共に育つ【中編】 | うさぐのブログ

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今年の目標:一日一努力。

続きです。
前編はこちら
http://ameblo.jp/rainbow-love-it/entry-11406246208.html



演劇科の歌の個人レッスンでの
最初の試練は
僕にとって大きな壁となるものだった。


だって
それまで自分は
好きなミュージカルの歌を
モノマネに近い感じで歌ってきたからだ。


旋律と歌詞だけではなく、
歌い方や声の色まで
無意識にコピーしようと
してたと言ったほうがいいか。


そんなわけで
僕には「自分の歌」というものが
長いことなかった。



課題曲だった
Love changes everything(Aspects of love)は
自分では普通に歌っているつもりでも

石丸幹二さんの声をまねたような
発声になっていると指摘され、

なおし方が分からなくて苦労した。



もしその歌い方をやめたら
平坦なヘタクソな歌になってしまうからだ。




中学で消極的に歌うことを覚えていたから、
自分にできる歌い方は
「マネ」か「へたくそ」
その2択しかなかったわけ。



実年齢で歌うこと、

すなわち

「素直に普通に歌う」ことに

対する抵抗との戦いが始まった。




ありのままに見せる=表現してはいけない

このパラドックスにくるしんだ。




そして、山下幼稚宴でも
この課題は付きまとうことになる。




大学ではミュージカルではなく
声楽を専攻。

イタリア歌曲、アリア、オペラ、日本歌曲など
ひととおり触れた。



僕の大学は学園都市で、
校舎は山の中にあったから
レッスン室が開いてない時は
聖山で歌曲を練習したりもする。

外で気持ちがいいのだが、
学生がたまに通るから
様子をうかがいつつやる。



こうやって聞くと
熱心にやっていたように思えるが
実際はけっこーサボっていた。




最低限の練習で
試験に立ち、
そこそこの評価をもらえていたし
それで満足してた部分もあった。

なにせ山下幼稚宴の制作や稽古が
忙しくて
大学は単位を取りに来るだけの
場所だったから。




意図してそうしたわけじゃないけど、
大学時代の友人は少ない。

授業や実習で関わることはあっても
プライベートで濃密な時間を過ごした人は
いなかった。
僕が人見知りというのもあるけどね。



でも、その中でも
僕という人間に興味を持ってくれた人とは
今でも親交が続いている。


山下幼稚宴を続けることの中には、
その人たちへの恩返しをしたいという
願いもあるのだ。

まだ結果は出てないけれど。。。






ちなみに大学で四年間
このボンクラを暖かく指導してくださったのは
テノールの市川和彦先生。


とにかく声の持つ響きだけで
身ぶるいさせるほど
日本人離れしたものを持っていて、

そのころから
僕の中で
「この声量こそがプロの条件なんだ」という
勝手な自覚が生まれた。





ここでちょっと
小話。



声楽では
「声種」という言葉がある。

小学校の合唱の時間で
なじみがあるかと思うが
ソプラノ、アルト、テノール
といったアレのことである。


男性の声種は
高いほうから

ソプラニスタ
カウンターテノール
テノール
バリトン
バス

とこんな感じ。





自分は見た目が子供っぽいので
勘違いされやすいが、
テノールではなく
それより一個低めのバリトンである。

体格の割に
意外と声が高くないのだ。





校舎を歩いていたりすると、
違う門下の先生からは
「君はテノールだと思うんだがねぇ。」
と幾度となく声をかけられたのを
覚えている。


でも自分ではどうすることもできないため
「はぁ・・」と
空気のような返事をかえしていた。


・・・以上小話



ミュージカルでは
オペラばりの歌い方を求められる作品も
多々あるので
僕にはこの声楽漬けの環境も
まったく苦ではなかった。

むしろ
自分の可能性がどんどん広がっていくことに
歓びを感じていた。

そこで
まだ見ぬ、
「歌い上げる技術」を習得したかった。

うまくなりたかったんじゃなく、
ミュージカルをもっと
CDみたいに忠実に歌いたかったんだろうな。




大学での経験は
非常に役立つものだった。


いつも奏楽堂から聞こえてくる
オーケストラの演奏のおかげで
多少はクラシックの耳になれたと思うし

行事のおかげで
あの普門館やサントリーホールにも立てた。





ただ僕はテキトーだった。




あれは第九の最後の合わせ稽古だったと思う。

すごい指揮の先生が来る日に
ふつうに遅刻していったのだ。


数十人のフルオーケストラが入ってるホールで、
その後ろにはさらに数十人の合唱隊。

演奏まっただ中ですごい緊張感なのだが、
袖とか裏がないから
客席からトコトコ舞台に上がっていった。

楽器の隙間を通って
バリトンのところに紛れて、
何事もなかったかのように
「フローィデ~♪」とか歌うのは
一種の芸当に近いものがあった。



現場でやったら
指揮者に怒鳴られて大事だろう。



でも、
そんな僕みたいな学生は
他にも結構いた。


そんな大学だった。




ちなみに大学で一番よかったのは、
トイレがきれいだったこと。






続く。