犬が死んでしまった | オバはパチンカス

オバはパチンカス

「何もかも犠牲にしても良い」と思うほど魅力的な遊戯なんですか?

12日、オバの飼い犬が死んだ。前日の7月11日が、15歳の誕生日だった。



12日昼過ぎ、母が車に一晩置き忘れていた携帯を取りに行った。すると、携帯には正午ごろ、祖母からの着信が残されていた。


度重なる暴言だけでなく、ずっと祖母に文句を言われていることがわかり、ますます祖母へ連絡を取ることが出来なくなった母は着信に気づいても電話をかけなおすことが出来ず、すぐに伯母に電話をかけてくれるように頼んだ。


祖母が転倒…
携帯電話の紛失…


何かあったのかと、心配で伯母からの返事を待っていた。


犬が死んだと言う知らせだった。


「この10年、あれらの世話にはなってない!!!」


と言った祖母は、犬を可愛がっていた母と私を思い出したのだろうか。おそらく、祖母と犬しかいない時間に犬が息を引き取り焦った祖母は、咄嗟に電話をしてしまったのだろう。


しかし、祖母が酷い文句を言ったのは、大叔母だけではなかった。


祖母に文句を言われていることを知り、悲しくて堪らなかった母は、伯母に大叔母からの話をした。すると、伯母は言いづらそうに母に話し出した。ずっと自分も、祖母から母の文句を聞かされ続けていたということを。そして、それは、この数ヶ月連絡するたび毎回だったという。(過去記事参照:生き写し )。


その内容については伯母は話すことはなかったが、

「(祖母の母に対する文句を)聞いたら、(関係が)決定的になるでしょ?」


その伯母の言葉が、祖母が娘に言ってはいけない酷い言葉を言い続けていることを表していた。

事実を見てきたのに、事実ではないことでオバと共に怒り続け、みんなに文句を言い続けていたのに、祖母は犬が死んだと連絡をしてきた。


そこに少しの反省があるのなら・・・と未だに期待してしまう私がいる。


治るはずのない病気を患い一生服用が必要な薬も与えられず、季節の変わり目ごとに苦しそうだったオバの犬。この数年、本当によく頑張ったと思う。


祖母の家で、私たちの愛情を返してくれたのは犬だけだった。本当に可哀想な人生…いや、犬生だった。


人間は自分の気持ち次第で、相手の気持ちまでが汚れて見える。動物は、愛情を注げば返してくれる。人間は、本当にどうしようもないと生き物だと思う。


伯母が電話した時、既に祖母の家には、犬の知らせを聞いた従妹が駆けつていたという。

一番の味方を失った祖母は、これから酷く落ち込み、元気もなくしていくだろうと思う。


しかし、オバが傍にいる限り、祖母に近づくことは出来ない。



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一人の人間が精神が病むと、一人の人間の力で簡単に人間関係を作り変えることが出来る。

私たちが、オバへの愛情から出来なかったように、すでに共依存に陥っている人には出来ないと思うが、

とことんまで追い詰められる前に、パチンコ依存の人間からは距離を置いたほうが良い。


この日記も、従妹が解決できる機会があると信じていたため、’離れたほうが良い’という本当の気持ちを書けなかった。


オバは、パチンコ狂いが悪化の一途を辿ったとしても、私たちにしたような酷いことは、子供である従妹には決してしないとは思う。


しかし、従妹がオバのパチンコによる被害を体験したとき、子供である従妹の悲しみは私たちの比ではないと思う。


そのため、オバの回復が不可能で、従妹がもう限界だと感じた時、従妹のことを従妹の夫が全力でオバによる苦しみから守ってくれることを望んでいた


しかし、その後、従妹の口から私たちや遠くに住む親戚への想いを知らされ、想いの乖離を目の当たりにしたことで、従妹に対する想いもキッパリと踏ん切りをつけられた。