これはただの私の雑感です。
本質のようなものが見えてくる瞬間がある。
たった数ヶ月前には
思いもしなかった死の影が
思いのほか身近にあると知って、
普段、消えたい、死にたい、と言っていたひとが、マスクやアルコール消毒がない!と大騒ぎしたり、ドラッグストアに駆け込んだりするのを見ると、やっぱり死にたくないんだ、それが本音だよね、と思う。
いざ身近に迫れば、生きたいという本音が出てくる。
それが人間の、生き物の、本質なのかなと。
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新型コロナウィルスは
巧みに人間を「壊して」いく。
疑心暗鬼にさせ
ものごとを停滞させ
自由に動けないように止めてくる。
先が見えないことは
どれだけストレスになるのか。
ただでさえ
自ら動かなければ死んでしまう
そんな生き方をしている人にとっては
停滞は死にも等しい、かもしれない。
それでも止まれと言われてしまう苦しみ。
そこに必死に意味を見つけようともがくしかない。
でも海で溺れそうになったら、もがくより、
何もせずじっと身を委ねるのがいいらしい。
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停滞する世界で、絶えず
未知のウィルスを解明すべく、
また治療のために
懸命に戦ってくれている人々がいて、
本当に頭が下がる。
彼らは間違いなく救世主なのだけれど、
彼らへの負担を少しでも減らすよう、
感染しないように日々を過ごすことくらいしか
素人の私にはできない。
せめてそれを、精一杯しよう。
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人間がどんなに停滞しようと、
いろいろなものが壊れようと、
春がきて桜が咲いている。
3.11の時もそうだった。
たくさんの方が亡くなって、破壊されて、
悲痛に沈む私たちに構わず、
桜は咲き、春は訪れた。
もちろん季節の巡りに心を励まされもしたけれど、同時に思い知らされる。
私たちはただ、地球に生かされている存在だって。
我が物顔で支配してきたけれど、
そうじゃない。
制御しているのではなく、されている。
凪から解放される時はくるのか。
今はただ、あてもなく。