今回は、「糖質制限ダイエットの危険性と効果について4」で、糖質制限ダイエット方法については、とりあえずは今回が最後になります。
本当はこういうレベルのところから考えていく必要があるのですよという話になります。

すでに糖質制限ダイエットを実行している人は、できればこの記事は飛ばして、読まないで欲しいと思っています。
頑張っている人の足を引っ張るようなことになるのは本意ではないからです。

この記事は、糖質制限ダイエットが流行していて、やらないといけないのだろうかと不安になっている人たちに向けてのものです。読む人は自己責任でお願いします。


まずは、とても面白いですよと前回に紹介していた動画です。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/frans_de_waal_do_animals_have_morals.html#t=12m31s

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19954943 (基本的には、上と同じ動画です。)


同じ群れに属する2匹のサルをそれぞれ隣り合う別のオリの中に入れます。
そして、課題(石を人間から受け取って、その石を同じ人にまた返すという仕事です。)をこなすとご褒美がもらえるのですが、そのご褒美を左右のサルで差をつけると、どのような変化が起きるのかを調べるという実験です。

それぞれにキュウリを与えると、喜んで食べます。

ところが、まったく同じ課題をこなしているのに、左のサルにはキュウリを、そして右のサルにはブドウぶどうを与えてみました。

いったい、どうなったでしょうか?

だいたい予想はつきますよね。

同じ課題をこなした右のサルがブドウをもらっているのを左のサルは見てしまうのです。

そして、「次は自分もブドウをもらえるに違いない。でも、もしもキュウリのままだったらどうしよう。」という気持ちで、課題をこなします。

そうしたらなんと、キュウリを与えられたのです(笑い)。

左のサルは怒り狂って、もらったキュウリを実験者に激しく投げ返しました。

そして、床を叩いて悔しがり、オリを激しくゆすって、怒りをあらわしました。

まさに人間そっくりの悔しがり方、怒り方で笑わずにはいられません。

そして、また、右のサルはブドウをもらっているのを見てから、左のサルは石を受け取るのですが、その石に違いがあるのかもしれないと疑って、壁に石をぶつけて確認しているのが切ないです。

間違いなく同じ石であると確認してから実験者に石を返したところ、またブドウではなくキュウリが与えられました。

ちょっと反応ができずにかたまって、一呼吸おいてから、状況を理解して、また怒って実験者に投げ返して、怒り狂い始めました。

「そうそう、これ、このブドウが、って、これブドウちゃうやろ、キュウリやろ」って漫才の定番の「ノリつっこみ」とそっくりで笑ってしまいます。


これは、「不公平実験」と言われる有名な実験なのですが、この実験からどんなことがわかるでしょうか?


もともとキュウリをもらって喜んで食べていたのです。

ところが、まったく同じ課題をこなしている隣りのサルがキュウリではなくもっとおいしいブドウをもらって食べているのを見てしまったのです。

そして、次からはキュウリでは納得できなくて、怒り狂うようになりました。


このように、感情というものは絶対的な基準で動いているものではなくて、極めて相対的なものであるということがよくわかるでしょう。

みんながキュウリを食べている状況ならば、キュウリで満足できるのですが、みんながブドウを食べている状況ならば、キュウリではまったく満足できなくて、強いいらだちを感じてしまうようになるのです。


このサルの反応は、極めて本能的なものなのですが、人間だとどうなるでしょうか?

きっと、人間だとこんなあからさまな反応は見せないでしょう。
なぜなら、みっともないからです。

かっこをつけて、本能的な反応を隠してしまうというか、隠せてしまうので、まるでそういう本能的な反応(感情)が無いように振舞うことができてしまいます。

そのため、そういう本能的な反応は、人間においてはあまり重要なものではないというふうに錯覚することになったのだと思われます。

そうやって、本能的な面を軽視してきたため、ダイエットも理性だけでコントロールしようとするものばかりが氾濫してしまっています。

本来は、こういった本能的な反応を重視して、そこからどうすればよいかを考えていくことが非常に重要であるはずです。こういった面を軽視したダイエット情報は、そもそも幻想を元にしてしまっているのですから、そのレベルは痛々しいものであって、効果が得られにくいどころか、結果的に有害な情報になってしまうのです。

言いすぎかもしれませんが、冷静に現状を考えてみると、そんなふうになってしまっていることがきっとわかるでしょう。

このように本能的な反応というのは、人間においても実際はすごく重要なものであって、決して軽視していいものではないのです。


身近な例では、「同じ釜の飯を食べる」と言うように、同じ食べ物を食べる人は仲間、そうでない人は仲間ではない、むしろ敵であるというふうに本能的に反応が起きてしまうようになっています。

「ちょっとした食べ物をもらったりあげたりして、そしていっしょに食べる。」、「おいしいね、おいしいね」って。
こういった行動を通じて、仲間であるということを確認し合うということはとても重要なことなのだと思われます。

同じ食べ物を食べない人は、単に変わり者だと思われるだけではすまなくて、敵だとみなされてしまう可能性が高くなってしまいます。

これらの行動は、実に本能的なものであって、理屈でどうこう言っても仕方の無い話です。
本能的な感情が元になっていて、理性の働きによるものではないからです。


同じ食べ物を食べない理由が、「食べたいけれど、病気で食べられない。」というものだったならば、「そうなのか、それは気の毒だな。」となって、敵視されるようなことにはならないでしょう。でも、理由しだいでは、敵視されかれないわけです。

ダイエットというものも、そういう点まで考えておこなうべきものだと思っています。
人間においては、本能的な反応はかなりの程度隠せてしまいます。でも、隠せてしまうだけであって、本当は左のサルみたいに、怒りにふるえているはずなのですから、そういう影響を重視しなければいけません。


以前に、食べることと心の関係について記事に書いたことがあります。

「食べることと心の深い関係とは?」
http://ameblo.jp/pink-diet/entry-10746491077.html

詳しくは、そちらの記事を読んで欲しいのですが、要点だけを抜き出してみます。

『たとえば、まったく同じ新鮮なとれたての卵を卵かけご飯にして食べるとして、Aさんには、「この卵は今朝とれたばかりの新鮮で栄養豊富なとってもおいしい卵ですよ」と言い、Bさんには、「この卵はもう10日以上たつけれど、まだ生で食べてもそんなに問題はないと思う」と言ったとしたら、Aさん、Bさんは、同じ卵かけごはんを食べて、それぞれどんなふうに感じると思いますか?』

『食べるときにどんな気持ちになるのか、食べたあとの満足感の感じ方はどれくらい違ってくるのか?
きっと想像できると思います。』

『情報によって、感じ方や満足感に大きな影響があるのです。
品評会で優秀賞を受賞した誰々さんの作った年に○本しかとれない特別な○○というふうに、情報がおいしかったりするのです。』

『私たちは、食べ物を食べるとき、そのものだけを食べているわけではないのです。
ものだけではなく、情報や感情もいっしょに味わって食べているのです。!!』

『同じものを同じだけ食べても、同じように感じるわけではないということが実感してもらえるかと思います。
こういう食べ物をこれだけ食べたらこうなるはずとは決して言えないのです。』


食べることは、感情と深く関わっているものであって、決して絶対的なものではなく、極めて相対的なものなのです。

まわりの人との比較だったり、情報だったり、感情だったり、いろいろなものに、ものすごく大きな影響を受けるものなのです。



さて、ここでちょっと考えて欲しいことがあります。

左のサルは、キュウリしかもらえずに怒り狂っていましたが、人間ならではの思考の力を活用して、左のサルの立場だった場合でも怒らずにすむようにする(納得できるようにする)にはどうすればよいかを考えてみてください。





考えてみてくれましたか?





まず、右のサルがもらっているブドウは、すっぱいブドウに違いないと思うようにするというのが一つ目の方法です。
イソップ童話にもあったように、人間の心理の基本的な防衛機能の働きです。

でも、そのブドウが甘くておいしいことはよくよくわかっているので、その方法は通用しないでしょう。


人間ならではの知識、情報を活用して、すっぱいブドウだと思うよりももっと効果的な方法があります。

それは、そのブドウはたしかに甘くておいしいだろうけれど、それを食べると結果的に健康を害することになってしまうと思うという方法です。

たしかに、甘いもの(糖質)を食べると血糖値が上がることになるので、場合によっては健康を害することにつながる恐れがあります。その点を徹底的に強調すれば、「ブドウを食べると健康を害するから、キュウリの方が健康的で望ましい食べ物だ。」ということになり、キュウリで納得して、不満を感じずにすむことも可能になるだろうと思います。

人間ならではの知識、情報というものを活用すると、あの激しいいら立ちをなんとか乗り越えることも不可能ではないということです。


これらを元に、糖質制限ダイエットをしている人たちが、どのようにして、糖質を食べないでも心のバランスを取ることができているかを考えてみると、かなりわかるようになるでしょう。

まず、実際に糖尿病で苦しんでいる人ならば、「糖質を摂取すると、血糖値が上がって、糖尿病の怖い合併症の問題が起きてしまう可能性が高くなるから、これは仕方が無いことだ」と納得するというのは、自然なことだと思われます。

そんなに深刻な状況でもなく、特に病気でもないという人だと、どうなるでしょうか?

糖質がたくさん含まれるおいしい食べ物を自由に食べまくっていても、やせていて特に病気にもならないという人を見ていると、どうしても自分の食事にわびしさをおぼえる恐れがでてきます。

しかし、「あんな食事をしているといずれ病気になるに違いない。それに比べて、自分の食事は、極めて健康的な食事で、実に望ましいものである。」というふうに思えるならば、床を激しく叩きたくなるような悔しさを乗り越えて、バランスを取ることも可能になるというわけです。

好きなものを自由に食べられないことで不足している分の喜びを補うために、情報によって喜びを得ているのです。

だから、本やブログなどで、糖質制限ダイエットはこんなにも素晴らしいという情報を必死で追いかけたり、情報発信や情報交換にすごく熱心になっているわけです。


糖質が大好きな人を糖質中毒、糖質依存と呼ぶのならば、情報中毒、情報依存となることで、足りない喜びを補っていることになります。

また、より多くの人が糖質制限ダイエットに取り組むようになるほど、相対的な苦しさが減るということも軽視できません。
まわりもみんな糖質を食べない人ばかりならば、糖質制限食は決して苦しいものではなくなるわけです。(すでに糖質のおいしさをよくよく知ってしまっているので、なかなかそうは簡単にいかないでしょうが。)

糖質制限ダイエットが続けられる人の特徴をよく見ていると、糖質から喜びを得られない分をアルコールと情報から喜びを得ることで、バランスを取ることができているというふうに考えられます。


それから、歴史的に見てもそうなのですが、「この健康法・食事法はものすごく素晴らしい」と体験者がよく語るものは、制約が多くて、ものすごく負荷がかかる健康法・食事法であるということがうかがえます。

それだけストレスの強いものであるので、ものすごく素晴らしいと感じるような人でなければ、逆に続けることができないというふうになっているのだと思われます。


以前、ニュースステーションという番組で、人生最後の食事には何を食べたいと思うかということをテーマに各界の有名人にインタビューをおこなう「最後の晩餐」という企画がありました。
そこでは、圧倒的に「ごはん」という答えが多くなりました。

最後に一つ選ぶとしたら、何の味付けも無い「白ごはん」という答えになるというのは、わかる気がします。

ネット上での同じアンケート調査では、1位:お寿司、2位:白ごはん となって、こちらもお米関連が上位を占めました。


こういう存在であるごはんをはじめとした糖質を、一生にわたって我慢し続けるということは、とてつもない負荷が掛かることであって、病気でどうしても仕方が無いという人を除けば、あまり軽々しく手を出して欲しい食事法・健康法ではないと思っています。

もしも本当に健康に良い素晴らしい食事法であったとしても、まわりの人たちがこれだけおいしいものを自由に食べているという状況で、桁違いの悔しさをうまく乗り越え続けていかなければいけないのですからね。


それから、病気に気をつけるのならば、血糖値以外にも気をつけなければいけないことはたくさんあるはずです。

たとえば、糖質制限食は脂質を取り過ぎて、血管に悪影響をおよぼしてしまうということが血管エコーで見るとよくわかると真島康雄医師は警告しています。

脳梗塞・心筋梗塞は予知できる 真島 康雄 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4344016394

「糖質制限食」開始から3年2ヶ月後に脳梗塞になり、食習慣が発病を早めたと思われる症例。
http://majimaclinic22.webmedipr.jp/kanzenyobou/column2/29.html

洋風食(炭水化物制限食に類似)の食事は脳梗塞・心筋梗塞になりやすい。
http://majimaclinic22.webmedipr.jp/kanzenyobou/column2/28.html

LDL低下させずに動脈硬化を改善させ、外眼筋麻痺(複視)・寝汗・SASを治せました。
http://majimaclinic22.webmedipr.jp/kanzenyobou/column2/25.html


まだ他にも重要なことがいろいろとあったのですが、長くなってしまったので、機会があったらまた語りたいと思っています。とりあえず、糖質制限ダイエットの話は今回でいったん終了といたします。

いずれにしても、ただやせたいということならば、そんな極端な制限のあるダイエットなどしなくても、好きなものを自由に食べて、悔しさなんか感じることなく、やせることは十分に可能です。
むしろ、そんな制限なんかするほうがまずいことになります。
サルの動画からも、それはよくわかるでしょう。


次回は、ダイエットにおいてとてもよいとされていることですが、本当にそうなの?ということについてです。


P.S.
不公平実験の話は、ダイエットの話だけではなく、もっと奥が深いところへつながっていくものでもあります。
「人は苦しいのには耐えられても、不公平には耐えられないようになっている。」といったことです。
また、別の機会に、詳しく語りたいと思っています。


糖質制限ダイエット方法の危険性や問題点について語ってきましたが、糖質制限食を敵視しているわけでは決してありません。カロリー制限の食事指導が成功確率の高い望ましいものだとも思っていませんし、糖尿病の治療法の選択肢が増えてくれるならば、その方がずっと望ましいと思っています。

ただ、糖質制限というものの性質上、実行している人は極端なまでに素晴らしいと語る人が多くなるため、メディアもこぞってとりあげ、自分も糖質制限ダイエットをやらないとまずいのではないかと不安になる人が非常に増えてきたので、まずは情報を知って欲しいと思いました。

いろいろな情報を知ったうえで、自己責任で判断して欲しいと思っています。

糖質制限食を続けている人のブログなのですが、この記事にとても感動したので、紹介します。
http://ameblo.jp/ykazuhir/entry-11488331663.html
こういうスタンスにたどり着ける人は立派だと思います。


どのような健康法・食事法であれ、「強がりではなく、本心から喜びが増えるのならば、取り入れたらよいし、そうでないならば、取り入れなければよい。」ということが基本になると思っています。

それから、こういう食事をしたらやせられるとか、こういう運動をしたらやせられるとか、そんなものは表面的なものにすぎません。そんなレベルの話からは卒業して欲しいというのが本当の思いです。