泣ける恋愛映画のオススメ「私の頭の中の消しゴム」 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
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バンコクの郷愁に浸ろうと思ってもう一度「サヨナライツカ」を観て泣いた。

たぶん4回目くらい。

どうやら作中に出てくるオリエンタルホテルには主人公、沓子が住んでいた部屋「サマーセット・モーム」スイートという部屋が実際に存在するようだ。

 

 

同じイ・ジェハン監督の「私の頭の中の消しゴム」もその流れで観てこれも号泣した。

これはたぶん2回目。

 

 

この2つの作品を見比べると、映像の作り方が似ていることに気付く。

 

そして、どちらも男性目線で描かれた恋愛作品だ。

 

このあたりは、「マディソン郡の橋」が完全に女性目線で描かれた作品であるのと異なり、女性側が感情移入できず泣けないというパターンがあるかもしれない。

映画「マディソン郡の橋」にみる恋愛の不条理 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム (ameblo.jp)

 

「サヨナライツカ」に関しては、主演がこの時期(原作者の辻仁成と結婚中)の中山美穂というところに女性目線ではやや問題がありそうだが、それはクアク・ジエヨン監督の「僕の彼女はサイボーグ」の主演が2008年のピチピチの綾瀬はるかであるために女性の琴線に触れにくいのと似ている。

 

「私の頭の中の消しゴム」も「サヨナライツカ」も、男性は本当に愛している人に対して「愛している」という言葉を最後まで出すことが出来ない。

 

そしてその事を後悔する。

もっとちゃんと言葉で愛してるということを伝えておけば良かったと。

この2作品が男性側の涙を誘うのは、本当に愛している人に愛していると言葉ではなかなか言えない後悔とそれを許さない運命の理不尽さではないかと思う。

 

アニメで今最も泣けると言われる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では、兵士として育てられ元々言葉の意味もわからない主人公のヴァイオレットが、ギルベルト少佐から言われた「愛してる」の言葉の意味を探し求める話だ。

この作品のキャッチコピーは、「彼女はまだ知らない、『愛してる』の意味を。」

「想いを綴る、愛を知るために」となっている。

 

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は劇場版が思いのほか好評だが、必ずTVアニメシリーズ13話を観てから観てほしい。

 

我々の殆どは「愛してる」の意味をヴァイオレットほどにも理解していないということに気付くだろう。

 

それにしても、57年も生きてきて多くはないにしても数々の恋愛を経験してきた私にも理解できないのが、女性というのは自分が愛しているひとからそれほどまでに「愛してる」の言葉を欲しいものなのだろうか?と言う点だ。

 

「サヨナライツカ」で登場する婚約者光子の詩に「愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ」という一文があるが、口にした瞬間に薄っぺらいものになってしまいそうな気がしてしまう。

 

言葉を超越した愛を男性は具体的に求める傾向がある。

 

お互いに時を重ね、カラダを重ね、相手の心とカラダが近づいていく実感が欲しい。

 

それが、自分と合うと感じたときに「これが愛なんじゃねえか?」と漠然と感じるものなのかもしれない。

 

「私の頭の中の消しゴム」では、チョン・ウソン演じる荒くれ者のチョルスは、愛するというこを知らない。

ソン・イェジン演じるヒロインのスジンとの関係の中で、初めて愛されることによって愛するということを知る。

チョルスは、ぶっきらぼうで職人気質の頑固で気難しい奴だが、とにかくスジンには優しい。

男でも憧れるカッコ良さと超絶な優しさだ。

 

与えられた愛を失うとき、やっとその愛の大切さに気付く。

 

チョルスは、自分の事を忘れていってしまうスジンへの愛を最後まで諦めない。

 

それはスジンが教えてくれた大切なものだからだ。

 

「それを諦めたら、自分は生きている意味がない」とまで言う。

 

全てを忘れてくスジンは愛したことも愛されたことも忘れていく。

 

しかし、チョルスは死ぬまで愛されたことを忘れないし愛し続けるのだ。

 

「サヨナライツカ」と「私の頭の中の消しゴム」の2作を観て改めて感じたことは、自分ももっと優しい人間になりたいということ、そして死ぬときには愛されたことではなく愛したことを思い出せるヒトになりたいということだろうか。

 

「青春ブタ野郎」の牧之原さんが言ったように、明日は今日よりも少し優しい人間になれるように生きたいと思う。

「ありがとう」「がんばったね」「だいすき」を大切に | Mr.Gの気まぐれ投資コラム (ameblo.jp)

「優しい」という言葉もちゃんと理解することは難しい。

誰にも振りまけられる一般的な優しさは、女性にとっては優しさではないようだ。

 

所詮他人は他人であり、いくら思いやってもその人が本当に望んでいてそうして貰えると嬉しいことを見つけ出してその為に正しく行動することは容易くはない。

 

その人のためになると思って言ったことやしたことが裏目に出てしまうこともある。

 

そしてその事に関して他人である自分は責任を持てない。

 

愛するということも同じかもしれない。

 

死ぬときに愛したことを思い出す為には、よほど愛さなければならない。

 

「愛してる」の本当の意味もわからない自分が、他人をそれほどまでに愛することが出来るのか?

 

自分が受けた以上の愛を返すことは出来るのか?

 

明日は今日より少し、明後日は明日より少し、ほんの少しでも優しくなれることを目指すことは出来るかもしれない。

 

愛するということも、それが出来てようやく始まるのだろう。