「最低でも30回以上噛んで、ゆっくりと食べなければいけない」といったことが、さも当然の常識かのように、語られています。

たしかにそういう食べ方を続けられたならば、やせられる可能性は高くなるでしょう。

でも、そういったダイエットの方法論は本当にひどいものだと思っています。

なかにはうまくいく人もいるというのに、そんなにひどいものだと思う、その理由はいったいどういうものだと思いますか?

その答えは、ダイエットがうまくいかなかったとき、はっきりと見えてきます。

そういったダイエットの方法論に従って頑張り続けてもうまくいかなかったとき、彼らはどういうことを言うでしょうか?

「一口につき30回以上噛まなかっただろう。」

「つい油断してしまうということは、真剣度が足りないということだろう。」

「そもそもやせようという気がないんじゃないのか?」

こんなふうに、頑張っている人に対して、「あなたのモチベーションが低いから、だめなんだ」と全責任を押し付けてくるのです。

そして、「自分が悪いんだ。本当に情けない。」と強烈に自己嫌悪を感じさせられてしまうのです。


「このやり方でうまくいった人もいるんだから、それが続けられないのは、そもそもやせようという気が弱いからだ。」

うまくいった人もいるから、余計に怖いわけです。叫び


方法論自体のレベルが低いのが問題の原因であるのに、それを実践者のモチベーションの低さに原因をなすりつけてくるのです。


指導する側のレベルの問題であるのに、それを認めずにごまかして、頑張って実行している人に責任をなすりつけて、批判、攻撃してくる。

体罰の問題と根は同じだと感じています。



「モチベーションが高かったら、うまくいくはずだ。」

「うまくいかないのは、モチベーションが低いからだ。」

結局、本人のモチベーションの問題だということになってしまいます。


やせることがつねに人生最大の重要なことであるならば、どんな方法であったとしても、きっとやせることはできるのだろうと思います。

でも、それでは、いろいろな問題を引き起こす可能性も高くなって当然でしょう。

そもそも、やせるために生きているわけではないはずです。

それが望ましい状態だとはとても思えません。


私が大切だと思っているのは、やせることは4番目や5番目に大切なこと、あるいはそれ以下の順番のものであったとしても、うまく成功させられるような方法論でなければいけないはずだということです。


ダイエットなんかよりも、もっと大切なことがたくさんあると感じて、それらに熱中しながら、それでいてちゃんと結果が出せるようなものが求められていると思います。

無茶なまでに高いモチベーションが求められるようなダイエットなんて、有害きわまりないのです。



ダイエットの本では、「必ず30回以上噛んで、20分以上掛けて、ゆっくりと食べましょう。」といったことが、当たり前のように書かれています。

そして、ビジネス書(特にライフハック系)や自己啓発書などでも、ダイエットのことがよく書かれています。

それらを読んでいて、ずーーっと前から感じていた思いがあります。

あなたもきっと感じていたのではないでしょうか。

それは、一言で言うと、「説教臭い」ということです。

何かおかしい、きっとおかしいはずだとずっと思っていたのですが、ここまできて、はっきりとわかってきました。

やっぱりまぎれもなく「説教臭い」のです。

そして、その原因は、やはり「レベルが明らかに低いからだ」というものでした。

思っていた通りでした。



世の中には、いかにも正しそうで、実は危険な情報というものがあふれかえっています。

その道の専門家たちも、みな例外がないほどそれが正しいと言っています。

でも、それはレベルがまったく足りていないから、そこで止まっているだけであって、有害なものはやっぱり有害なのです。

本当に気をつけてください。



「30回以上よく噛むように、つねに意識し続けて、頑張る」というのは、まったく望ましい方法だとは思いません。

生き物の本能的なあり方にそもそも反しているわけですし。

こんな方法論は痛々しいです。


私たちは、特に問題がないときは、無意識モードで動いているのです。

そして、これはなんとかしなければというときだけ、意識でコントロールできる意識モードで動いているのです。(これは、脳のデフォルトモードネットワーク・DMNと言われている脳科学の最先端のテーマに関わってくる問題です。これまでの脳の働きのとらえ方を根本から考え直さなければいけなくなるような話です。)


特に、食事の際は、無意識モードの働きが強くなるようになっています。

つねに意識(理性)でコントロールし続けることを要求するような方法論には、くれぐれも気をつけてください。


「よく噛まなければいけなかったのに・・・」と忘れて、反省ばかりさせられてはいないでしょうか?

そんなレベルの低い説教くさい話は、危険なので無視してください。

まあ、ただ、早食いが正しいと言っているわけではありません。

説教くさくて、責任を押し付けてくる危険な情報(レベルが低いことが原因)が多いので、くれぐれも気をつけてくださいという話をしたかったということです。


よく噛むということに関して、本当に望ましい方法論というものをどうしても知りたいという人は、メッセージを送ってもらえたら、お伝えいたします。



次回は、食べ過ぎてしまう本当の理由について、3年ぶりに語りたいと思っています。




P.S.

おすすめのブログを紹介します。

もし、あなたが摂食障害で苦しんでいるならば、ぜひ読んで欲しいと思います。

過食にさよなら、自分の美を目指して
http://ameblo.jp/nnliu/

Nanaさんは、摂食障害克服のためにブログを書いていたということさえ、忘れてしまっていたということです(笑)。

こういう、そう言えば、自分は苦しんでいたんだったというのが、典型的な望ましい経過だと思います。


ここ最近は、摂食障害に関しての話を記事にあまり書かないようにしてきました。

その理由は、摂食障害の問題は、真正面から取り組んで戦おうとするのは、あまり望ましい方法ではないということがあるからです。

その問題に関しては、あまり深刻にとらえすぎないようにしつつ、本当に必要な知識をつけていくという方向の方がはるかに望ましいはずだからです。

Nanaさんの場合も、真正面から力でぶつからなかったのがよかったのだと思います。

詳しくは、ブログの記事を読んでください。

とても参考になると思います。




P.S.2

1週間ほど前のことですが、ラジオを聞いていたら、年配の女性が、今日、自分の孫(男の子)を小学校の入学式に連れて行きましたという話をしていました。

おばあちゃんと孫のお話です。

校門のだいぶ手前で、「もうこの辺でいい?」と聞いたら、保育園に通っていたときは、声が大きくてうるさくて困っていたくらいだったというのに、本当に小さな弱々しい声で、「まだ、いっしょにって」と。

そして、校門に近づくにつれて、握っている手にだんだんと力が入って、緊張しているのが伝わってきて、「がんばれ、がんばれ」と心の中で応援していたということです。

そのおばあちゃんが泣きそうになりながら語っているのを聞いて、車を運転していたのに、思わずもらい泣きしてしまいました。

まいりましたよ。


そういえば、そうだったんだよなあ。

みんな、初めてのことは、緊張でいっぱいで、怖くて仕方がないことだったんだよなあって。

でも、それを乗り越えたら、いつの間にか慣れて、それが当たり前になって、そんなことを繰り返していくんだなあって。

まあ、当たり前のことだけれど、意外と忘れてしまうことだなあと思いました。