「好きな映画は?」と質問されたら、真っ先に思い浮かぶ作品です。

鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」。


映像作品としての素晴らしさ、難解で妖しい世界が好きです。


冒頭有名なツィゴイネルワイゼンが流れ、レコードに偶然入り込んだサラサーテの肉声を聞き、主人公たちが「何と言っているのかは分からない・・・」と言葉を交わすという謎めいた始まりです(このサラサーテのレコードは実存し、いまだに何と言っているのかは判明できてないようです)。

この世界の中では色んなものが曖昧です。

現実なのか夢なのか、生きているのか死んでいるのか、サラサーテの声も何と言っているのか最後まで謎のままです。


映像は全体的に色彩が独特で、これぞ鈴木清順!って空気感。

ロケ地も幻想的なところが多いです。



中でも鎌倉の釈迦堂切通しの風景は秀逸で、まるでこの世の果てのような冥界の入り口のような風情で映されています。

エログロシーンも多くて、大楠道代さんが水蜜桃を舐めながら食べるシーンがキモチ悪いのに魅力的でした。


この映画にはヒントになった小説があります。

内田百閒の「サラサーテの盤」という短編小説ですが、こちらのほうは更に難解でおどろおどろしい作品です。

 

何が恐ろしいのかよく分からないけれど、何かが怖くて何かがおかしな状況で、ワケの分からないモノへの恐怖感を見事に誘いまくる作品です。

亡くなった友人・中砂の後妻・おふさが、中砂が生前貸していたはずだと主人公のもとへ遺品を回収に通います。

最初は本、次にレコードでした。

そのレコードにはサラサーテの肉声が録音されている貴重なモノだとか。

この主人公のもとへ通うおふさの様子が、怪異かなにかのように不気味で、中砂の前妻の子供であるきみ子という娘も普通ではありません。

❝死❞と隣り合わせになっているような、現世にところどころ冥界が入り混じってくるような不穏さ、最後まで明確にならない事象たち・・・。

ずーっと靄の晴れない薄暗い夕闇の中を歩き続けているような感覚に陥ることのできる作品です。

どこが面白いとか、どこが見どころということもないのですが、しかし数多くの百閒の作品の中で大傑作のひとつであることには間違いありません。