9月に入れば、涼しくなって、きっと今より快復して、元気が出ると
思っていました。
ところが、次にやってきたのは、不整脈。
8月の終わり頃から、気にはなっていましたが、季節の変わり目には
よく起こることなので、そのままにしておきましおうかた。
でも、昨日は不整脈が気になり、段々と苦しくなり、
近所の循環器で診てもらおうと、電話したところ、
タクシーでないと行かれないと告げると、大きな病院を受診してと
言われ、救急車を呼んだ方がいいでしょうかと尋ねると、そうですねと
また、119なのかと思いましたが、要請しました。
実は、21日に地元の総合病院の循環器科の予約を入れていたのですが、その日まで待てる状態ではなかったです。
結果は、病的なものでないので、治療の必要なないということでした。
21日にはしっかりと検査を受けて、他に病気が隠れていないか、
診察してもらいます。
ところで、私は以前より小林麻央さんの隠れ読者でした。
末期の進行がんなのに、どうして自分はきっと治ると信じることが出来るのか、私には理解出来ませんでした。
が、最近、ブログに書かれた言葉が、苦しい時、ふっと頭に浮かんで。
くるようになったのです。
例えば、10年後、20年後も生きるのだ。
私の人生の色は、決して病気の色だけでなく、彩り豊かなもの。
麻央さんは、10年後も20年後も生きられるとは、思っていなかったで
あろうと、私は思います。
なぜなら、自分の身体のことは、自分自身が一番わかっているから。
それでも、生きるのだと宣言するのは、自分を励まし、鼓舞することが、自分を信じていたからだろうと、思うのです。
搬送されながら、私は心で叫んでいました。
生きるのだと。
きっと大丈夫、私は生きてやると。
自分の身体なのに、自分ではどうにもならない。
本当にもどかしいです。
どんなに気をつけていても、パニック発作が容赦なくやって来る。
あまりに辛い時は、いっそ死んでしまいたいと思ってしまいます。
発作で死ぬことはないのに。
そんな時、私の頭に浮かぶのは、麻央さんの言葉。
以前は、理解できず、共感も出来なかったのに、
ある日、少しわかるようになり、共感できるようになりました。
麻央さんが残してくれた言葉がなかったら、私は生きる力を失って
いたかもしれません。
苦しくても生きてやるのだと、呪文のように唱え、痛く辛い時が
去っていくのを、何とか耐えています。
湯葉が寝たきりになって、ひと月くらい経ちます。
昨日は経口摂取できず、下痢もあり、点滴をしたと夫から聞きました。
本当に、お別れの時が近づいているようです。
湯葉は、最後の最後まで頑張るでしょう。
だから、私も頑張ると誓いました。