20代の頃に会社のある同僚と「理想のおっぱいを追求する会」というのを結成していたが、あれから20年以上経った今、果たして僕たちは理想のおっぱいに出会えたのだろうか?
志穂美悦子さんのビジンダーが人間体の時にキカイダー01ことジローに「お願い胸を緩めて~!」と嘆願するネタで、おっぱいネタに火が付いてしまったので恥ずかしながら「おっぱい」というテーマをブログに追加させて頂いた・・・。
愚かなことに、大半の男たちにとって、おっぱいネタというのは語っても語り尽くせない特別な意味を持つ話題だと思う。
おっぱいとは男にとって、夢であり、理想であり、哲学であり、ロマンなのだ。
女性の方からは馬鹿げていると思われるかもしれないが、女性というものをある意味象徴した、赤ちゃんの時にそこから乳を飲ませてもらって育ったであろう命の源ともともいえるそのおっぱいに対し、男性の認識はある意味それを神格化すらしていると思う。
おとなになって、男だけがおっぱいを吸う行為を行い、女が(一般的にはだが)それをしないというのは、なんだか不公平な気もする。
しかし、自分自身にそれが付いて、所有しているというのはまた次元の異なる世界なのだろう。
おっぱいに対する男性の好みというのは極めて固有なものであり、千差万別と言っても良い。
必ずしも大きなバスト=ボインが好まれるというわけでもない。
(そういえば「ボイン」ということばも既に死語化しているが。)
「巨乳」「美乳」「貧乳」などという言葉もあり、それぞれに細分化されたフェチズムの世界を構築している。
おっぱいの世界観は、まるで無限に広がる宇宙のようだ。
おっぱい研究家(・・・というひとが居るとすれば)は天文学者のようにその無限とも思える世界の謎と向き合っているに違いない。
「理想のおっぱいを追求する会」では、よく理想のおっぱいに関する議論があり、そして最後には、「おっぱいは議論する対象では無い」という結論に達したものだ。
「おっぱい星人」とは、その無限の宇宙の彼方からやってきたおっぱいの真理を追究する種族らしい。
ウィキによると・・・
「その発祥は定かではないが、1990年代に入り、タモリとヒロミが『タモリのボキャブラ天国』(フジテレビ)等のテレビ番組で自分たちの嗜好を表現する用語として使い始めたのがきっかけとなって一般に定着したとされている。タモリらの主張によれば、『おっぱい星からやって来た、おっぱいの素晴らしさを伝道するための使者』であるとのこと。」
「おっぱい星人」と「単なるおっぱい好き」を区別する議論もあるようだが、そもそもおっぱいは議論するものではないという今はなき「理想のおっぱいを追究する会」の結論に従い論じないことにしたい。
わたしは「おっぱい星人」のことを、おっぱいの大きい女の人の事を指すのだと思っていた。
マニアとしては恥ずかしい限りだ。