勅使河原宏監督の「おとし穴」を観たあとに、まるで導かれたかのようにドキュメンタリー映画「三池 終わらない炭鉱の物語」を観る機会に恵まれました。

監督の熊谷博子さんは7年もかけてこの作品を完成させたそうです。

よくよく考えると三池が❝負の遺産❞と呼ばれて久しいけれど、強制労働があったことや公害問題、労働組合の争議に大規模な炭じん事故があったことなど、概要だけで具体的な内容はよく知りませんでした。

私の世代ではないので、❝総資本vs総労働の対決❞と呼ばれていた三井三池闘争の判決などはニュースで見聞きすることがあっても、恥ずかしながら関心が向かなかったのです。


作品の前半は強制労働に焦点を絞っていました。

朝鮮半島や中国からの強制労働や、他の炭鉱では禁じられていた囚人労働などです。

最初は「インタビューで辛い話はしたくない」といっていた元朝鮮人労働者の方が、賃金も支払われず過酷な労働を強いられていた当時の思いをお話になった後「折角来てくれたので何か話さないとと思っていたが、話して良かった、スカッとしました」と仰られていた微笑みには、こちらまで少しだけ救われる思いでした。

欧米人捕虜の方々も続々と強制労働をさせられていました。

インタビューに応えられた方のお話も壮絶でした。

当時の坑内はいつ死んでもおかしくないほどの危険な場所だったそうで、肩や腕、足を自分で骨折させたりして、その日坑内に入らずに済むためには何でもやったそうです。


中盤は三池闘争が扱われており、後半は炭じん爆発事故についてがテーマです。

三池闘争のときには「おとし穴」とまったく同じように、企業側は❝第二組合❞なる組織を設けて、強固な組合を分裂させようとしていたのでした。

そして本当に闘争の中で暴力団に刺殺された組合員さんもおられたそうです。

「おとし穴」は、もともとその前にテレビドラマ用の「煉獄」という作品を映画化したものなのですが、安部公房はよほど強い非難の気持ちを持っていたのでしょうね。

第一組合だけが正しいとか、そんな単純でもないんですね。

「第一も第二もない、坑内に入れば同じ危険を背負う仲間なのだから」と泣いておられる方もおられました。

❝労働者の権利❞を勉強させに炭鉱に訪れていた向坂逸郎氏のことを「誰が悪いわけでもないが、向坂先生のモルモットにされたのでは」と非難を口にされる方もおられました。

※マルクス主義だった向坂氏は九州大学の研究者で、炭鉱で❝向坂教室❞という学習組織を設け三池争議の思想的な牽引役だったとされている人物です。


そして三井三池炭鉱炭じん爆発事故が起こってしまいます・・・。

これにより亡くなられた方は458名、負傷された方の多くは一酸化炭素中毒の後遺症に苦しめられることになりました。

炭鉱は閉山しても、じん肺やCO中毒の患者と家族の苦しみは現在も続いています。

イライラや不眠、頭痛だけでなく、知的障害を引き起こされた人や人格変化や激しい健忘など、当人は勿論のことご家族の方々にとっても地獄のような日々を生き抜いてこられました。

被害に遭った人や被災した人というのは、世間から忘れ去られてしまうことが、たまらなく辛いものです。

 

 

かなり昔の話ですが、以前この三池炭鉱の一区画で写真展用の撮影する企画がありました。

ところが私の体調不良のせいで、白紙に戻してしまったことがあります。

関係者の方々には申し訳なかったけれど、この映画を観た後では、撮影が実現しなくて良かったと思ってしまいました。


ところでこの監督ですが、後世に遺すべき素晴らしい調査とインタビューを重ねて制作なさったというのに、とても残念な点があります。

 

生き証人の方々の証言にはすべてテロップを入れるべきでした。

私は親族が福岡県北部に多くいるため理解できるところも多かったと思いますが、それでも福岡南部のほうの方言とはかなり違うので不明瞭な個所が多々ありました。

北陸出身の夫などは更に不明だったようです。

熊谷監督には是非新訂版を世に出していただきたいと切に願います。

 

 

 

 

こちらも昔の写真。

現役の炭鉱でしたが、休止中の区画にて撮影させていただきましたお願い

撮影:H.Fujihara氏