ももたろ妊娠中のお話・2 | 徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~

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2011年1月11日生まれの息子、ももたろはダウン症です。

先天性の心室中隔欠損+肥大型心筋症という合併症。そして喘息もち。

育児、ダウン症についてなど、思いつくまま書いてます。

どこの病院でも、毎回、超音波を見せてくれると思うのですが、ももたろはあまり鮮明な超音波の画像が見られませんでした。


大きな病院のわりには画像診断装置が良くないのかしら?などと思ったり…



それでも、画像上は異常を指摘されることもなく、ましてダウン症や心疾患の話など一言もなく、順調ですよと言われるばかりでした。



予定日は2011年2月1日。


本来なら産休は2010年12月からでしたが、有給などをくっつけて10月上旬から、仕事を休みました。



のんびりした生活。産まれてくる子のために、いろいろと片づけてスペースを確保しなきゃ…と思っていても、また明日、また明日…と先延ばしにして、これ以上ないってくらいのんべんだらりと暮らしていました。


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この時に、ムスメの妊娠の時と少し違うと思っていたことがあります。


胎動が少ない。


胎動と思ったら、しゃっくりのようなけいれんみたいな動きがやたら多かった。


ムスメの時は、ボッコボコに蹴られまくり、肋骨に当たることもしばしば。ももたろはそんな力強く蹴ることなどありませんでした。



そのうち、逆子になってしまいました。


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病院では、逆子体操は慎重に、無理せずやって下さいと言われただけ。


私も、別に逆子が戻らなくて帝王切開になっても構いませんでした。


でも、近所に逆子鍼をしてくれるところがあることがわかり、どうせ暇だし、電話したら4回だけ通ってみて、と言われたので、通ってみることにしました。



鍼に行ったあとは刺激があるのか、動くような感じもあったような…?だけど、逆子がひっくり返るほどの大きな動きは感じず…



さて、次の検診で戻っているでしょうかね?



12月の初め、検診を受けたら、逆子のまま。



それどころか、子宮口が2センチ開いていると言われ、お腹の張り止めの薬を飲んで自宅安静を言い渡されました。



いわゆる、切迫早産ってやつ。



逆子体操などもってのほか、なるべく動かずに暮らしてください…


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それからは、周りの人が大変でした。



犬の散歩とムスメの保育所のお迎えをババが引き受けてくれ、ジジババ宅でご飯も食べさせてくれました。



オットが仕事から帰ってから、ムスメをジジババ宅に迎えに行くという毎日。



私は一日中、本を読むかネットするか寝ているか。晩御飯を簡単に作るだけ。



出産前に行こうと思っていた美容院に行くチャンスを失い、伸び放題の髪の毛。まるでやまんばのようでした。



その後の検診では、さらに開いているということもなく、このまま大丈夫なんじゃないかしら…と思っていたら、年末にまさかの出血。


電話をして夜間診療してもらいました。


入院は避けられましたが、年始のご挨拶に実家へ行くこともできず、家でひたすら寝ていました。


新年2日から、外来ではなく病棟で診察してもらい、4日にも外来へ。



とにかく、37週まではお腹にいさせましょう、ということで、帝王切開の手術日を37週0日の1月11日に決定。土日と祝日の3連休の前に入院手続きを取ることになりました。


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ドクターは、入院手続きさえ済ませれば、3連休はいったん自宅へ戻っても良いと言うつもりだったようですが、子宮口が4センチになっていたので、入院して安静にしていることをお勧めします、ということになり、オットとムスメを家に置いて一人病院暮らし。



新しくキレイな病院で、しかも産婦は個室。トイレもシャワーも他の人に遠慮しなくていい。



ご飯は病院食なので少ないですが勝手に出て来るし、掃除も勝手にやってくれる。「安静に」の名の元、のんびり快適に過ごしました。



毎日面会に来てくれるムスメが、私との別れ際に泣きわめき、せつない思いはしましたけど。



ふだん、のんびり映画どころかテレビを観ることもできないので、この時に初めて、テレビでやっていた『千と千尋』を観ました。



図書館で借りておいた小説をひたすら読みました。



オットに借りたipod touchでネット三昧。



どうせ産まれたら昼も夜もない生活になるんだから、今のうち時間をぜいたくに使わさせてもらおう。



学生時代以来の、最高最大の平和な休暇だったと思います。