前々から感じていたのですが、食べ放題、バイキング、ビュッフェという看板やのぼりが目立つようになってきました。
ここ最近は特に目に付くように感じるので、かなり増えたのではないかと思います。

ランチは980円、ディナーは1980円といった感じで、手ごろな価格で食べたいものを好きなだけ食べられるというのは、かなり魅力的だと思います。

でも、ダイエットを意識している人にとって、この食べ放題というのは、なかなか恐ろしいものだと思います。

ダイエットの上級編にあたると思っています。


「食べ放題」、「バイキング」という言葉自体が、豪快で、自由で、解放感にあふれていて、まさに欲望のおもむくままにという印象が強いです。

ダイエットという言葉のネガティブな面である制限、我慢、不満の正反対の言葉と言えるでしょう。

ダイエットの正反対の要素がたっぷりだからこそ、ふだんのダイエットが望ましいものであるのか、実はそうではないのかが暴かれてしまう可能性が高いです。


ふだん我慢しているという感覚が強い人ほど、食べ放題の解放感の前に強く興奮してしまうことになり、どれくらい無理していたかということが、明らかにされてしまうのです。


具体的には、「食べれば食べるほど得をする」、「できれば元を取りたい」、「ひと通り全部食べてみたい」とか、欲が激しく刺激されてしまいます。

そして、食欲以外のいろいろな欲、いやしさが激しく刺激されて、空腹感にしたがってふつうに食べるというのが普段よりもはるかに困難になってしまうのです。

それらのいやしい感情などは、自分のエゴといったものなのかもしれません。



さらに、濃い目の味も食欲を刺激することでしょう。

食べ放題の食べ物は、味は濃い目になっていることがほとんどです。

「大は小をかねる」というように、「強は弱をかねる」となっているからです。

だから、余計に食べ過ぎになりやすいです。


おいしそうな料理をどれだけ食べても許されてしまうという圧倒的な解放感で、大興奮してしまうのも無理はないのかもしれません。

食べ放題・バイキングは、そういう自分自身のいやしさが強くなってしまっていないかを確かめるよい機会にもなると思います。



昔、食べ放題で妙に興奮してしまった経験が何度かあります。
普段、食べるのを我慢しているという感覚があったため、知らないうちにいやしさが強くなってしまっていたのだと思います。
いつもならば、そういういやしさはかなり抑えられていたのですが、食べ放題・バイキングという「たくさん食べなきゃ損だ」という気持ちがつきまとう特別な状況で、ついつい興奮してしまいました。

自分のいやしさが強くなりすぎていることを見事に思い知らされたのでした。シラー


まあ、今は余裕を持って楽しめるようになりましたが、それでもやっぱり食べ放題系は、独特の魅力があって、迫力があります。

「和食、洋食、両方食べたいなあ」とか、「和・洋・中があるのか、どうしたもんか」とか、「こんな高級ホテルのおいしい料理は食べておかないともったいないぞ」とか、いろいろと心が揺さぶられたりするのが、食べ放題の魅力であり、恐ろしいところでもあるのでしょう。



食べ放題だからと興奮して食べ過ぎるのを防ぎたいという人へのアドバイスです。

元を取るためにちょっとでもたくさん食べたいという人は、逆のことをすればよいでしょう。

スープ類や野菜を食べて、ちょっと落ち着いた状態になってから食べましょう。

・好きなものを少しずつとるようにして、ひと通り全部などとは欲張らず、そんなに食べたいと感じなかったものはスルーしましょう。

・これは特においしかったというものだけ、もうちょっととってくるか、もしくはデザートなどをゆっくりと楽しむようにして、苦しくなるほど詰め込むのはやめましょう。

・普段隠されている自分のいやしさが暴かれてしまうという心積もりでのぞみましょう。心の余裕の程度が明らかにされることになります。たくさん食べなきゃ損だという気持ちがどれくらい強くなるかに注目してみましょう。



P.S.
ロンドンオリンピックは終わってしまいましたが、やっぱり時差というのは影響が大きいと感じました。

夜中の2時や3時から競技があるとなると、見たくても見るわけにもいかず、ビデオでとって、そして朝のニュースで先に見てしまって、「うーん」というのを繰り返していました。

生中継で見ればよかったなとか、ビデオを先に見ればよかったなとか、見なくてよかったなとか、録るまでもなかったなとか、そんなこんなで時差の大きさの前に無力でした。


今回のロンドンオリンピックでスポーツ面以外で特に気になったのは、大会マスコットキャラクターがまったく目につかなかったことと大会テーマ曲を耳にしなかったことです。

不思議だなあと感じました。

オリンピックといえば、ロサンゼルスオリンピックの印象が強いです。

それ以前のオリンピックというものに関する記憶はまったくないので、余計にそうなのかもしれませんが、どう考えてもあれは強烈でした。

開会式も生中継で見たのか、ニュースで見たのかも思い出せませんが、やたらと強く印象に残っています。

人間が空を飛んでいたし(笑)

アメリカのパワーというものも感じました。

テーマ曲も強烈で、ほとんど洗脳レベルというくらいに聞かされていた感じです。

http://www.youtube.com/watch?v=5miBlCiX_D4

http://www.youtube.com/watch?v=N2ihkwjDxtA



キャラクターも1年くらい前からテレビで登場しまくっていました。イーグルサムというオリンピックマスコットキャラクターの今思い出すとなんだかよくわからないアニメを大会の1年くらい前から見ていて、というか見せられていて、オリンピックというものがあるらしいと気持ちを盛り上げさせられていました。

だから、今回の大会で、マスコットキャラクターや大会テーマ曲が存在感がなさすぎて、ちっと悲しいもんだなあと思いました。



あと、審判が目立ちすぎてなんだかなあという気持ちになることが多かったです。

できれば審判はあまり目立って欲しくないものです。

特に柔道柔道(この絵文字は空手かな?)の旗判定は、副審たちが主審の上げる旗を見てから自分の旗を上げているようで、思わず画面に「オイ!」と言いたくなりました。
あんなのでいいのかと思いました。

国際舞台で勝ちたいならば、柔道もJUDOとしてとらえなければいけないということなのでしょう。

スポーツは、ルール作成も含めた戦いなのだということを思い知らされた大会でした。