2023年の年越し護摩祈祷を無事に終えることできましたー「普通」に過ごせることの「幸せ」の意味 | 普門院だより~アメブロ版~

普門院だより~アメブロ版~

岡山県岡山市東区の普門院というお寺の

ブログです。

寺の年中行事や歴史など折々の情報を

ご案内していきます。お問い合わせは

こちらのブログのコメント欄か直接、

当寺までお願いします。

お気軽にどうぞ゛。

皆様、こんにちは。

 

 今日は割と暖かなお正月ではなかったでしょうか。

 

 明日はウチのお寺の行事があるので、ラビ村家はまだまだ、ゆっくりとお正月気分には

 

 浸れません。

 

 明日が終わって、漸く世間様より遅いお正月になります。

 

 さて、大晦日の年越し護摩祈祷では、お陰様で多くの方にご参詣頂きました。

 

 また、総代様にもお寒い中、ご多忙のところ、ご尽力頂きまして、

 

 誠にありがとうございました。

 

 今年の護摩の焔は私にとっては、何とも感慨深いものに見えました。

 



 

 

「当たり前」は当たり前じゃない。

 

 







 ことを知った2023年でもありました。

 

 謎かけではなく、「気づき」です。

 

 私たちは日々、普通に過ごしています。

 

 時間が来たら、当たり前にご飯を食べ、読みたい本を読み、見たいテレビを観ています。

 

 そのことを特に「幸せ」だと実感している人は少ないでしょう。

 

 けれども、そうやって自分のやりたいことを自由にできるーというのは、

 

 実はとても幸せなことなんですね。

 

 まず、身体が健康でなければ、できません。

 

 時間的、経済的に余裕がなくては、できません。

 

 経済的な余裕というのは、何もお金持ちであるということではなく、

 

 普通に働いて、ごく普通の暮らしができるという意味です。

 

 そういう小さな「当たり前」がたくさん重なって、私たちの日々の生活は成り立っています。

 

 でも、そのことを「自分は恵まれている」と意識する人は少ないでしょう。

 

 また、いくら経済的に多少のゆとりがあったとしても、まず健康でなければ何もできませんよね。

 

 言ってみれば、「幸せに暮らせる」ことの基本が「健やかであること」です。

 

 また、身体だけが健康でも駄目です。

 

 心が、精神もまた健やかでなければ、それは本当の意味で健康ではないのです。

 

 身体は魂の宿る器ですから、器だけが立派でも中身が粗末であれば、つりあいません。

 

 身体も心も健やかであること。

 

 それが「幸せ」の第一条件です。

 

 そういったことを普段、私たちは意識せずに暮らしていますから、

 

 「普通であること」のありがたみが理解できていない。

 

 よく大病をすると、人生観が変わるといいますが、それは本当です。

 

 私自身が去年、身をもって経験しました。

 

 ー普通に暮らせることは幸せなんだ。

 

 もちろん、それまでも自分では理解しているつもりだったのですが、

 

 あくまでも「つもり」にしかすぎないことにも気付きました、、、

 

 人は生命の瀬戸際を見た時、これまで悩んでいた問題が本当は取るに足らない

 

 小さなことなのだと知ることになります。

 

 何故なら、そんな悩みについて真剣に悩んだところで、生きるか死ぬかには

 

 全く関係ないレベルの問題だからです。

 

 毎朝、眼が覚めて、ご飯を食べて会社に行ける。

 

 それは、とても素晴らしい幸せです。

 

 少し気持ちにゆとりが持てる、ゆっくりと過ごせるお正月に

 

 「普通に暮らせる」幸せの意味を考えてみてはいかがでしょうか。

 

                                合掌