皆様こんばんは。
本日付で20代を終えるさぷおでございます。
太陽昇って10時頃にはドラえもん映画を観に行きたいと思ってるので
これともう一回くらい更新したら再び少し寝たいと思ってます。
ハイ。
今回は27歳の一年を回顧していきます。
2018年、戌年。
ワタシにとってまさに暗黒の年でございます。
でもこの一年も大切な人生の一年だったと今は思ってます。
幸せは強く握りしめて離さない。
悲しみは優しく包み込んで放さない。
どんなことからも背中を向けない。
例外は多々あります。
一月には警察官になるために仕事を退職しました。
仲間たちが送別会を開いてくれて、たくさん集まった仲間たちに感謝とお別れの言葉を言いました。
「一緒に働いて楽しかったって思って貰えてれば嬉しいです。」
ってことと
「これからも楽しみながら働いて下さい!」
ってお話したっけなぁ・・・随分前の話に感じます。
で、警察学校入校。
最初の1週間くらいは自衛隊のときの経験もあって、周りのみんなを引っ張る存在だったと自負しております。
警察学校では教場って単位でグループ作っててその中に班がいくつか分かれてるイメージです。
教場の中でも学生で一番引っ張っていく場長ってポジションがおりまして、その場長も実は自衛隊出身の人でした。
その場長にもいくつか仕事任されたりして・・・我ながら出だしは良かったと思います。
警察学校入校して1週間くらいの日に入校式があって
地元からかーちゃんも来てくれました。
そんな日にワタクシ、何やら高熱出してしまったんですよ・・・でもかーちゃん来てくれてるし、頑張ってるとこ見せたいって薬飲んで解熱して出たのですが・・・式終えてその夜に再び熱がぶり返し。
翌日にはインフル宣告されちまいまして一週間離脱。
丁度警察学校内でインフルエンザ大量発生し始めた頃だったんですよね・・・不幸なことに貰っちまいました・・・。
一週間後に復帰するも、最初の一歩をつまずいてしまった感が凄くて
みんなを引っ張っていく立場から授業でいつも怒鳴られている立場に大転落しました。
インフル復帰初日に拳銃の取り扱いテストがあったりして。習ってないものを満点取れるわけないでしょ・・・(。・ε・。)
仲間内からも孤立していく日々・・・気付けば大飯喰らいのさぷおが、喉に全然通らなくなってしまいました。
夜も安心して寝れずに何度も目が覚める・・・そんな休日のある日に身体に異変を覚えて教官とお話して、あえなく脱落・・・。
そんな感じだったかなぁ・・・。
普段鬼みたいな形相で睨みつけてきた教官がほんわかした優しい顔で話聞いてくれて。
「精神科に行きたいです」ってお願いは聞いてもらえませんでしたが。
「鬱って診断受けても薬漬けにされるだけだぞ」って言われまして。
でも当時のワタシは鬱っていう事実が欲しかったんだろうなぁ・・・そう思います。
ただ何となく体調悪い、それだけじゃ当時の自分の暗い気持ちが説明できなかったですもん。
その後も医師に診てもらうことはありませんでした。
軽度は不明ですが、あれは間違いなくうつ状態だったと思います。
腹減ってるのに食事が喉を通らない、身体は半端なく疲れてるのに寝に落ちそうになると岩に潰されそうな恐怖を覚えて目が覚める。
心が死ぬ準備をしているのだな、そう直感してました。
辞めることをカノジョに話すと電話口で泣いて話されたっけな。
「なにも信じられない」って言葉にワタシも泣いたっけな・・・。
最初は別れたくないって伝えたけど、「こんな信用できないような奴と一緒にいちゃいけないんだ・・・」って泣いて話したっけなぁ・・・。
ワタシはいつだってカノジョに負けてばっかりだったっけ・・・。
思えばそれも良くなかったなぁ・・・女性を立てつつ、でも謝ってばっかりでもダメだったなぁ・・・。
でもワタシの人生最大のピンチに別れを切り出した彼女とあそこで別れたことは正解だったと思ってます。
ピンチに支え合える関係じゃなきゃ、いづれどっかで別れてたでしょ。
少なくとも良い夫婦にはなれなかったでしょ。
正しい間違ってるじゃなくてお互いにそういう選択をした。
そういう関係だったってことです。
だから警察官を辞めたことに対する未練とかはこれっぽっちもないです。
身元引き取り人としてとーちゃんが来てくれて新幹線乗って一緒に帰ったときに、言い訳できないくらい完敗だった・・・って話しましたけど、とーちゃんは「仕方ない」って言ってくれました。
前職の友達に勇気を持ってメールしたら数秒後に電話くれて身を案じてくれました。
高収入で安定した人生、やりがいのある仕事、美人のパートナー、すべて失ったと思ってましたけどそんなことなかったです。
困難に陥ったときにそれでも自分に残されたものこそ、本当に大切にすべきものなんだって思いました。
本当、感謝しかないです。
精神的に参ってしまいはしましたが、ワタシのことをボコボコにした警察学校での生活に恨みはありませんよ♪
在籍期間は短かったけど、みんなで並んで声出しながら走るのは楽しかった。
休日に馬鹿話して絆深めるのも最高だった。
メシは旨かったし普段は鬼なのに本当は優しい教官たちにも感謝。
そして・・・元となってしまったカノジョも恨んでおりません。
うつ状態のときに「頑張りなよ」って言われたことはマジで突き放された感じがして、その言葉で心がエグられましたがw
嘘だったかもしれないけど別れて最初の朝、メールで元気になってちゃんと仕事できるようになったら縁りを戻す的な感動ポルノ話してくれたおかげでワタシもそれに向けて社会復帰頑張れました。
カウンセリング受けたとき、うつ状態の人って社会復帰に時間掛かるって話されたのですがワタシの復帰欲の早さにカウンセラーの方も驚いていました。
カノジョとの復縁に夢を抱いていたので・・・だから警察辞職後3か月とかで再び上京して仕事再開できたのだと思ってます。
カノジョがああいう嘘ついてくれたおかげです。
そして何より、「今が一番幸せ」って思い続けられた一年半、一緒にいてくれたことに感謝しています。
ありがとう。
ワタシの知らない他の誰かと幸せあれ。
別れた当時よく言ってた「大好きでした」って過去形の言葉、今なら心から言えます。
大好きでした♪
鬱になって家族の凄さも再確認。
特にとーちゃんかーちゃん。
とーちゃんは息子のピンチに、呼ばれれば本当に速攻駆け付けてくれる。
「製造物責任」とかうそぶいてw
かーちゃんにカノジョと別れたことを話すと静かに「だと思った」って一言。
親ってやっぱり凄いなって感じました。
兄貴といもーとも、つらい胸中察してくれていつもと変わらず明るく接してくれてマジ感謝。
愛犬はワタシが鬱で家にいてばっかりのときもいつも横にいて癒してくれました。ありがとう。
人生最大のピンチだったけど、ワタシはみんなのおかげで乗り越えられました(*^^)v
でもまあ、鬱になって最初の社会復帰は正直失敗したんですけどねw
最初に入った会社はブライダルフォトの会社。
素敵な写真たくさん撮ってるなぁ・・・って思って、その写真どーやって撮ってるのかな・・・って考えてるとブライダルフォトって面白いなって思いまして。
入社したんですけどやっぱり失恋直後に入る会社ではなかったですw
心のダメージでかいしw
会社としても翌日の勤務が前日の夜まで決まらないって具合にスケジュールも立てられない会社だったので・・・雇用契約しっかり結ぶ前の一週間ほどで辞めさせてもらいました。
そのとき色々親身になって相談乗ってくれたのが、警察入る前に在籍していた会社の上司。
良かったら戻っておいでーって手招きしてくれたので、出戻らせていただきました(。-∀-)
再び笑顔を作ること、その中で自分の心の傷も癒えてきたって思います。
退職して実に4ヶ月しか経たずの復職だったので同僚には散々言われたりもしましたが・・・w
理解してくれる人が大半だったのが救いでした♪
仕事復帰後間もなくして、ワタシを育て上げてくれた先輩が転職して。
その先輩のあとを継ぐようにワタシがその座に就任(。-∀-)
まだ彼に追いつけていないですが、彼がワタシにしてくれたように厳しくも優しい先輩であると同時に周りのみんなが居やすい職場を作っていきたいと思ってます♪
27歳は本当に人生最大のピンチ。
その中で感じた心の温もり、感謝、愛。
忘れてはいけないものをたくさん受け取ったと思っています。
20代の中でも、人生の中でもマジで大きな一年。
無事に乗り越えられて良かった♪♪
鬱の再発とかって時々あるみたいだし、そもそも鬱って誰にでもなる可能性のある病気なのですが今は元気にやってます。
いろんなことがあったけど、すべてのことに意味がある。
すべてのことに感謝。
出来ないことは無理なんですから、出来ることから少しずつやっていきましょ♪(*^ー^)ノ
To be continued...
あと2年分・・・おそらく20代のクライマックスはここなので少し寝て、仕事が終わった夜にでも更新したいと思います。
ちなみにワタシが生まれたのは1990年12月24日早朝4時9分。
だから4時9分までは20代で居させて下さいw
ドラえもん見ながら寝ちゃ勿体無いですもんネ。
【27歳の写真たち】
・青森のじーちゃんちで撮りました。冬毛に包まれてまん丸なスズメたち。
立派な柿の木に泊まって日向ぼっこ。
・今のとこ貰った人生で最後の本命チョコ。
綺麗だし貴重だし食べるの勿体無かったなぁ・・・これぞまさに美味でした。