一年間を振り返って | 心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

心筋緻密化障害の兄弟の奇跡☆

3人の母です。

次男と三男は心筋緻密化障害(心筋症)をもって生まれてきました。

次男と三男の闘病記録と、亡くなった後の私の日々の気持ちを書いています。


敦希が亡くなってから1年が過ぎました。


この1年間を振り返って思ってきたこととをありのままに書き記したいと思います。










1年前のあの日


急変、突然の宣告でした。


心筋緻密化障害の恐ろしさと医療の限界をまざまざと感じさせられ、


私は為す術もなく、ただただ泣き続けました。


ICUの廊下で立っていられなくなるくらい泣きました。





可愛くて可愛くてたまらない最愛の息子。


何が何でも、どんなことをしてでも、絶対に、絶対に守りたかった…


その思いが無惨にも打ち砕かれた日でした。





私は自分の判断で4度目だった心臓マッサージを止めました。


これが良かったのかどうかは分からないままです。


ただただ敦希を苦しめたくなかった。


傷だらけの小さな体に心臓マッサージ…


これ以上苦しめたくない


敦希は十二分に頑張ってくれた


もうゆっくり休ませてあげたい


その思いでいっぱいでした。


それでも敦希は家族みんなが会いにくるまで小さな体で一生懸命に何時間も頑張ってくれました。





2月6日は敦希が


頑張って頑張って頑張り抜いた日でした。





そして…


最期は夫婦で看取ることができました。





敦希の頑張りが心臓の負担になるなんて


一生懸命一生懸命呼吸をしようとすればするほど負担になるなんて残酷すぎる…


悔しくて悔しくてたまりませんでした。


誰よりも


敦希が一番悔しかったと思います。





私は敦希が病気でも元気に生きていてくれるなら、そばにいてくれるなら、それだけで良かった


絶対に守りたかった


代われるものなら代わってあげたかったし、心臓もあげられるのならあげたかった


でも…私の願いは叶いませんでした。


神様も仏様も助けてくれませんでした。





私はもう二度と敦希には会えません


どんなに頑張っても頑張っても、もう敦希はかえってきません


敦希の笑顔を見ることも、抱っこすることも、触れることもできません





私は自分を見失い、生きる意味も希望もなくしました。


毎晩毎晩、敦希の仏前に迎えに来てほしいと泣き続け、生きていても何も楽しいことなんかないって本気で思っていました。


長男の前でも泣いて、たくさんたくさん不安な思いをさせてきました。


弱いだけのどうしようもない母親だったと思います。


旦那に「しっかりしろ」と怒られたこともありました。互いを思う余裕もなく、私たちはいっぱいいっぱい夫婦喧嘩を重ねてきました。


自分の気持ちを理解してもらえないことが悲しくて、もうボロボロでした…





敦希を亡くしてからの数ヵ月はあまり記憶がありません。


それでも気付けば月日は経っていて、敦希の時間も私の時間も止まったままなのに、周りは当たり前のように進んでいて…


現実を突き付けられては辛くて悲しくて泣きました。


泣いてばかりの一年間でした。





敦希は5ヵ月のまま、私も産後5ヵ月のままで時間は止まったままなのに…


周りの人たちは当たり前のように今を進んでいて…


敦希の同級生たちはみるみるうちに成長し1歳を迎え、敦希より後に生まれた赤ちゃんたちも成長していく…


それが不公平としか思えなくて、辛くて辛くて嫌で嫌で仕方がなかった


どうしても受け入れられませんでした。


ママや子どもたちの集まりの場に行くと、自分だけ生きている世界が違うように感じていました。





私はこの一年、何かを頑張った訳でもなく、前向きなことは口ばかりで、弱音ばかり吐いて生きてきました。


世の中を憎み、生きてきました。


神様なんかいるもんか


運命なんてくそくらえだ


そう思って生きてきました。


人に会えば言葉に傷つき…


聞き流せばいいものの、私はそんな器用な性格でもなく


家に帰ってから一人悶々と泣く日々…


私はたくさんの人を憎み、世の中を憎み
人と接することを避けてきました。


本当に本当に辛い日々でした。


この一年で一生分、苦しみました。





けれど月日とともに、色々なことを考えるようになり、


私がすべきことは、生きたくても生きられなかった敦希の分まで生きることだと考えるようなりました。


敦希の死を絶対に無駄にしたくない


その思いが強くなり、私なりにFacebookやブログで伝えていこうと思いました。


それは敦希が立派に生きた証にもなるから。


敦希のいない未来なんて全く見えてこなかったし、見たくもなかった


頑張っても頑張っても敦希がかえってくる訳じゃない


それでも私は前を向いて生きていくしかないのだ…と考えるようになりました。





我が子がそばにいてくれることは、本当に本当に幸せなことです。


奇跡です。


私には今を生きている長男がいてくれているけれど、大切な子どもたちの成長を2人揃って見ることは、もうできません。


世の中には妊娠や出産、子どもが病気や事故がなく順調に成長することが当たり前の人たちが多いと思います。


でも決して当たり前なんかじゃない


この奇跡が当たり前だと過信して、他人事だと思う人たちを私は決してうらやましいとは思いません。





敦希は5ヵ月という短い生涯だったけど、強く立派にこの世を全うしました。


すごくすごく頑張り屋さんで、私たち家族に癒しと最高の幸せを与えてくれました。


敦希も私も可哀想なんかじゃありません。


敦希は立派に生きたし、私は大切なことを沢山知りました。





きっと、きっと、敦希が天国では楽しく笑顔で過ごせていますように。


そして、私たち家族のそばで一緒に笑っていますように…


敦希と過ごした5ヵ月は奇跡の時間です。


私の一生の宝です。


誰にも負けない幸せな時間でした。





でもやっぱり…


敦希の成長を見たかった


敦希と長男2人揃っての成長が見たかった


2人仲良く遊ぶ姿が見たかった


もっともっと一緒に過ごしたかったなぁ。





もしかしたら敦希が無事に生まれてきてくれたことも奇跡なのかもしれません。


自然分娩だったけど、スピード出産だったから心臓への負担も軽減されたのかもしれない。


長男が36時間かけて道を作ってくれていたから、敦希が無事に生まれてきてくれたのかなぁとも思います。


大人になると不仲な兄弟姉妹もいるようですが、長男と敦希はかけがいのない絆で結ばれているに違いない!


心からそう思います。





大好きな敦希へ


私のもとに生まれてきてくれて


本当に本当にありがとう!


一生懸命生きてくれて本当にありがとう!


敦希は自慢の息子だよ!


これからもずっとずっと一緒だし


ずっとずっと大好きだからね!





もう1年…


まだまだ1年…


まだまだ辛い日々が続きますが、敦希の分まで、敦希のためにも


前を向いて強く生きていけるように、家族4人で頑張っていきたいと思います。





このブログは敦希の生きた証です。


そして私の本音や弱音を綴ってきました。


いつか私がこのブログを振り返って読んだ時に、たくさんの苦しみや悲しみを乗り越えてきたんだなと自分の自信になれば…と思います。





最後に…


今までこのブログを読んでくれた方たち


私に寄り添って励ましてくれた方たちへ。


私は温かい気持ちや言葉にたくさん救われてきました。


本当に、本当に、感謝しています。





敦希がつなげてくれた方たちへ


本当に本当にありがとうございました!





ブログはまた書きたいことが見つかった時に記録として綴っていければ…と思っています。


これからもよろしくお願いします!