「三越呉服店」が創業し、デパート形式での営業が始まった12月20日は、
デパート開業の日として記念日に制定されています。
「上に参りま〜す」昔の百貨店では、エレベーターガールが一基ごとにいっしょに乗って案内していたそうです。
(参照:ホームメイト・リサーチ〜マーケットピアのサイトより)
百貨店(デパート)の起源は、1852年にフランス パリに誕生した「ボン・マルシェ」
と言われています。日本では、百貨店はどのように誕生し発展してきたのでしょう?
1904年12月10日、三井呉服店によって株式会社三越呉服店が設立されました。
翌1905年1月2日に、新聞に株式会社三越呉服店の広告が掲載され、
これまでの呉服店からアメリカにならったデパートメントストアへの変革を謳う
「デパートメントストア宣言」が発表されました。
この宣言が、日本における百貨店の誕生を意味したと言われています。
それ以前にも百貨店の特徴であるショーウィンドウを設置した店舗などは存在していて、
1896年には高島屋が野外広告を設置してオープンしたり、
各地でショーウィンドウや食堂を設置する「店舗の百貨店化」が進行していました。
1920年11月1日、白木屋が阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)梅田駅構内に、世界初の
ターミナル百貨店を開店。こちらは阪急ビルディングの1階だけを利用した出張売店だった
ため、1926年9月16日に開設した三笠屋百貨店が初めてのターミナル百貨店であるという
見方もあります。
1929年4月に、本格的に阪急電鉄直営のターミナル百貨店「阪急百貨店」が誕生し、
各地の鉄道会社によって主要駅における百貨店開設が急速に進みました。
第二次世界大戦勃発により、当時の百貨店数は206店舗から119店舗に減少しましたが、
戦後の高度経済成長に伴い、百貨店数も増加が進み、1971年の百貨店数は
全国で477店舗となり、各地での百貨店の開業は時代の繁栄を表していました。
しかし1990年代のバブル崩壊とともに、百貨店の繁栄にも陰りが見えはじめ、
施設の老朽化や膨大な出店による経営の悪化により閉店や統廃合などが進みました。
また、郊外における大型ショッピングモールの誕生やネット通販の活発化、
ファストファッション専門店の出店といった理由も重なり、
極めつけはコロナの出現で、現在、百貨店は急速に減少し、老舗の閉店も相次いでいます。
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私の幼い頃でも、もうすでに百貨店といえば、母や祖母が重宝するショッピングスポットの
イメージが強かったですね。都心ではまだ存在意義は辛うじて保っている感じですが、
地方で生き残っている百貨店は、ほんのひと握り、といったところでしょうか。
母親世代の幼い頃の思い出は、そういった百貨店にあったりします。
百貨店の上階には必ず大食堂があって、日本の国旗を立てたお子様ランチを食べるのが
定番だったり。屋上には、小さな遊園地が設えてあったりと、大人だけでなく
子どもたちにとっても、ある意味「デパートに行く」ことは特別なことだった時代です。
特に、今のように多様な楽しみ方がある時代でもないので、1ヶ月に一、二度、
おめかしして出かける百貨店はワクワクする場所であったようです。
とは言え、今でも、百貨店のブランド力は、それなりの力を発揮します。
たとえば、お土産を持参する時や、季節のご挨拶を送るときなどは、わざわざ
老舗の百貨店の包装紙を選ぶなどを意識する方も多いですからね。
もちろん、今でもデパ地下や面白そうな物産展が開催されると美味しそうな匂いに
興味をそそりますし。
時代は移り、大規模店舗を構えて定価でモノを売る時代ではなくなったのは確かでしょう。
でも、百貨店の繁栄は、単にモノを買うということより、あの人から買う、といった、
気持ちの良いサービスを体験しに行くことで支えられていたような気がします。
ネットであれば全て自分の部屋で完結できるのでラクではありますが、
ショッピングセンターの専門店とも少し違う、百貨店の店舗で買う時ならではの、
気持ちの良いサービスを受けるとちょっとした優越感に浸れますからね。
なんでもかんでも簡素化するという方向に行きがちですが、こういった人と人との
コミュニケーションを大切にしたビジネスを、完全に排除してしまうことには、
諸手を挙げて賛成とは言えないですね。
これからも「ならでは」の存在価値を大いに発揮して生き残っていってほしいと思います。
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