お盆の話~亡くなられた方とともに過ごせる貴重な時間~ | 普門院だより~アメブロ版~

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こんにちは。


 今日から、いよいよお盆ですね。


 当たり前かもしれませんが、昨日辺りから近くのスーパーに行っても、お客さんの姿が
 
 いつもより少ない!


 やはり、皆さん、帰省されているんだろうなぁと感じます。


 私には高校時代からの友人がいて、それぞれ東京と埼玉にいますが、


 ふたりとも今年の夏は帰省しないとのことでした。

 岡山から都会に出ていって、そのまま向こうに永住すると聞く人も少なくはない時代です。


 ちょっと淋しいですね。


 さて、今日はお盆の話をしてみたいと思います。


 もちろん、お盆については地方、宗教、その家々のしきたりによって


 随分と違うものなので、これからさせて頂くお話はあくまで私の知っている範囲


 でということをご理解くださいね。


 お盆というのは、亡くなった人をお迎えする儀式です。


 もっと判りやすくいうと、亡くなられた方の魂とでもいえば良いのて゜しょうか。


 あの世にいらっしゃる亡き人がお盆になると、船に乗ってこの世にしばし帰ってくる


 と考えます。


 その期間がお盆なのです。


 なので、私の住む地方では<太>お船</太>と呼ぶ船のカタチをした入れ物に


 15日の夜、お盆の三日間、仏様にお供えした供物を入れ流します。


 流すという言い方をしましたが、これは実際に川や海に流すわけではありません。


 確かに大昔は、その船を近くの川に流していたらしいのですが、


 水質汚染や、漁をする人の迷惑になるということで、廃止されました。


 現在は、地区ごとに収集車が来て、そこに船を持参すると、

 引き取ってくれます。まあ、身も蓋もない話かしれないけど、焼却するんですね。


 いわゆる精霊流しに当たりますが、これも時代のうつりかわりによって、


 ここまで様変わりしたということです。


 なので、我が家では13日の朝、祭壇をつくり、そこにラビ村家のご先祖さまの御位牌


 を移します。寺の位牌堂には歴代住職の御位牌か゛ありますが、


 ラビ村家の血族が住職となったのは明治時代から。


 つまり、私の曾祖父からです。


 曾祖父のおししょうさんであるその前の住職までは江戸時代で結婚できず、


 お弟子さんが跡を継いできました。


 いちばん古い住職さんになると、江戸時代初期に生きたことが記されています。


 まあ、お盆で特に祭壇をもうけておまつりするのはラビ村一族だけ。


 香川県からやってきて弟子入りし、お弟子さんたちの中から見込まれて


 住職になったという私のひいおじいちゃん。


 明治になって、お坊さんも妻帯可能となり、結婚しました。


 そして私の祖父が生まれ、祖父は生まれながらのお坊さん。
 
 祖父は明治生まれの人でしたが、勉強が好きでよくできたため、


 東京の大学に進学、しかし、お父さんが突然、亡くなり途中で止めさせられて


 二十歳で戻ってきてお寺をつぎました。


 これは私が聞いた話てはあるのですが。。。、志半ばにして呼び戻された祖父は


 かなり荒れたそうです。 まあ、まだ二十歳ですし、大学も残ってましたから、


 気持ちはわからないでもない。


 檀家の人たちも跡つぎがいたから良かったけど、これじゃあなあということで、相談したら


 年頃も年頃だから、お嫁さんを迎えようということになりました。


 そこで、祖母がやってきました。祖母は当時、18歳。初々しい花嫁さんで、祖父はひとめ惚れ。


 めでたく荒れがちだった生活はおさまり、祖父が21、祖母が゛19歳のときに


 長男である私の父が生まれました。


 でも、その父がまた早くに亡くなりました。


 私が女の子の一人っ子だったため、母が住職になり寺の大変な時期を支えたのです。

 
 何とか私に息子が生まれたのて゜、跡継ぎの心配はとりあえずなくなりました。

 私の息子は第24代めの住職になるはずです。


 話か゜思い切りそれてしまいました。。。

 13日から三日間おまつりし、15日の夕方にラビ村一家そろって読経し、


 その後て゛精霊ながしーつまり、お船を流しにいきます。。


 祭壇は16日ではなく、15日の夜に片づけて御位牌は元の場所に戻します。


 これは船に乗り、亡くなられた方がまたあの世に戻っていかれたと考えるから。


 船を流しにいった人が出発した後は、祭壇のあった場所を箒で掃き清めます。


 これは仏さまに来年までは向こうの世界で安らかにねむっていくださいね、


 ―間違って迷ったりしないでね、というくらいの意味があります。


  15日の夜は法事などのときと同じようにお膳―亡くなられた方のためのご飯


 を作ります。これは必ず二つ同じ物を用意します。


 何故かいうと、これにも色々な考え方があり、一つは餓鬼仏、つまり供養してもらえない


 無縁仏さんが来て食べてしまうので、そうならないように同じものを二つ用意する。


 あるいは、いつも傍にいて守ってくださる御大師様のためのお膳だという説。


 私は檀家の方には、お大師様説の方をお話しすることにしています。


 流すお船には、そのお膳も忘れずに入れます。


 お盆が終わると、昔は大人は子どもに


 海で泳いではいけないと言い聞かせていたそうです。


 何故かというと、お盆で船に乗って帰っていった仏さんがまだ海にいるため、


 とりつかれるから。。。。


 今は実際には流さず、焼却するわけですから、論理的にあり得ないはずですが、


 今でもそういう考え方は残っていて、我が家ではお盆を過ぎると、


 海は行きません。もちろん、プールは別ですよ。


 私が子どもの頃は、お盆を過ぎると、確かに海はあまり人がいませんでした。

 今の若い人はそんな迷信はあまり信じないのか、昔ほどではありません。


 でも、不思議と近くの海ではお盆すぎともなれば、


 あれほと゜賑わっていたのが嘘のように、人数が減るのは確かです。


 亡くなった大切な人にひとめ逢いたいと願うのは自然な心です。


 でも、ふだんは、そういう機会はなかななかありません。


 お盆のあいだは、なくなった方を偲べる貴重な時間。


 しきたりや考え方も大切だけれど、基本はまず、仏様を偲び、心から


 おまつりするその気持ちだと私は考えます。


 今年のお盆は是非、亡くなられた方との思い出とともに、仏様をお迎えして


 さしあげてください。