原発問題を考える | ふるさとを守りたい、子供達の未来を守りたい

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日々頭に浮かんだことを語りたいと思います。

脱原発論者はよく、「震災後、国内の全原発を停止しても、電力は足りているから原発は不要」と主張しますが、これには大きな矛盾があると思います。日本で原子力発電が始まって(1966年東海発電所営業運転開始) から45年間重大事故が起こらなかったために安全神話にあぐらをかき、重大事故を想定せず、2011年の福島第一原発事故を引き起こした原発推進派を脱原発派は批判しています。


ならば、たった5年間電気が足りていたからといって、「今後も電力不足や料金高騰は起こらない」と過信し、安易に原発や原子力技術を完全に放棄してしまうのも危険なのではないでしょうか。

グローバリズムとの戦い(前編)」http://s.ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12200419882.html

ところで、三橋貴明氏は、上記の記事で次のように述べておられます。


『わたくしが堤未果氏の本を紹介したことで、確実に、「お前は原発推進派で、堤未果は原発否定派じゃないか!」といった、勝手なカテゴライズに基づく批判が来ると思います。あのね。そもそも、わたくしは原発推進派ではなく、「日本国のエネルギー安全保障重視派」です。日本のエネルギー安全保障が維持、改善されるのであれば、別に脱原発をしても構いませんよ。堤氏も、同じだと思います。 さすがに、「日本のエネルギー安全保障はどうでもいい」
 と、主張する人は少数派だと思うのです。』


私も、三橋氏のこのご主張に100%同意いたします。原発と同等か、さらに低いコストで、なおかつ天候や国際情勢にも左右されず電力を供給できる代替エネルギーが確保され、使用済み核燃料などの放射性廃棄物の処理や原発の廃炉も確実に行われるのであれば、脱原発には賛成です。


それに、脱原発派の中にもTPPをはじめとした安倍政権の「国民を貧しくする政策」に反対する者は多くおり、TPP反対などで意見が一致している原発維持派と脱原発派が原発の是非で対立し分断されてしまうのは大きな損であり、グローバリズム・新自由主義陣営の思うツボだと思います。


原発維持派と脱原発派では原発の是非という点においては意見が異なりますが、一方で合意できる部分もいくつかあると思います。例えば、新エネルギーの開発、送電網の整備、火力発電所の更新、多目的ダムへの水力発電設備設置などを進めるための財政出動を政府に要求することに関しては、両派は連携可能だと思います。


脱原発のために代替エネルギーが必要なのは当然ですが、原発を維持していく場合でも上記のようなことは必要になるからです。原子力発電も核燃料を輸入に依存していることや、安全規制の強化によるコスト上昇など欠点もあり、エネルギー源の多様化はエネルギー安全保障上有益だと思います。また、地震や津波などの災害時には原発も運転停止になったり、送電網が被害を受け、広い範囲で電力供給が止まる恐れがあるので、関東・関西間、日本海側・太平洋側間など広域の電力融通を行うための大容量送電網の整備や、各市町村ごと、各建物ごと、各工業団地ごとなどで電力を賄う分散型電源の導入は脱原発、原発維持にかかわりなく国土強靭化のために必要なことではないでしょうか。


脱原発派の多くは電力自由化に賛成のようですが、電力会社同士の競争が激化すれば、新エネルギーへの投資や研究開発が難しくなるので、逆に脱原発の妨げとなります。また、電力会社、ガス会社、石油会社が自社の利益を優先して競争していることもエネルギー安全保障上最適なエネルギーミックスの構築や脱原発の妨げとなっているのではないでしょうか。


九州では三反園訓鹿児島県知事が九州電力に川内原発の運転停止を要請したり、愛媛県の伊方原発の運転停止を求める訴訟を対岸の大分県の住民が起こすなどしていますが、これらはあまり効果はないと思います。私は川内原発や伊方原発の再稼働については容認の立場ですが、三反園知事や大分県の住民が本気で脱原発を目指すのであれば、もっと効果的な政策を考えるべきだと思います。


例えば、九州においては地熱発電所を増設し、四国においては森林資源を生かしたバイオマス発電所や瀬戸内海の潮流を利用する潮流発電所を整備したり、多目的ダムをかさ上げして水力発電設備を設置し、四国と九州を結ぶ大容量送電網を敷設するための財政支援を四国と九州の各県と九州電力、四国電力が連帯して政府に要求するという方法が考えられます。


九州を特区にし、電力会社、ガス会社、石油会社を統合して国と自治体が株式の大部分を保有する「公営エネルギー企業」を設立し、家庭用燃料電池コージェネレーションシステム(エネファーム)や家庭用コージェネレーションシステム(エコウィル)の普及など、エネルギー安全保障上最適な電気、ガス、石油のエネルギーミックスの構築を図るのも有効ではないでしょうか。


私は原発再稼働は現時点においては容認の立場ですが、上記のような政策は災害対策にも資すると思うので、それ自体は推進すべきだと思いますし、結果的に脱原発が可能な環境が整ったなら、それはそれでよいと思います。


脱原発派は原発立地地域の避難の課題を再稼働反対の理由にしていますが、それを「反原発の道具」にするのは非常に問題だと思います。そもそも、避難道路や避難所の問題は原発の有無とは関係なく考えなければならないことです。


伊方原発がある愛媛県伊方町の佐田岬半島では、避難ルートに指定されている道路が狭いことや、土砂災害や津波による寸断が懸念されているほか、耐震性の低い民家が多く、避難所に指定されている集会所や学校も多くが土砂災害警戒区域に立地しているなど、屋内退避の課題も指摘されていますが、原発を廃炉にするだけでは地域の危険を完全に除去することはできません。


伊方町は土砂災害や台風、地震・津波など原発事故以外の災害も想定されており、課題が指摘されている道路や避難所はそれらの災害でも避難に使用することが想定されています。つまり、原発を廃炉にして事故の危険を無くしても、道路や避難所の問題が放置されたままでは自然災害の危険は残り続けるのです。また、愛媛県南予の八幡浜、西予、宇和島、愛南には原発は無いものの伊方町とよく似た地形で、同じような自然災害が想定されています。


日本で原子力発電が始まってから50年の間に国内で起きた重大な原発事故は1件(福島第一原発事故)で、放射能による直接的な健康被害による死者は今のところゼロですが、過去50年間には数えきれない自然災害が発生し、多くの死傷者が出ています。原発事故のリスクより自然災害のリスクの方がはるかに大きいのは明らかです。避難の問題を「反原発の道具」にすると、原発を廃炉にした場合にその地域の自然災害対策が疎かになったり、原発を維持する場合でも立地地域の自然災害対策が優先されすぎて、それ以外の地域の自然災害対策が不十分になるなど、住民を命の危険にさらしかねません。


真に住民の安全を考えるなら、脱原発派は避難の問題を「反原発の道具」にするのを即刻やめ、原発の是非という意見の違いを超えて国土強靭化の推進をうったえるべきです。


「脱原発、原発維持・推進を超えた「第三の道」」http://s.ameblo.jp/nyako-0924/entry-12137018291.html


原発問題に矮小化すべきではない
http://s.ameblo.jp/nyako-0924/entry-12172604764.html



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