みなさま、こんにちはございます。
記事にするのが、だいぶ遅れてしましますた。
八月十七日に、館山を再訪いたしました。前回、見逃していた場所(砲台跡)などの戦跡を巡るためであります。
↑ ほい。館山です。お城が見えます。館山城の天守閣は、あくまでも「模擬天守閣」であり、再建ではないとのことです。
今回まず向かったのは、海上自衛隊基地の裏側の方。前回は、交通規制で行けませんでした。
館山湾に浮かぶ、二つの島(右が鷹ノ島、左が沖ノ島)が、関東大震災のときに地面が隆起して陸続きとなったのだそうです。そこを埋め立てて、基地にしたのが始まりなのだそうです。
島の跡は、基地の向かって右上カドと左側になります。
↑ 鷹ノ島にある、造船所です。ここは戦後米軍が上陸した場所だとのことです。
↓ 以前、赤山壕で買ったガイドブックの表紙です。この場所なのだそうです。
↓ グーグルアース先生によると、こんな位置関係になります。
↓ 鷹ノ島から、北側をみたところ。ちっちゃいタイドプールができていて、お魚やカニがおりました。
↑ 後方に写っている、大房岬の山の形(画面右上)が、米軍上陸の写真の後方に写っている山の形と、全く同じですね。
左手には、海上自衛隊の航空基地があります。ヘリコプタがたくさん駐機していました。
↑ さらに進むと、前方に陸繋島になった「沖ノ島」が見えてきます。
↓ 下の写真で左側の矢印あたりの、景色になります。
↑
↓ 鷹ノ島方向へ引き返します。旧軍の遺構らしきものがありますが、何なのかはよくわかりません。
二階が塔状になっていますが、二階へあがる階段はありません。
海自基地を離れて、波左間・洲崎方面へ向かいます。
波左間と洲崎には、特攻兵器「震洋」の基地の跡が残っているのだそうです。
↑ 海に突き出している、この構造物が、震洋の出撃台跡のようです。
↓ 陸側から、海側を見たところ。潮位が高めのせいか、ほとんどが水没しておりました。
↓ ググールアース先生によると、こんな感じで海に突き出しております。
出撃台手前の井戸の上には、にゃんこがおりますた。
↓ 洲崎砲台跡を求めて、あるき回りましたが、
うまく見つけられませんでした。あとから調べると、私有地のなかのようで、公道を探し回っても、ダメだったようです。
↑ 洲崎灯台を見学しました。天気がよければ、富士山や伊豆大島などが見えるようです。
眼下の洲崎漁港(栄の浦漁港)に、謎の構造物がありました。
右側は、筒のようなもの↓
左側は、筒をならべてプラットフォーム状にしたもの ↓
です。ついつい戦争遺跡かな? と考えてしまいます。色々なガイドブックや本、サイトを見てみましたが、ナゾのままです。ちなみに、栄の浦漁港の近傍にも、震洋の出撃基地があったとのことです。
洲の崎を離れ、房総半島の南端方面へ向かいます。
ここには、館山砲術学校の跡があるのだそうです。
ググールアース先生によりますと、
こんな感じで、田圃のなかに分布しております。写真、左下は中学校です。中学校に隣接して、1番とマークしたプールの跡が残っています。
↑ プールの跡です。深いところは、5mくらいあるそうです。今は無くなっていますが、プールの横に高さ20mくらいの塔があって、そこからプールへ飛び降りる訓練をしたのだそうです。落下傘兵の養成のため、とのことでした。
2番の遺跡は、普通の畑と住宅地のなかに、さりげなく混ざっていました。
ボイラー室の跡、だそうです。
↑ 壁のみのこり、屋根はありませんでした。
続いて、3番の遺跡です。
これは、戦争遺跡というよりは記念碑です。平成3年に建てられました。
↑ 砲術学校跡地の、記念の塔です。
まわりには、
世界各都市への、方角と距離が示されています。
↑ 小さいですが、実際に使われた砲が展示されています。
塔の台座には、何故か古い水筒と飯盒が、赤く錆びて放置されていました。
当時の人と、なにか関係のあるものなのでしょうか。不明です。
この後、館山を後にして、茂原方面へ向かいます。それはまた、別記事にする予定です。
館山は、まだまだたぁーくさんの見落としがあるので、また訪問しようと思っています。