自分が何が好きかは大切だけど、人の好みを否定すると、せっかくの好きが楽しくなくなってしまいますよね。

今の着物の世界ってなんだかそんな魑魅魍魎が住む世界な感じかも。

きれいに着物着るとか、季節に合わせて着物着るとか、本人が満足している分にはいいし、他人様が気がついてあら素敵ねーとか粋ねと思うのはとっても良い事。

でもそれをを本人がいろいろ解説したり、他人を批判したりするのは、粋じゃないなぁと思ってしまいます。

着物きれいに着たいなぁと思う人もいれば、色の組み合わせが好きだなぁと思う人もいて、文化や歴史が楽しいと思う人もいれば、生物の素材の素晴らしさ、技術に惚れ込むという人もいる。
それぞれみんながすばらしい。

さて先日おうちカフェに行ったお友達の2人の話です。
お一人はもう若い時から何十年と着物着ている大先輩。

若い時から素敵な着物次々と誂え、着付けも着姿も本当にパーフェクトです。

おうちに茶室があったり、みんなの憧れの的でもご本人は偉ぶる事なく、おくびにも出そうとしません。

もう一方(ひとかた)はほぼ着物初心者です。
1年に数回私たちとお食事をする時だけ、着物を着付けています。

ご自分の着物もほぼ若い時にあつらえた物だけ。
他にお母様やおばあさまの着物がたくさんあるようです。

7月に入ってからのお食事会だったので、夏物持っていない彼女はとても悩んでいました。

絽とか紗は、お持ちじゃなく。
かろうじて単の着物何枚かお持ちのようでした。

単のお着物でもいいかしらと彼女が言うので、私はいいと思いますと彼女後押し。

ただ自分は何も考えず、せっかく7月だからと絽を着ていきました。

先程の粋でいなせな大先輩は、なんともう一方に合わせて、単の紬を着てきました。
お茶の世界も長い彼女。
友達に相談された時、季節に合わせるのではなく、友達に合わせたのでした。

もちろん彼女は、一言もそんな事はおくびにも出さず、私に注意する事もありませんでした。
ただ、ただ楽しくて穏やかな時間が過ぎ、お家カフェの季節の器や、趣きのあるお料理を楽しみ。

帰り道、私は感心しきり。

粋でいなせなあんな方に、私もなりたいと思った幸せな午後でした。