「虹」と「それはやっぱり君でした」私的な解釈(意味) ~二宮和也の創造する世界~ | This Is Only The Beginning!! -色を加え塗り描いてく"近い将来"-

This Is Only The Beginning!! -色を加え塗り描いてく"近い将来"-

嵐 大野智 櫻井翔 相葉雅紀 二宮和也 松本潤 TV出演やラジオ、映画など個々の活動も忙しい彼らだけど、仲の良さだけは変わらない。そんな五人が本当に大好き。



先日発売された、嵐ニューアルバム「Popcorn」。



名前の通り『Pop』な曲を「これでもか!」と詰め込んだ楽曲の中に、


少しばかり特異な楽曲が存在する。



それが生み出す『異様な空気』は、


もちろん「Popで明るい嵐のPopcorn」というアルバムとしてのコンセプトから

はみ出している(私としてはいい意味で)から、なのかも知れない。



ただ、確かなことは


「証」とならぶ、



Popcorn収録曲の中で

歌詞に英語のない歌、

ということだ。← (今年ほんと英語多くね!?笑)






いつか彼自身がおっしゃっていたように


「女の子はなんでもハッキリさせたがる」。



そうです、その通りですとも。←




だから私は、あなたの見ている世界、


創造している世界に近づきたい。




今回


2007年に発売されたアルバム「Time」

二宮ソロ「虹」。


今年発売されたアルバム「Popcorn」

二宮ソロ「それはやっぱり君でした」。



この二つの作品の偶然とは思えない一致と相似を感じて、


思ったことを 書き綴ろうと思います。










まず。




虹には 3人の人物が登場します。



物語の主観である、「私」。


「好きだよ」の一言も言えない、「きみ」。


「私」が結婚する、「君」。



「私」の大事なものを隠す、という癖を知っているくらいの関係性だから、


やっぱり「私」と「きみ」はかなり長い付き合いだったことが うかがえます。



でも「私」は「きみ」ではなく「君」と人生をともに歩くことを決めます。



そこの理由はね・・・根拠はなにもないんだけど、


「優しく笑うきみが この時間が空間が

泣きたくなるくらい 一番大事なものだよ。」


と「私」が言っていることから読み取ると、

「君」と結婚するのは"恋愛結婚"ではないと思える。


誰だって泣きたくなるくらい切ない夜は経験したことがあると思います。



・・・だったら、わかりますよね?


「私」が「きみ」と「この時間」と「空間」を手放すことを辛く感じていること――――。




La La La...


のあと、



「虹がキレイだよ。

いや、お前のほうが・・・

テレはじめるきみに。


ありがとう。ありがとう。」



というクライマックスのブロックがありますが、それを会話形式に書き換えると


私「虹がキレイだよ。」

きみ「いや、お前のほうが・・・」


とテレはじめるわけですね。


そんな頑張り屋さん、でも恥ずかしがり屋の「きみ」に


終わりと、新たな人生の始まりを告げるために


「ありがとう。」


それだけじゃ足りないから、もう一度


「ありがとう。」


そういう意味があって、重ねてある感謝の言葉なのかな、と思っています。











そして、



「それはやっぱり君でした」。




この物語の主観は「きみ」であると仮定してお話を進めさせていただきます。



「虹」から時が経ち、あの時恋焦がれていた「君」(=虹の「私」)は、


僕には行けない場所に旅立ってしまった。 そう。天国へ。



そんな一人残された彼の喪失と成長が切なく、同時に暖かくに描かれています。




「好きなんだよ。」


彼が「虹」では照れていえなかった言葉が今はこんな簡単に言い出せるように。


それは彼自身が大人になり、照れなくなったからなのか、


はたまた。


彼が「君」の喪失により、「君」の結婚相手に気兼ねがなくなり、

「好きだよ」と簡単に口に出せるようになったのか。


わかりませんが、確実に彼の心境は「虹」とは変わっています。




「影を重ねたあの場所のことや。

同じときを歩きつないできたことや。

そんなときを全部変えて・・・」


この二行目までは、虹の回想だと思われます。


「そんなときを全部変えて」

というのは、歌にこめて今伝えるよ、という風にも捉えられますけど、


私は「リセット」の意味合いのほうが強いかと思います。


今までの君との思い出に「ピリオド(終止符)」をうち、

君を新しい僕で迎えに行きたい。


そしたら、君にとっての「きみ」ではないから。

僕にとっての「君」じゃないから。


もし、そうやって君ともう一度出会えたら、今度は幸せになれるよね?


そう、彼は思っているのではないでしょうか。




「僕にはわかるんだ。 君のいる場所が。

まるで見えてるかのように、隣にいるように。

だから辛いんだ。 わかっているから、どうしても行けないんだ。

「まだまだ頑張れ」ってそこから君は笑うから・・・。」



君の残像すらも見つけることはできないけれど、

僕はずっと君がどこにいるのか分かってる。


そしてすごく近くに感じてる。


だから僕もいっそ君の元へ行きたいんだ。


でも、君は「まだまだ頑張れ」って

写真の中の固まった笑顔のまま、僕に伝えてくれるから。


僕は今日も生きている。



僕にとって、


君の死は「死にたい」と思う原因でもあり、

君の死は「生きる」という使命を感じる現実なんでしょうね。





多分彼は普段料理をしていなかったと思われます。


同棲中も、料理は彼女が作ってくれていた。



記憶の中のエプロン姿の君を思い返して、

マネしてつくってみるけど、


目の前の僕と同じ食事は減らない。



なんで? これおいしくない?

君ってこれ好きだったでしょ?


・・・そうか、まだまだ僕はヘタクソなんだね。




―――そんな小芝居を繰り返していくうちに、

君のいない食卓にも慣れてきたけど、


僕にとってはこれが唯一、

君の記憶を近くにとどめる方法なんだよ。


だから、また頑張ってみるんだ。



(個人的に「頑張ってみる」のにのの声がすごく可愛くて好きです////←)




君は僕のことが見えてるのに、

僕には君のことが見えないなんて。


お酒のせいにして「ずるい」って本音をこぼす、彼。


「だらしなくなったんじゃない?」


そんな彼女の少し彼をからかうような楽しげな声に、

「相変わらずだな・・・」と嬉しそうな呆れ顔で答える。



たまに見せる、


優しくて儚い、作者の笑顔が浮かんでくるのは


私だけでしょうか・・・?






「優しく笑う君があの時間が空間が。

泣きたくなるくらい一番大事なものだよ。


何て言ってた頃は言えなかった。

・・・どうして言えなかったのかな?

見上げた先のものより、君は君は・・・」



ここ、すごく虹と"似て"いますよね。 ほんとに。


でも、「"この"時間」から「"あの"時間」への変化で読み取れるもの。



それは彼は彼女との思い出を"過去"に仕舞った、ということ。




あの頃はちゃんといえなくてごめんね。

何で言えなかったのか、今でも分からないよ。


だって、見上げた先のもの(=虹)より、君は本当に・・・



ここで、二重に重ねているのはまた照れているんでしょうか?


それともためらっているんでしょうか?



もしかすると、あの頃を思い出しているのかも。







ついに決心した彼が出した言葉。



君にこそ一番伝わる言葉。














「今なら言える。



虹よりも君はキレイだ・・・。」
































いかがだったでしょうか?



にのの歌は比喩が多く、最初の印象一つでガラっと物語が変わってしまう。



例えば「1992*4##111」だってそう。


単純に、カップルのメールのやりとりの中で

出題者側の回想が入っているものなのかもしれない。



でも、出題者側はなにかしらの病気の末期患者だとしたら?



「永遠なんて存在しないものなんだ」

「僕の人生最後の言葉」


・・・つなげることが出来ます。


(これ、一回小説風に書いてみたいと思う。すげえいい話になりそうだ。←)






いつも私たちにいろんな世界を見せてくれる彼、二宮和也。



あなたは


混沌とした薄暗い世界も、

明るく輝くような世界も、

三角と四角がケンカしてるような世界も、


沢山の新しい世界を創ることができる、才能の人。




あなたの創造する世界を、


私たちが想像することで新たなエンターテイメント性を感じる。






これからもいっぱい楽しませてね。



「それはやっぱり君でした」


本当に素敵な曲です。









2012年11月3日(嵐デビュー13周年おめでとう!)

神明瀬溜雅