ 15:19)下記の事柄を含め,学校の課外活動に対する証人たちの家族の見方はこれらの原則に基づいて形作られています。


スポーツ: 

スポーツによって得られる体の訓練は,私たちの益になります。しかし,聖書はこのことを釣り合いの取れたふさわしい位置に置いて,次のように述べています。「敬虔な専心を目ざして自分を訓練してゆきなさい。体の訓練は少しの事には益がありますが,敬虔な専心はすべての事に益があるからです」。(テモテ第一 4:7,8)この助言と一致して,エホバの証人は授業時間中に行なわれる体育の教科もしくは科目の価値を評価しております。


しかし,それと同時に,証人の親たちは学校でスポーツに強調が置かれ過ぎる場合があるとも感じております。したがって,子供たちを訓練するに際し,親は体育の成果をあまり強調し過ぎることのないようにしております。親は子供たちが運動選手としてではなく,神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願うよう望んでおります。ですから,証人の親たちは自分の子供たちに,あるスポーツで抜きん出るよりもむしろ,おもに霊的な関心事を追い求めるために放課後の時間を用いるよう励まします。


組織化されたスポーツに参加すると,証人の若者は不健全な交わりにさらされるようになる場合がある,と私たちは考えています。私たちはまた,現代のスポーツの競争心―『勝つことがすべてではないまでも,勝つ以外にはない』という観念―は有害な影響を及ぼすものであると考えております。ですから,証人の若者たちが余分の娯楽の必要を感ずる場合,親は,仲間の信者と共に,そうです,「清い心で主を呼び求める人々と共に」そのような娯楽を求めるよう若い人たちを励まします。―テモテ第二 2:22。


応援団:

運動競技の試合で観衆を指揮して母校のために熱狂的な声援を送らせるのは応援団の務めです。応援団はまた,人々を励まして英雄崇拝を行なわせたり,人々を起立させて校歌を歌わせたりします。そして生徒たちは皆,一団となって校歌や応援歌を歌ったり,学校や個人をたたえる言葉を叫んだりします。エホバの証人はそうするのはふさわしいことではないと考えています。―ローマ 1:25。使徒 12:21‐23。


学校のクラブ活動:

 同じ趣味を持つ生徒たちは学校のクラブの部員となって趣味を共にしたいと思うかもしれません。しかし,そのようなクラブはおもに社交的な活動の場となる傾向があります。そして,特定の生徒のグループとそのような活動を共にすると,不健全な影響にさらされる場合のあることが注目されています。そのような可能性を考えて,私たちは,学校のクラブ活動または部活動(課外クラブ)に加わる前に注意深く考慮しなければならないと感じております。


証人の若者たちやその親が考慮したい重要な質問は次のとおりです。クラブ活動は学校の授業時間内に限られていますか。クラブ活動は学校の注意深い監督を受けていますか。クラブに入ると,家族あるいは会衆の活動でより良く過ごせる放課後の時間が取られるようになりますか。結局,何かのクラブ,あるいは学校の組織に子供たちが加わるのを許すかどうかを決めるのは,証人である親の責任です。
 

学校の演劇:

 エホバの証人は演劇それ自体に対して何ら異議を唱えたりはしません。聖書に基づく劇は私たちの地域大会のプログラムの出し物の一つとなっております。しかし,証人の親たちは子供たちが学校の演劇に参加するのを許すかどうかを決める前に,幾つかの要素を考慮いたします。例えば,劇の中で描き出される事柄は聖書の原則と調和していますか。証人の若者たちは聖書が非としている道徳規準を容認する劇には参加いたしません。さらに,練習に要する時間,それに不健全な交わりを持つ可能性などの問題もあります。ですから,証人の若者たちが劇に参加するかどうかを決めるに際して,親たちはこれらの要素を注意深く考慮いたします。


献血その他の寄付:

 多くの学校では生徒が時々いろいろの目的で寄付をするよう求められます。時には,小中学校は別として輸血に用いる目的で献血を行なうよう求められることがあります。しかし,『血を避けなさい』という聖書の命令は,血は食べてはならず,また他のどんな方法でも用いてはならないという意味であると私たちは理解しています。したがって,良心上の事柄として,私たちは血を与えたり,あるいはもらったりいたしません。―創世記 9:4‐6。レビ記 17:10‐14。使徒 15:19,20,28,29。


ある政治運動を促進するため,あるいはある宗教的な祝日もしくは祝いに関連してお金が求められる場合,この冊子の初めのほうで論じられた理由から,エホバの証人は寄付をいたしません。また,私たちは宝くじ,運任せの勝負事,その他のどんな賭博行為にも加わるようなことをいたしません。しかし,寄付すべきかどうかを事情に応じて個人的に決定できる他の領域もあります。例えば,学友がけがをしたり,あるいは病気になったりして,お花あるいは他の贈り物を買い求めるための寄付が行なわれる場合,そうする余裕があれば,証人たちは喜んでそのような贈り物をすることにあずかります。―使徒 20:35。
*******************************************************

 

へぇ~…じゃあ言わせてもらいますけど、組織化された宗教に入ると、人としての心を失い、自然の情愛も無くし、物事の是非にかかわらず組織のロボットとして言いなりになる…そのようにして人間を壊してしまうのです!

 

国歌や校歌は歌わないくせに、甲子園でタテジマの法被着て、六甲おろし歌いまくってる特権持ちの奴いっぱいいてますけど?それはいいの?

 

 

ま、それはいいんですけど、大前提として、

 

 

学校は不健全な影響の温床である、という文章ばっかりであることに気付かれましたか?

 

 

これカルトの典型的な思考なんですよね。我々のグループだけが正しい事を教えている、という主張です。そしてこんな指示を丸飲みしてると、子供たちは、どんどん×2学校で孤立していくのです。ここまでくると、友達も怒りを通り越します。何も言わなくなってきます。そうです!

 

究極のイジメ、『無視』されるのです。

 

そうなると組織はバンバンザイです。きっと支部や本部では歓喜が沸きあがっていることでしょう!なぜなら、前回も述べましたが、孤立した子供たちにとって、自分たちを相手してくれたり、証言したことを褒めてくれるのが、自称神の組織の人達のグループだけになるからです。子供たちは当然のことながら、この場所が居心地が良くなるので、そこで存在価値を見出そうと努力し、カルトチックな思考がスタートし、大人になる頃には、すっかり歪んだ人間と化してしまうのです!

この部分、とても大事です。ポイントです!組織が用いる悪辣な常套手段です!
 

 

それにさ、こんな事を言われた日には、自分が先生の立場だったら怒りますよ、普通に。一生懸命、職務に当たってるのに、学校は不健全だから、我々は極力かかわりを避けたい、と明言してるんですから。

 

『悪い交わりは有益な習慣を損なう』

 

2世にとって、トラウマが蘇る聖句です。この聖句の曲解のともいえるものが、この青い忌まわしき小冊子の正体なんです!破っても破っても…燃やしても燃やしても…消されることのない、そして永遠に癒されることのない傷を与えた本なのです。