法話「心配性の女性の話」ー信仰とは心の支え。仏様は祈りを捧げる時、常に寄り添って下さいます。 | 普門院だより~アメブロ版~

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「心配性の女性のお話」

 

 あるところに、とても心配性の女性がいました。

 

 まだ起きてもいない出来事をあれこれと空想しては、

 

 ー 一体、未来はどうなってしまうのだろう。

 

 と、心配ばかりしていました。

 

 はっきり言うと、彼女の心配は余計な心配、少し難しい言葉で言うと「杞憂」ばかりでした。

 

 例えばですが、、、

 

 家の外に一歩出ると、車が走行しています。

 

 ーもし、車にぶつかってしまったら、、、

 

 考えただけで、おちおち外出もできません。

 

 ならば家の中にいれば安心できるかというと、そうでもなく

 

 ーもし階段から足を踏み外して落ちたら、大怪我をするかもしれない。

 

 と、とにかく女性の心配の種は尽きないのでした。

 

 そんな彼女の心配は事故だけではありません。

 

 ーもしかしたら、自分は何かの病気かもしれない。

 

 鼻水が出ればコロナ感染かもしれないと心配になり、

 

 腰が痛くなれば、何か重大な病気かもしれないと心配しました。

 

 ある時、女性はまたいつものように何かの病気ではないかと心配していました。

 

 いてもたってもいられず病院へ行くと、確かに病気でしたが、

 

 それは女性が想像もしていなかった病気でした。

 

 彼女はどうでも良いことばかりを心配して、ありもしない病気を作り上げていたのですが、

 

 その間に、実は考えてもいなかった別の病気にかかっていたのです。

 

 その病気は本物でした。

 

 ーとうとう心配していたことが起こってしまった。

 

 女性は恐れおののき、悲しみに打ちひしがれました。

 

 また、こんなことも考えました。

 

 ー的外れな心配ばかりしている間に、別の病気にかかっていたなんて、自分は何と愚かなのだろう。

 

 闘病生活を経て、女性は無事に病気を乗り越えることができました。

 

 その間もやはり、彼女は心配ばかりしていました。

 

 ー悪い病気だったら、どうしよう。もし死ぬかもしれない。

 

 そして、心配していたような怖い病気ではないと知った時、女性はまたしても考えました。

 

 ー病気は怖い。知らない間に深刻な病気にかかるかもしれないから、もっと怖い。

 

 相変わらず心配性の女性は心配することが止められません。

 

 しかし、その時、女性はふと気づきました。

 

 辛い療養生活の日々、彼女は毎日、お経を上げて仏様にお祈りしていました。

 

 病院にいる間も毎日、小さな声で読経をしていました。

 

 病院ですから、外にお経が聞こえたら、中には不吉だと不愉快に思う人がいるかもしれないので、

 

 小さな声で一生懸命にお祈りを続けました。

 

 自宅に戻ってからも、毎日、仏様に祈り続けたのです。

 

 そうしたら、病気は本当に治りました。

 

 いつ病気になるかもしれないーと、またしても不安になった女性は考えました。

 

 辛く苦しい日々を支えて下さったの仏様であり、祈りの心であったと。

 

 ならば、これからの日々、心配性の自分を支えてくれるのもやはり

 

 「祈り」しかないと思ったのです。

 

 祈りとは、即ち信仰のこと。

 

 どんな心配な日々でも、仏様に一生懸命に祈ること。

 

 そのことを思い出した時、女性は自分の中で「何か」が変わったことに気づきました。

 

 そして、御仏に心からの感謝を捧げたいと思いました。

 

 この辛い闘病生活をけして忘れないのと同じくらい、これからの人生は

 

 御仏と自分を生かしてくれているすべてのものに感謝を

 

 持ち続けたいと思いました。

 

 信仰は、どんなに辛いときでも必ず心の救いとなってくれます。

 

 そして、仏様はあなたが祈りを捧げれば

 

 必ず寄り添って下さいます。

 

 

                            合掌