境界性人格障害について調べていくと、「幼少期に於ける親から受ける愛情の欠如」というものを目にすると思います。
これから述べる内容につきましては、僕の独断と偏見によるもののようにも思いますので、「そういう意見もあるよね。」程度で、温かい目でご拝読下さい。
(1)子供にとって、親とは何か?
→幼少期の子供にとって、親とは自分の延長上にある存在のようです。しかしそう思っているのは当の子供だけで、現実にはその延長である存在とは別個に、親という独立した個体が存在します。幼児は成長と共に、善悪を学びながら、それを認識していくわけです。
ですから幼児の成長過程に於いて、
「親とは常に絶対的な善であり、幼児に取って一番身近ではあるが、完全に独立した個体という存在でなければならない。」
と、僕は考えます。
(2)愛情とは何か?
→愛情とは目に見えないものですから、定義づけが難しく、色々と考えてしまいました。
ある女性は、「愛情をプレゼントの値段」で判断するようですし、ある男性は「浮気をしない事がパートナーへの愛情」だと言います。
確かに当たっているように思うのですが、プレゼントの値段と浮気をしないという事を「愛情」の共通項として、どう結びつけ、どう理解したら良いのか?と、少々疑問に感じました。
また、愛情とは恋愛対象と子供にだけではなく、兄弟や親族、友人や同僚などにも向けられる性質のものです。
色々と考えた末に、
「愛情とは、それぞれの立場を明確にした上で、何の見返りも求めずに、相手の状態を現在より良い状態に導こうとする気持ち」
という結論に達しました。
遺伝的要因という観点からも、ボーダーやサイコパスの親もまた、ボーダーやサイコパスである事が多いようです。そうなると残念ながら、上記した(1)+(2)という状態での子育ては、人格障害の症状から、実現不可能なケースが多いでしょう。
親自身が他者との分離が出来ていないままで、子供を自分の所有物とし、尚且つ、愛情を損得や敵味方と勘違いしているのですから、正常な親子関係に於ける正常な愛情を注げるわけがありません。
ボーダーやサイコパスを親に持つ子供は、「成長するにあたり問題がある環境下で、強制的に生育されてしまう」というのが現実です。
子供の視点から捉えれば、それは「悲劇的な幼少期」だと言えるのかもしれません。