夜明けと共に(2) | 春風あかねのブログ

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歯科衛生士とケアマネージャーの資格を持っています。くも膜下出血からの生還。最近では自己愛性パーソナリティー障害の人との関わりを絶とうと決心。

眠れない夜。途中から停電、断水になるって覚悟はしていたので、色々と準備はしておりました。台風はある程度天気予報で心の準備、食料の準備などはできます。いざ、停電になると心細いです。一番安全かなと思われる部屋で布団を頭からかぶりながら台風が過ぎ去るのを待ちました。たぶん2階は吹き飛んでるんだろうな。避難している部屋の西側の雨戸が風でサッシの窓まで風圧で割れるんじゃないかと。まだ、その時はスマホも使えたので何とか情報は入ってきてました。その後、防災無線もダメになり、情報はラジオだけとなりました。そのラジオもあまり台風に関してやってくれてない。夜が明けてきました。隣の診療室へ行ってみると、2ヶ所ある換気扇が吹き飛び部屋の中は水浸し、2階からの伝い漏れでとんでもないことに。それより、2階は??大丈夫吹き飛んでない。瓦と屋根がやられてる。二軒隣の家の屋根がない!もうパニックです。主人とヘルメットをかぶり外へ出ます。道路が瓦で車が通れません。急いで拾います。近所の人も出て来て拾ってくれます。うちの飛んだ瓦が隣の家を直撃してないか。まずそれですね。隣の家の被害はうちの瓦かどうかもわからないし、うちもどこからか飛んできたものに車がやられてる。ここで、近所同士が普段から仲良くないと とんでもないいざこざに発展しますが、自然災害は自分の家は自分でお金を出して直さなければいけないんです。でも幸い近所の人たちは笑って「お宅もやられたのねー」くらいで、隣の畑に飛んでいった瓦を拾いながら所有者に謝り泣きそうになりましたが、逆にこちらを心配してくださり、ありがたいなって思いました。後からの話ではよその地区では弁護士入れて話し合ってるとか、近所づきあいができなくなったとか、影で悪口言われたりとか。それは一年経った今でも。そんなパニック状態でした。その後スマホ、電話が使えなくなりました。東京にいる子どもたちが心配してたそうです。断水は台風後でした。なぜかというと、停電で浄水場からのポンプが作動しなくなったからです。あと、ありがたいなって思った事は後で聞いたのですが、うちを建てた大工さんが頼まなくても見にきてくれていたということ。2日後でしたが、応急処置を7人くらい集めてやってくれたということ。大工さんは200件以上の台風被害の家をかかえることに。今でも忙しく毎日作業しています。
↓道路に落ちてしまった瓦を集めた所。この後南房総市指定の場所に自分たちで運ぶことになります。土嚢袋で100はありました。