『私の「漱石」と「龍之介」』内田百閒の随筆を集めた作品集です。

前半は百閒が敬愛してやまない師・夏目漱石とのエピソードの数々、後半が友人であり同じ漱石門下生だった芥川龍之介のことを綴った随筆集です。

百閒は芥川の自殺から2年後、芥川と自身とをモデルにしたような「山高帽子」という小説を執筆、その後も河童忌などに芥川との思い出を語る随筆をいくつも発表しており、それらが「私の『漱石』と『芥川』」に収録されています。


中でも芥川龍之介の自殺を主として描いた「亀鳴くや」という随筆は、何度読んでも胸に迫ります。

「亀鳴くや」は芥川の死後24年も経ってから発表された随筆作品です。

ふたりがお互いを大切に思い合っていたことが如実に分かるやり取りに、切なくて泣けてしまいます。

すぐ傍で言葉を交わしているふたりが見えるかのような、臨場感のある描写でした。
 

「君の事は僕が一番よく知っている。僕には解るのだ」



芥川は生前、百閒にそのように言ったことがあったそうです。

理解者を失ってしまった百閒が哀しくなりました。

そして、やはり「亀鳴くや」の中でも芥川が山高帽子を怖がっていたくだりも出てきます。

睡眠薬で受け答えもままならなくなっていた状態の芥川も回想されていました。

百閒は芥川が自殺する2日前にも自宅を訪問していたとのことです。


「河童忌」という章に述べられていますが、自殺する前の芥川から執筆中の作品の今後の展開なども聞かされていたので、拙くとも自分(百閒)の文で完成させておけば良かった、せめて芥川の親友の久米正雄君にその話を伝えておけば良かった、と後悔している心情を吐露していました。

芥川には「人を殺したかしら?」という書きかけで終わっている幻の作品があり、内容的には「夢」という作品と同じような感じなので「夢」の初稿だったのではないかとの説もあったようですが、百閒が聞いた芥川の腹案では別のお話か続編のような構想があったのかも知れませんね。

百閒はこれからでも自分が完成させようとしている心づもりでいたようでしたが、故人の意図と違ったものになることを恐れて、いまだに手が付けられないでいると綴られていました。


長い年月を生き延びた百閒は芥川の死を百閒なりに受け止め昇華させたのでしょう。

「亀鳴くや」の巻末の一文には、カミュの「異邦人」が心に浮かびました。
 

芥川君が自殺した夏は大変な暑さで、それが何日も続き、息が出来ない様であつた。余り暑いので死んでしまつたと考へ、又それでいいのだと思つた。原因や理由がいろいろあつても、それはそれで、矢つ張り非常な暑さであつたから、芥川は死んでしまつた。

亀鳴くや 夢は淋しき 池の端
亀鳴くや 土手に赤松 暮れ残り