更新頻度が落ちてしまって申し訳ないです。
でも、ずーーっとコツコツとダイエットの具体的な方法論を突き詰め続けていました。
そして、ここにきて、ようやく、ようやく納得できるレベルになってくれたと感じています。
本当に長かったです。
ダイエットの問題とは直接的には関係がないように思われている心の面がものすごく重要だったのです。
心の問題は奥が深すぎて、おびえてしまうほどでした。
もうちょっと足りない、まだもうちょっと足りないで、いったい何年掛かってしまったのだろうという感じです。
(本格的に取り組んでからだけで丸10年掛かってしまいました。)
ダイエットのためのアイテムを開発して、いったいこれは何なのか?と思われたりしながらも、それらが、脳の働き、心の動き、空腹感・満腹感をはじめとして、いろいろなことに関するヒントをたくさん与えてくれました。
こんなことやっている人、他にはまずいないと思います。(苦笑)
たどり着いた方法論や考え方は、極めて実践的な内容になりました。
きれいごとは徹底的に排除されていて、かなり過激な内容でもあります。
メルマガやブログで書いていた内容と、えらく違うなあと感じられるかもしれませんね。(笑)
でも、人間とはどういうものなのか?
生き物とはどういう性質なのか?
ダイエットの本質とは?
食欲とは?
心・感情とはどういうものなのか?
そういうものをきれいごと抜きで突き詰めていけば、おのずと過激と言われてしまいかねない内容になってしまいました。
学校で習ってきたことや、社会で一般的に受け入れられていることとあまりにも違いすぎる内容になってしまいました。
もうちょっと建前論を展開するほうが、当たりさわりはないのだけれど。
気合いを入れるとか、モチベーションを高めるとか、そういう気持ちでごまかすような抽象的な方法論は、できるかぎり排除したかったのと、本当に助けとなるものでなければいけないと考えていたので、結果的にそうならざるを得ませんでした。
読んだ人はどんなふうに思うんだろうか・・・
ヤバイ内容になってしまっていないかなあと不安でもあります。
(まだ、断片的なメモ書きが大量にあるという段階で、まとめていく作業をこれから始めるのですが。)
人に読まれるのがちょっと恥ずかしくなるような内容でもあるのですが、でもどんなダイエットの本とも、まったく異なる次元の方法論になっているはずです。
そこはけっこう自信があります。
ここまでたどり着いてみて、あらためて感じているのですが、はっきりいって、ふつうのダイエット情報ではまず無理だと思います。まったくもってありえないとさえ思ってしまいます。
本当に、つくづく思うようになりました。
科学とか、医学とかも、やっぱりそんなレベルだったんだなあって・・・
かなり前から、もしかしてそうじゃないかと思っていたのですが、やっぱり・・・
これでは、ダイエット問題に関して、ほとんどの人に助けとなれないのも当然だと思うようになりました。
まあ、そんな机上の空論のダイエット情報とは、まったく次元の違う方法論をこれからまとめていってみたいと思っています。
しかし、よくもまあここまで続けてこられたものだと思います。
奇跡的な不思議なことがいっぱいでした。
本当にみなさんのおかげであります。
ありがとうございます。
まあ、現状報告はこんなところで、
今回は、外食のお店が注文を増やすための方法(工夫)についてです。(ダイエットとも関係がありますよ。)
外食のお店、特に居酒屋風のお店で、店員さんの動きに関して、強く感じることがありませんか?
店員さんの主な作業は、注文取りと料理を持ってくること以外にどんなことをしているでしょうか?
やたらと皿の片付けを頑張っていると思います。
それも大事なサービスとなっているからなのでしょう。
でも、そこまで徹底しなくてもいいのになあと思ってしまいます。
意地になっているみたいだ・・・
「お皿、片付けなくてもいいですよ。」
って言ったら、
「器が足りなくなったらいけませんので、お下げさせていただいています。」
って言われちゃいました。
きっとそういうふうに指導されているのでしょうね。
でも、それはお客さんのことを思ってだけなのかというと、そんなに単純でもありません。
アメリカの大学で、およそ50人の学生を2つのグループに分けて、チキンの食べ放題を提供するという実験がおこなわれました。
片方のグループは、食べ終わった骨を入れる皿を何度も片付けて、そのたびに空の皿を用意しました。
もう一方のグループは、食べ終わった骨を入れる皿を片付けずに、目の前に残骸を置いたままにしました。
さて、どちらのグループのほうが、たくさん食べたと思いますか?
だいたい想像がつくかもしれません。
皿を何度も片付けて、そのたびに空の皿を用意し続けたグループのほうが、残骸を放置したままのグループよりも平均して約30%も多く食べたのです。
こんなにはっきりとした違いが出るとは、実験を計画した教授も驚いたほどでした。
食べ終わった皿や残骸が、目の前に積み上げられていると、「ああ、食べた、食べた」というふうに、満腹感、満足感が強くなります。
一方、食べても食べても、目の前から食べ終わった皿や残骸が消えていくと、自分がどれくらい食べたのか、視覚から得られる情報が得られなくなってしまい、よくわからなくなってしまうのです。
人は、案外、自分の満腹感に鈍感なのです。
食べ終わった皿や残骸がたくさん積み上がっていると、ああ、たくさん食べたんだなあと感じて、食べ終わった皿や残骸が目に入らないと、まだそんなに食べていないんだと感じるのです。
なんとも、人間の感覚って、いい加減なものですよね。
外食の料理は、味が濃いので、余計に満腹感がわかりにくくなります。
満腹感の信号よりも強力な味の刺激で、食べ続けることができてしまいます。
また、満腹感・満足感の関係だけではなく、食べ終わった皿がなくなると、なんだか目の前のテーブルがさびしい感じがして、注文しなければって思ってしまいますしね。
そんなわけで、皿を片付けると、注文の量が増えることがわかっているから、徹底的にお皿を下げるように指導されているのでしょう。
売り上げもかなり変わるでしょう。
回転ずしのお店も、食べ終わった皿を機械に入れると、カウントされて、目の前から消えるお店が多いです。
アドバイスとしては、食べ終わってから、最後にまとめて入れたほうがいいですよということです。
それにしても、毎食、30%も違ったら、体型もまったく違うものになってしまうでしょうね。
次回は、本能の側の気持ち、体の側の気持ちというのを考えてみたいと思っています。
立場を変えてみると、見えてくることがあると思います。
P.S.
昨日は節分ということで、巻きずし、いわし、豆を食べました。
こんなに食べるものがたくさん設定されている日も珍しいですね。
中国文化圏の旧正月もそうですが、冬から春へと変化が始まるというのは、ものすごく喜ばしいことだったのでしょう。
なんだか、最近は、スイーツの丸かぶりまで流行らせようという動きもあるようです。
さすがにそれはちょっとなあと思ってしまいますが。
それにしても、巻きずしは、あとでやたらとのどが渇きました。
やっぱりおいしいと感じるものは、味がすごく濃いのだなと思いました。
いわしも影響したのかなあ。
でも、ずーーっとコツコツとダイエットの具体的な方法論を突き詰め続けていました。
そして、ここにきて、ようやく、ようやく納得できるレベルになってくれたと感じています。
本当に長かったです。
ダイエットの問題とは直接的には関係がないように思われている心の面がものすごく重要だったのです。
心の問題は奥が深すぎて、おびえてしまうほどでした。
もうちょっと足りない、まだもうちょっと足りないで、いったい何年掛かってしまったのだろうという感じです。
(本格的に取り組んでからだけで丸10年掛かってしまいました。)
ダイエットのためのアイテムを開発して、いったいこれは何なのか?と思われたりしながらも、それらが、脳の働き、心の動き、空腹感・満腹感をはじめとして、いろいろなことに関するヒントをたくさん与えてくれました。
こんなことやっている人、他にはまずいないと思います。(苦笑)
たどり着いた方法論や考え方は、極めて実践的な内容になりました。
きれいごとは徹底的に排除されていて、かなり過激な内容でもあります。
メルマガやブログで書いていた内容と、えらく違うなあと感じられるかもしれませんね。(笑)
でも、人間とはどういうものなのか?
生き物とはどういう性質なのか?
ダイエットの本質とは?
食欲とは?
心・感情とはどういうものなのか?
そういうものをきれいごと抜きで突き詰めていけば、おのずと過激と言われてしまいかねない内容になってしまいました。
学校で習ってきたことや、社会で一般的に受け入れられていることとあまりにも違いすぎる内容になってしまいました。
もうちょっと建前論を展開するほうが、当たりさわりはないのだけれど。
気合いを入れるとか、モチベーションを高めるとか、そういう気持ちでごまかすような抽象的な方法論は、できるかぎり排除したかったのと、本当に助けとなるものでなければいけないと考えていたので、結果的にそうならざるを得ませんでした。
読んだ人はどんなふうに思うんだろうか・・・
ヤバイ内容になってしまっていないかなあと不安でもあります。
(まだ、断片的なメモ書きが大量にあるという段階で、まとめていく作業をこれから始めるのですが。)
人に読まれるのがちょっと恥ずかしくなるような内容でもあるのですが、でもどんなダイエットの本とも、まったく異なる次元の方法論になっているはずです。
そこはけっこう自信があります。
ここまでたどり着いてみて、あらためて感じているのですが、はっきりいって、ふつうのダイエット情報ではまず無理だと思います。まったくもってありえないとさえ思ってしまいます。
本当に、つくづく思うようになりました。
科学とか、医学とかも、やっぱりそんなレベルだったんだなあって・・・
かなり前から、もしかしてそうじゃないかと思っていたのですが、やっぱり・・・
これでは、ダイエット問題に関して、ほとんどの人に助けとなれないのも当然だと思うようになりました。
まあ、そんな机上の空論のダイエット情報とは、まったく次元の違う方法論をこれからまとめていってみたいと思っています。
しかし、よくもまあここまで続けてこられたものだと思います。
奇跡的な不思議なことがいっぱいでした。
本当にみなさんのおかげであります。
ありがとうございます。
まあ、現状報告はこんなところで、
今回は、外食のお店が注文を増やすための方法(工夫)についてです。(ダイエットとも関係がありますよ。)
外食のお店、特に居酒屋風のお店で、店員さんの動きに関して、強く感じることがありませんか?
店員さんの主な作業は、注文取りと料理を持ってくること以外にどんなことをしているでしょうか?
やたらと皿の片付けを頑張っていると思います。
それも大事なサービスとなっているからなのでしょう。
でも、そこまで徹底しなくてもいいのになあと思ってしまいます。
意地になっているみたいだ・・・
「お皿、片付けなくてもいいですよ。」
って言ったら、
「器が足りなくなったらいけませんので、お下げさせていただいています。」
って言われちゃいました。
きっとそういうふうに指導されているのでしょうね。
でも、それはお客さんのことを思ってだけなのかというと、そんなに単純でもありません。
アメリカの大学で、およそ50人の学生を2つのグループに分けて、チキンの食べ放題を提供するという実験がおこなわれました。
片方のグループは、食べ終わった骨を入れる皿を何度も片付けて、そのたびに空の皿を用意しました。
もう一方のグループは、食べ終わった骨を入れる皿を片付けずに、目の前に残骸を置いたままにしました。
さて、どちらのグループのほうが、たくさん食べたと思いますか?
だいたい想像がつくかもしれません。
皿を何度も片付けて、そのたびに空の皿を用意し続けたグループのほうが、残骸を放置したままのグループよりも平均して約30%も多く食べたのです。
こんなにはっきりとした違いが出るとは、実験を計画した教授も驚いたほどでした。
食べ終わった皿や残骸が、目の前に積み上げられていると、「ああ、食べた、食べた」というふうに、満腹感、満足感が強くなります。
一方、食べても食べても、目の前から食べ終わった皿や残骸が消えていくと、自分がどれくらい食べたのか、視覚から得られる情報が得られなくなってしまい、よくわからなくなってしまうのです。
人は、案外、自分の満腹感に鈍感なのです。
食べ終わった皿や残骸がたくさん積み上がっていると、ああ、たくさん食べたんだなあと感じて、食べ終わった皿や残骸が目に入らないと、まだそんなに食べていないんだと感じるのです。
なんとも、人間の感覚って、いい加減なものですよね。
外食の料理は、味が濃いので、余計に満腹感がわかりにくくなります。
満腹感の信号よりも強力な味の刺激で、食べ続けることができてしまいます。
また、満腹感・満足感の関係だけではなく、食べ終わった皿がなくなると、なんだか目の前のテーブルがさびしい感じがして、注文しなければって思ってしまいますしね。
そんなわけで、皿を片付けると、注文の量が増えることがわかっているから、徹底的にお皿を下げるように指導されているのでしょう。
売り上げもかなり変わるでしょう。
回転ずしのお店も、食べ終わった皿を機械に入れると、カウントされて、目の前から消えるお店が多いです。
アドバイスとしては、食べ終わってから、最後にまとめて入れたほうがいいですよということです。
それにしても、毎食、30%も違ったら、体型もまったく違うものになってしまうでしょうね。
次回は、本能の側の気持ち、体の側の気持ちというのを考えてみたいと思っています。
立場を変えてみると、見えてくることがあると思います。
P.S.
昨日は節分ということで、巻きずし、いわし、豆を食べました。
こんなに食べるものがたくさん設定されている日も珍しいですね。
中国文化圏の旧正月もそうですが、冬から春へと変化が始まるというのは、ものすごく喜ばしいことだったのでしょう。
なんだか、最近は、スイーツの丸かぶりまで流行らせようという動きもあるようです。
さすがにそれはちょっとなあと思ってしまいますが。
それにしても、巻きずしは、あとでやたらとのどが渇きました。
やっぱりおいしいと感じるものは、味がすごく濃いのだなと思いました。
いわしも影響したのかなあ。